師弟合歓

 髪を切りにいったら、お兄さんに「円形脱毛症がありますよ」と言われた。合わせ鏡で見せてもらうと、たしかに右耳の後ろが丸く抜けている。

 もとより資源の乏しさをかこつ身だから、十円ハゲの一つや二つなぞ痛くもかゆくもない・・・いや、やっぱり一つでよろしいかな。ともあれ最近さしたるストレスも感じてないのに、とそこが気になって考えているのを見て、お兄さんが「三ヶ月ほど前のストレスが出るみたいですよ」と教えてくれる。三月前・・・ははあ、なるほどねと思い当たる所はあったけれど、腑に落ちないのは発症のタイミングである。ストレスがかかってるぞという危険信号ならもっとはよ知らさんかい。

 ま、しかしハゲよりも肝腎なのは内臓のほうである。翌日は朝から健康診断、ために朝食も抜き。その後も仕事が詰まっていたため、ろくに食事も出来ず。ひたすら晩の食事の内容を考えて励みとする。というのも、この日は一年ぶりに「まる」と飯を食いにいく約束をしていたのです。まるは最愛の教え子で、最愛であるがゆえにこちらも体面上貴族的焼き鳥やらブラック企業的居酒屋に連れて行くわけにもゆかず、というのはしかし単なる名目で、実は半年ぶりという誘惑に堪えかねて「料理屋植むら」を予約した。餓鬼状態の午前に夜からの饗宴、地獄から天国へとダンテさながらの一日ではあった。大げさなとおっしゃるならば、病気でもないのに半日以上なにも口にせず動き回ってみるといい。

 さてこの日の料理は以下の如し。

◎先付…アオリイカ・帆立・梨・菊花・とんぶり(塩とお酢と「あふれんばかりのわたくしの愛」(byご主人)で)。この菊はふつうの黄色いの。
◎八寸…鰆西京焼・蓮根饅頭(練り味噌と芥子)・菊菜おひたし・玉子カステラ・渡り蟹酢の物(緑の実が入っていた。珍しい食感。訊ねてみると山菜のミズの実だそうな)・白和え(柿・菱の実・松の実)・養老豆腐仕立て(山芋の寄せもの)。まると二人嘆賞措くあたわざる逸品と評価が一致したのは(形容のおおげさを笑う無かれ、なにせ絶食の後なのですから)白和え。エヴァミルクを混ぜているのかと思うくらいコクがあって、でもちっとも甘くなく、酒の肴に最適。
◎椀…蟹糝薯・京人参・鶯菜、吸い口は柚子。蟹はこの日から解禁だったズワイ。お椀の蓋にあっっという趣向がある。取るとペルシアの細密画のような蒔絵がほどこされている。「店のオープンとおなじ2007年のルミナリエの形」だそうな。一世紀後に博物館に収蔵されたら「神戸光彩椀」とでも銘が付くのでしょうか。
◎造り…伝助穴子(山葵を溶かしたチリ酢で)とよこわ(辛味大根と醤油で)、両方とも藁火であぶって香りを付けている。穴子は二三回噛むか噛まないかでするりと喉に落ちてしまうほど脂がのっている。そしてよこわ。つまんないのを食べるとこんな味気ない魚があるのかと思ってしまうような魚だけれど、さすがに吟味されていた。まるは横で「これはすごいですね」と連発していた。
◎しのぎ…イクラと滑子の一口ちらし寿司。
スペシャリテ(強肴に当たるのかな)…セコ蟹の面詰めと焼き銀杏。丹念に脚の数を数えていたまるが「一人一杯以上使ってるみたいですよ」と結果報告してくれる。もちろん脚なんぞより卵巣のほうが旨いに決まっているのだが、少しつついてはちびりちびりやっていると、「次のお料理を・・・」とせかされたのがいかにも無念なことであった。腰掛けの割烹ではないのだから仕方ないのかもしれないがねえ。とぼやきながら次の品を待つ。
◎焼物…のどぐろの西京焼き。菊花(こちらは紫の「もってのほか」)。これも秀逸。味噌に漬けることでかえってこの魚の脂の甘みを際立たせる、という趣向。下戸の方ならさぞかし白飯が欲しくなるのでしょうな、と言いながらもちろん杯を重ねてゆく。
◎焼物二品め(もしくは炊き合せの代わり?)…牛ヒレのすき焼き仕立て。といっても薄切りではなく角に切ったやつをレアに炙って、ソースをかけて出す。見た目はオランデーズソースみたいに黄色くてとろっとしているが、食べると「すき焼き」であることが分かる。卵黄を掻き立てたのに割り下を合わせているらしい。言うまでもなくここでも杯を重ねる。
◎飯(さんまご飯)・汁の後にお菓子と玉露でおしまい。

 酒は「雁木」「久礼」と「都美人」。最後の銘柄は割合ポピュラーなものだが、出してくれたのは「ここだけの一本」。杜氏がご主人の友人で京大農学部卒の「変人」だそうな。ふつうは火入れしているやつを生のままで卸してくれたらしい。少し癖があるが(変人の酒らしい)、一年寝かせてみたら面白く化けそう。

 こちらの都合で遅めの時間に入ったせいか、女連れの煩い客もいなくて料理を愉しむことができた。たまには半日絶食してみるのもよろしいものである。もっともそのあげくに変なものを食わされたら暴れ出してしまうかもしれないけど。

 今フィリピンはセブ島で仕事をしているまるは「やっぱり日本料理はいいですね」と駅へ去っていった。

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