「お一人さま」を究めたり〜金沢旅行(2)

 二日目。『こいずみ』の天ばら(冷えてもおいしかった)とインスタントの味噌汁でさっと朝食を済ませて、尾張町裏にある泉鏡花記念館へ。大の鏡花好きだから十年ほど前に一度ここは訪れているが、大学院の先輩(鏡花研究者)から、山本タカトさんの展示がいいわよと教えられたので行く気になった。尾張町の大通りはひっきりなしに車が通る、歩いてもあまり楽しくはない道になってしまっているけれど、一歩横道に入れば有り難いほどの静けさ。幼い鏡花の遊び場所だった久保市乙剣宮に詣でてから向かいの記念館へ。開館すぐで他に客はおらず、ゆっくりと展示を見て回る(というほど大きなミュゼではないのだが)。山本タカト氏は現代の浮世絵師、であるらしい。こちらは初めて見たが、他の作品はいざしらず、『草迷宮』に関していえばうってつけのスタイルかと見える。妖怪変化を描いて一しずく分の甘美さを感じさせるのは、たとえばアルフォンス・ミュシャ天野喜孝氏に通う雰囲気(他の画家を引き合いに出すのは失礼な話だけど)。なかんづく、うねうねとどこまでも婉転する線が、鏡花一流の、《語り》の効果を最大限に顕現した紋章いや紋様的文体と照応しているところが面白い。小村雪岱など、挿絵画家に恵まれた作家だと思われているけれど、よく考えてみたら鏡花の小説世界は案外絵にしにくいのではないか。『春昼』や『山海評判記』の神韻縹渺たる味わいは、よく言われることながら文体の音楽美によるところが大きいので、これを彩管にうつすとしたらいかにもそれらしい美女を出すより、思い切って抽象(ただしうんと豪奢な)でいってみるというのも一つの手ではないか・・・などと、ヴィデオ「鏡花を語る」の前に座って空想を遊ばせていた。この映像には坂東玉三郎種村季弘・川村二郎の三氏が出ている。大和屋はともかく、あとの二人は鯨馬の敬愛してやまない文学者で、しかも両氏ともすでに鬼籍に入ってしまった。鏡花ワールドの構造を現象学的に解き明かす種村さん、夢と現実が相渉る魅力を訥々と語る川村さん、いかにも二人の語り口だと嬉しくなってしまう。なお販売コーナーでは先輩の新刊研究書も並べられていた。水くさいなあ、言ってくれはったらよろしいのに。先輩は「含羞の人」なのである。

 旅先で荷を増やすのは大儀だから、先輩の本はご遠慮して山本タカトさんの絵はがきの組をもとめ、ミュゼを出る。乙剣宮裏のくらがり坂(いかにも鏡花風の名だ)を抜けて主計町からぐるっと戻り、兼六園方面へ向かう。途中、寺島蔵人邸なる「金沢で唯一公開されている武家屋敷」に入った。ここも相客の姿は見えず。昨日の嵐が祟った(この日も朝から時折霰・雪が舞うお天気)ためもあろうが、ここはドウダンツツジの紅葉の名所でもあるらしく、散った後はほとんど観光客が来ないとか。たしかにツツジの葉は残雪混じりに散り敷いており、名物の庭の眺めはさしたることなし。ただ浦上玉堂の扁額ふたつを見られたのは意外で嬉しかった。玉堂は加賀に来たら必ず寺島氏の家に逗留したのだとか。玉堂は江戸後期の文人画家。川端康成旧蔵の『凍雲篩雪図』はたしか国宝指定を受けているはず。琴を善くしたのでも有名で、座敷の脇には玉堂が琴を弾ずるためにわざわざしつらえたという小室もある。音響効果を考えてか、折り上げ天井になっていた。この日残念ながら玉堂の絵は展示されておらず。寺島氏父子の手になる山水やら乾山の皿やらを見物。あと、座敷となりの茶室には書幅が掛かっている。字の雰囲気からしてこちらの嫌いな禅坊主の書ではないらしい。加賀藩儒者かな?と思ってしげしげと見るに、「伊藤維禎識」と読める。すなわち京は堀川に私塾古義堂を構えた醇儒・伊藤仁斎(江戸期を代表する大儒学者です)であった。あれ、仁斎先生、京坂を出たことあったかいな。茶室は立ち入り出来ないので、斜めからスマホで撮らせてもらった。家に戻ってから『古学先生詩集』他に当たってみよう。これは宿題。

 寺島邸を出た時はまだ陽が差すこともあったのだが、兼六園上の中村記念美術館にたどり着く頃には昨日同様の身を刺すような冷たい雨が降りしきる。ここでも案の定当方ほかは誰もおらず。受付嬢は眠気をこらえるのに必死という表情であった。元々茶道具の収蔵で知れたミュゼらしい。今は「近代加賀蒔絵の名工大垣昌訓」なる特別展をやっている。だから展示品はすべて蒔絵。硯箱なんかには興は動かないけど、重箱・椀となれば大の好物。静寂の中を何度もめぐって意匠とわざとを堪能した。蒔絵に限らず、明治の工芸は近年再評価の機運が高まっている。やっぱり桃山や江戸に比べると気品の点では少しく劣るように思うが、その分、江戸太平三百年の爛熟を背負った技術の巧緻はこちらにある、とも見ることが出来るわけで、うろ覚えであげていくなら(図録はなかったように思う)、「水草とみる貝」・「色紙短冊」・「ふくべ」の椀や五節句の景物をあしらった菓子皿など、ほれぼれするような、とは猛烈に料理を盛りつけたくなる出来映えだった。殊に愉しいのが「ふくべ」で、これは煮物・汁椀ではなく飯椀なのだが、なりそのものが瓢箪を象った、ややゆがみのある円筒形で飄逸にして都雅。焼き物もいいけど、やはり漆器は格が高いなあと実感させられたことでした。

 ここまでは上々のはこびだったのですが、何せ外は氷雨と突風である(ビニール傘を二本オシャカにした)。歩いているだけでズボンも、靴の中もぐっしょりである。おまけにがたがた震えながらたずねた広坂の骨董品屋は水曜で軒並み休み。ここでどっと疲れが出てくる。このままでは足先から風邪を引きかねぬ。慌てて香林坊の109中のユニクロに飛びこんで靴下を買い(トイレではき替え)、ミスドでコーヒーを飲んでようやく人心地。我ながら現金なもので、途端に猛烈に腹が減っている自分を見いだす。

 片町や木倉町では昼飯の旨そうな店知らないしなあ。とりあえず近江町市場まで行ってみるか、と懲りずに歩き出した。金沢に土地勘のある方ならおわかりでしょうが、朝から結構な距離を「行軍」しております。

 しかしやっぱり近江町は相も変わらず観光客相手の海鮮丼・寿司が大繁盛である。当方だって紛う方なき観光客の一人なのだろうが、それでもこの町に親昵している程度は多少他の皆さんより上だという自負もある。ここでは魚屋の店先にて殻付き海胆を二つすするだけにして(結局観光客ですやん)、金沢駅内のおでん『黒百合』へ。生スジコ、鰯、とろろ、ナマコ酢、それにおでん(蕗、つみれ、こんにゃく)で熱燗をきゅーっきゅーっきゅーっと文字通り駆け付け三杯。体が冷え切っていたせいか、それでもちっとも顔には出なかった。

 拙ブログをずっと読んで下さっているというような、ご奇特な方なら「あいつ金沢好きといって、毎回おんなしとこばっかり行ってるがな」と呆れておいでかもしれませんが、情報を追っかけて行くたんびに新しい店を「発掘」するというのは気ぜわしい、というよりあけすけに言ってしまえばビョーキである。贔屓の町で少しずつ馴染みを深めていく愉しみにはかえられません。

 そんなわけで、と突然話を端折りまして、ホテルで風呂に入り体をぬくめ直してから夜は武蔵町の『ベルナール』。ここも三度目である。三度目だが、飽きるどころかますます好きになった。この日の料理はとくにめざましかったように思う。ので詳しく記しておく。食べ物やの評判というより、自分のための記録。献立は、以下の如し。

アミューズ
○自家製スモークサーモン、丸葉春菊のソース(このソースが清爽典雅)
五郎島金時のポタージュ(さつまいもの甘みをぎりぎりまで殺して)
○甘海老と海老芋のカクテル
○帆立とサラダ蕪ラヴィオリ仕立て、生海胆添え(蕪は甘酢っぱく漬けている。生海胆との相性がいい)
〔前菜そのいち〕
○山形のシュークリーヌと鱈のマリネのプレッセ(シュークリームではありません。青みの強い白菜みたいな野菜。鱈のふうわりと青菜のしゃきしゃきの対照)
○白子のムニエル、ピルピルソース(なんだかふざけたような名前だが、きけば鱈のゼラチンを使って作るのだそうな。たしかにねっとりしている。同じ鱈を白子とゼラチンにいったんは分けておいてからもいちど一緒にして食べるという手の込んだ趣向。白子の淡泊な旨みにぴしっと塩気の立ったソースがよく合う)
〔前菜そのに〕
○ずわい蟹とフォワグラのセルクル(文字通りの山海の贅を集めた一皿。上に香箱蟹のエッセンスを泡立てて作ったソースをかけているところが、やはり料理屋の仕事。周囲には人参のピュレが綺麗に模様を描いている。このピュレ、ピュレだから当然だけど濃厚で旨い。蟹と人参を合わせるという趣向を愉しむ)
〔魚料理〕
○鰤のポワレ、九条葱と豚の網脂をのせて、銀手亡のソース(手亡は白隠元のこと。温雅な舌触りで、ほっとする味。しかし感心したのは鰤の調理。まったく焦げ目がないのにしっかり火は通っていて、しかも過ぎるとすぐパサパサしてしまう鰤なのにふわっと身がほぐれる。これもきいてみると、ごくごく弱火で注意深くポワレしていくのだそう)
〔肉料理〕
○富山産雉鳩のロースト、内臓のソース(本日の秀逸!と大向こうから声がかかるところ。これだけは予約の際にお願いしておいたもの。血と内臓を赤ワインで煮詰めた芳醇なソースに肉をまぶして食べる。大好物だから、またたく間に平らげてしまう。脚先だけを残して、頭も胸骨もばりばりと平らげてしまう。だって焼き鳥屋のスズメはみなそうして食べるでしょう。フレンチのローストと焼き鳥屋のスズメとを一緒くたにしてしまうやつもないものだが、そうせざるを得ないくらい、頭の中身まで旨かったのである)
〔デセールそのいち〕
タルトタタン(紅玉のキャラメリゼと生のサンふじ)、クレームダマンドのアイスクリーム、カルヴァドスのクリーム(紅玉がほろ苦くて芳しい)
〔デセールそのに〕
○フォレノワール(とはつまり、カカオのチューブ入りヘーゼルナッツ風味チョコレートムースが、チョコムースのパウダーを敷き詰めたところに乗っかっている)ダークチェリーの球体ソース(やぶるととろりとソースが流れ出る)、ミルクシャーベット(甘党に転向しようかしら、と思わせる出来。ムースの軽さがすばらしい)
〔お茶菓子〕
○桃の綿菓子、メレンゲマロンクリームとカシスのソルベ

 昨日来の悪天候が祟って県外の客のキャンセルが重なったのだろう、この日はなんと当方一人。だからというわけではないだろうけれど、前回・前々回にもまして一画一点もゆるがせにしない、変な形容だが克明な料理、という印象だった。ワインがわずか白三杯赤一杯だけにとどまったのも、料理に夢中になっていたせいである。

 お茶を飲みながらオーナーシェフとサーヴィス係の奥様と歓談。「昨日のニュースを見ていて、『これはお越しになれないんじゃないか』と話してたんです」。なんのなんの。半日かけて金沢に来た甲斐がありました。

 じつに陳腐な感想ながら、「いい店」つまり単に旨いのではなく、何度も行きたくなる店になるかどうかは、結局中の人たちの人柄なんだろうな。むろん旨くなくては話にもならないのだけれど。

 だから、『ベルナール』さんの後は当然の流れとして(論理的必然と言いたいくらいである)、バー『quinase(きなせ)』さんへ。お客さん(土地の人ばかり)がみなバーテンのきなせさんの人柄が好きで好きで仕方ない、という感じで、とっても居心地がいい(酒はいうまでもなく旨い)。二度目の見参に過ぎない当方も、まるで先週来たかのようにさらっと迎えてくれた。こちらが期待していた《伝説のラム》(当ブログ「処女王VS海賊王」をご参照下さい)がもうなくなっていたのは、今でも惜しんであまりあるが、代わりにと出してもらったバルデスピノのブランデー(というのがあるのです)がこれまた良くってすっかり陶然としてしまう(アルコールに、というわけではない)。バルデスピノだから当然のごとくシェリー樽で熟成させてあって、だからナッツのようなそのくせ果実味もゆたかな仕上がりとなっている。
 
 きなせさんは大変おしゃれな方で(この日のベストも、厚織の杉綾で素敵なものだった)、わざわざ神戸まで服を買いに行くのだという。十一月に神戸に行った際入ったバーや食べ物屋のことを金沢で聞くというのがまた一興というもの。

 この二軒でいい気分になったせいだろう、ホテルに歩いて戻るまで、夜風はちっとも冷たく感じなかった。(あと一回つづく)

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