職人伝説

 天地晦冥的な酔い方をすることも、思えばずいぶんなかったのである。立派に中年と相成った我が身に要慎する構えがあったせいであろう。翌日、というより朝まで飲み歩いたその続きの昼過ぎに目覚めると当然のことながら宿酔でぐったり。しかし、レンタルビデオの返却期限がこの日だったので、どうでも新開地のTSUTAYAまで足を運ばねばならぬ。

 小銭に異様な執着を示すマリネラ国王ほどでなくても、些細な額の出費には拘ってしまう心性が我ながら浅間しい。深更タクシーで帰る時、家の直前で上がるメーター―大概はMKに乗るので、百円にも満たない額なのだが―がどうしてあれほどの憤激を呼び起こすのか、不思議で仕方ない。ビデオの延滞料金も同じ口である。

 シャワーを浴び、コーヒーを呑んで、火照る体と充血した酔眼のままそろりそろりと坂道を下ってゆく。ビデオを返却ボックスに投げ入れた途端、猛烈に腹が減っていることに気付く。これは良い徴候。宿酔でかつ食欲が無い場合の酷烈さといったらないからな。

 といっても名にし負う新開地、気の利いた食べ物やなどあろうはずもない。ビアホール『元町エビス』は例外とすべきかもしれないが、薄暗い店内でもそもそソーセージなんぞ頬張っていたのでは精神的に滅入ってしまいかねない(キングズリー・エイミスの言う「形而上的二日酔い」である)。ここは正々堂々と宿酔および土地柄に向き合う他ないと腹をくくって『餃子の王将』に入る。ホントは同僚・浪々女ご推奨の『萊萊』に行くつもりだったのだが、どうも席が込みすぎていたので止したのである。

 とりあえず瓶ビールね。アテは・・・ここはカラアゲやスブタなど、「ジャストサイズ」という面妖な名前の「おひとりさま」仕様がある。それのニラレバと餃子、唐揚げを頼む。見回すと、カウンターのおっさん連中が全員このスタイルで呑んでおった。

 『王将』は要するに『王将』の味であって、店ごとの微妙な違いを論評できるほどの粋人ではないから、おとなしくカラアゲをつついていたが、店員の面構え、というか面魂がよい。豚まんのような顔(および体型)の店長(これはいかにも下町の中華屋に居そうで居るタイプ)、カマキリみたいなやせぎすにダサい眼鏡で、鍋の振り方が堂に入った手つきの若造(これも居そうで居るタイプだな)、やたら目つきが鋭いくせにプロフィールのこれまた無闇に端正な美少年(居なさそうで居るタイプ)、化粧の品なく濃い割には声の弱々しい中婆さん(居そうであまりいないタイプ)、と役者がそろっている。居なさそうで居ないタイプは・・・これは居ないのだから仕方ない。

 追加のカニ玉と五目焼きそばを平らげ、ビールを二本乾した頃にはだいぶん人間がましくなってきた。むろん単なる錯覚であって、このアルコールが切れる頃にはまた辛い目に会わねばならないのだけれど。ともあれ、うらうらと陽の射すところをぼちぼち歩いて湊川の歩道橋を渡り(途中、パチンコ屋向いの立ち喰いうどんで月見うどんを平らげたのが、「錯覚」している証拠)、東山の市場を冷やかして回る。夕食を作る余力はおそらく無かろうと慮って、まあ昼間にこれだけ喰えば夜は無しでもいいのだが、味噌漬けの焼肴と広島菜を求める。

 東山から天王川を遡って、有馬街道平野交差点の東なる我が家に帰る途次には『やまだ書店』なる古書店がある。歩いてこの店の前を通るのも久々だったので、足を止めて店前の百円均一台を丹念に見てゆく。斉藤隆介『続職人衆昔ばなし』・竹田米吉『職人』・池内紀『温泉旅日記』、それに『新青年』傑作選は、他人にはいざ知らず、自分の為には掘り出し物であった。

 帰宅して、焙じ茶をすすりながらゆっくりとこれらの本を読み継ぐ・・・いやあまりのおもしろさに一気通貫に読み上げてしまう。斉藤隆介さんの本は、続編があるとは知らなかった。前著と同じく、今は昔の失われた職人技術の驚嘆すべき精緻峻厳もさることながら、それを語る職人さんの話し言葉がなんとも快い。しかもみな(明治二十年代、三十年代生まれが中心)一様に、「昔の職人の腕は、それはすごいもんだった」と回顧しているのがすごい。江戸時代の職人というのは、現在から見たらダイダロスなみの神技の持ち主がごろごろしていたんだろうなあ、と思わずコーフンさせられる。ああ、そういえば偶々最近読んだ松田権六『うるしの話』も超絶技巧的おもしろさだった。これは岩波文庫で手に入るから、お読みでない方におすすめします。

 晩飯は焼き魚と漬け物で軽く茶漬け一膳(さすがに酒は無し)。夕方少し眠って元気が出たので、これは買った本ではないが、高田衛『秋成 小説史の研究』(ぺりかん社)を読む。いやあ、高田先生熱い。秋成の「畸人」ぶりが同時代の人々にとってさえ際立っていたことを、あえてゴシップに属する記事を取り上げて多層的に跡づけてゆく章も面白かったが、中でもアドルノの『美の理論』に『春雨物語』を併置させて読解させてゆく(!)ところなど、いい意味で職人芸の筆さばきであった。いや文章の端々に圭角いまだ薄れずというよりいっそう冴え冴えとしてきたのは、むしろ古武士的風格とでも評すべきか。

秋成 小説史の研究

秋成 小説史の研究

【ランキングに参加しています。下記バナーをぽちっ。とクリックしていただけると嬉しう存じます!!】
にほんブログ村 料理ブログへ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村