御食島(みけつしま)神出鬼没行

 大学の恩師ご夫妻から、同窓の先輩後輩とともにお招きを受けて淡路に遊ぶ。以前ある集まりで当方達がいささかお手伝いしたことに対する御礼とのこと。有り難い限りである。既に拙ブログで何度もご登場頂いている大先輩・綺翁さんはともかく、後輩の里女さんとは凸凹珍獣コンビという枠で精一杯お慰み申したらよい訳だな、と了解して待ち合わせの阪急芦屋川に向かう・・・と書けば、特に問題はなさそうなのだが、実はこの時大遅刻。かなり早めに家を出て散髪屋に入ったら先客が多くてえらく待たされてしまったのだった。その上これはイカンと乗ったタクシーの運転手が、山手幹線から阪急芦屋川に上がる角さえ分からぬような欠陥品であって、あまつさえクレジットカードのリーダーすら故障。苛々するこちらに向かって「どうすればいいでしょうか」とは御念の入った台詞である。横山やすし氏かやしきたかじん氏なら半殺しの目に合ってたとこだぞ。

 大恐縮しながら綺翁さんがハンドルを握る車に乗り込む。垂水あたりではまだ最近に珍しい青天が広がっていたのだが、早くも明石海峡大橋を渡りきるころには厚い雲が立ちこめてきた。

 何はなくても御酒一献、ならぬ蕎麦一枚。ご自身でも蕎麦を打つ綺翁さんが探してくださった蕎麦屋にまず足を向ける。なんでも広島の《伝説の》名人・高橋邦弘の弟子が開いた店だとか。その高橋氏の『翁達磨』に行った時も、辺鄙な立地で往生したが(「蕎麦を訪ねて三千里」参照)、今回も同様。田んぼの間の道にぽつんと案内の看板が出ていて、指示通り走っているうちに「ここで大丈夫か」と不安が兆してきた頃、ようやく店が見えてくるという按配なのである。

 当方の失態により、着いたのは午後の二時。時分どきを外した店はこちらを含めて客が三組のみ。広島の時はえんえんと待たされたので、これは怪我の功名とするべきか。自分で言ってはいけないが。

 ご夫妻はざるのみ。我らはざるとおろしとを頼む。来たツユを一口啜った綺翁さん曰く「やっぱり本店には及ばないな」。蕎麦を手繰って曰く「悪くは無いけどね」。たしかにツユの力強さは広島の方が上かな、とは感じたものの、こちらは蕎麦通ではないので(蕎麦という料理に対する考えは以前記したことがあるので省略)、おいしく頂く。まあ、前日五時まで飲み明かしていたので、なによりも喉を冷たく細いものがつるつるつるつる滑り落ちていくのが心地よかったのかもしれない。

 到着時にはぽつぽつしてた雨は、店を出る頃には傘が無いと困るくらいになっていた。師匠は少し歩行が困難だし、この天候で外を歩くのはどうかと思っていたが、意外にも「菜の花を見に行こう」とおっしゃったので、『花さじき』なる公園に車を走らせた。外はもうざあざあ降りである。一同顔を見合わせていると、ふたたび「外に出て花を見たい」との仰せ。売店で傘を求め(薄水色に桃いろの花模様が一面にあしらっているという、とんでもないセンスの代物)、積載の車いすを下ろして師匠をお乗せし、鳴門との瀬戸を見下ろす公園の遊歩道を押してゆく。南西に向けて開ける広大な斜面にさしかかると、思わず山村暮鳥の名作を口にしたくなるような、一面の菜の花。折からの雨に鮮やかな彩りがどことなくにじんで見えるのがよい。結構な勾配なので、綺翁さんと二人、車いすを後ろ向きにしてそろりそろり。ここで手を離したら師匠は車いすごと菜の花の海の彼方に消えてしまいかねない(ト不埒な想像を逞しうするのが師匠のゼミの伝統である)。見栄えがしそうな場所に車いすを固定して、師匠と奥様を撮影。例の色気ちがいみたいな傘を差して、にっこり笑うお姿は、背景の幻めいた黄いろの効果もあって、ひどく非現実的な印象を与える。あの世みたいである(重ね重ね言うが、ゼミの麗しい伝統を守るために、こういうことを考えているのである)。シャッターを押した里女さんが「ありえん取り合わせやー」と笑い転げていた。師匠も奥様も一緒になって笑ってらっしゃる。それが楽しく、また嬉しい。

 帰り途=上り坂は当方一人で押してゆく。江戸明治と、坂の下にたむろしては荷車が来ると上まで押し上げることで駄賃をもらっていた「立ちん坊」なる生業のどんなものかが分かったような気がした。

 売店で一同ソフトクリームをなめていると(これも大抵シュールな光景だ)、雷の音さえ聞こえてくる。いよいよそれらしくなってきた。というのは、次の目的地は淳仁天皇の陵なのである。淳仁天皇道鏡を寵愛した称徳天皇と敵対して廃位され、淡路に流されてながく「廃帝」と呼ばれてきた人物の奥津城に参るのだから、背景としてここは一つ、天も荒れてもらわなければ困るというものではないか。

 とはいえ横なぐりの雨の中をさすがに師匠をお出しする訳には行かない。やむを得ず車中において、窓越しに御陵を背にした師匠のプロフィールを撮影。陰鬱な色の空の下、黒々とした森の様子がいかにも「廃帝」にふさわしい禍々しさであった、としておきましょう。

 夕食の時間まではまだ少しある。ついでに近くの「おのころ島神社」にも行ってみることにした。淳仁陵ではどこから車で近づけるのか分からず大回りしたので、それらしい道を見落とさないようにしなきゃと気をつけていたがまったくその心配はなし。遠目にもしるき大鳥居が、巨人のむくつけき大足のごとくにょっきりとそびえ立っている。伊弉諾伊弉冉が国産みしたのがこの社の岡だった、ということは、理屈ではここが最古の神社ということになるわけである。社域は広からず、社殿またさほど趣があるものではないけれど、森に微かなりとも幽邃な古代の息吹が遺っているように感じたのは、滴をしたたらせる照葉樹の木々のたたずまいに助けられたせいもあるかもしれない。本殿の傍には「鶺鴒石」なる遺跡あり。すなわちこれなん、両柱の神のミトノマグハヒの御手本、その格の高さでは末世のエロ動画なぞ申すまでもなく、『四畳半襖の下張』だとて『藐姑射秘事』だとて『金瓶梅』だとて『マイ・シークレット・ライフ』だとて到底及ぶものではない。むろん我がゼミの麗しい伝統に則って恭しく礼拝し、写真を撮影したことであった。彼女の郷里は淡路だから、今度一緒にお参りしてみたら、いろんな御利益を授かりそうである。

 今や叩きつけるくらいの雨の中、洲本市に戻って入ったのは『いたりあ亭』なるレストラン。昼食が軽めだったので、かなりの空腹。脚赤海老・鰆・障泥烏賊・栄螺・いかなご新子等さすがに『延喜式』以来の「みけつくに」の上等な素材を使った冷菜にポルチーニ茸のライスコロッケ、そしてこれが名物だという生海胆をふんだんに使った(海胆は食卓で各自が混ぜる。こちらはほとんど一枚分も混ぜた)バジルソースのパスタ、それにランドーの鴨のロースト(タイムと蜂蜜のソース)まで、あっという間に平らげてしまった。免許を持っていない鯨馬・里女さんは、奥様と一緒に白ワインも呑む。後ほど、「食材の質に負けている」「はなやかさが足りない」という批評が出た。正確な評言だと思うが、それはそういうものとして充分に愉しめた。

 帰りの神戸淡路鳴門道はこわくなるほどの霧。無事神戸に帰り着き、芦屋の師匠の御宅でお茶と果物とをいただいてしばしの歓談閑談。おまけに師匠から何冊も本まで頂戴して、夢のような一日だった。


拙句ふたつ。

・蕎麦食ふやものうき午後の菜種梅雨 
・菜の花の記憶の底の浄土かな     碧村


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