われは龍の子

 沈香も焚かず屁もひらず、ならぬ旅行も行かず沈酔もせず、というところで、ここしばらく記事が単調だなあ、とはブログ子自身がいちばん気にしている。

 でも・・・新幹線開通のあおりで我が金沢(金沢!)はまだまだ狂躁状態だろうしなあ。これは憶測ではなく、金沢(金沢!)出身の先輩が地元から仕入れた情報でウラを取っているから確実。「君子危うきに近寄らず」だとか。君子なぞという柄ではないが、俗物なりにわざわざ悲しくなるために旅に出ようとは思わない。

 というわけで、最近はもっぱら旅行の計画ばっかり練っております。執事兼運転手・空男氏のヴェネツィア留学を奇貨として、夏期休暇に押しかけようという魂胆なのである。

 かつてヨーロッパで働いていた同僚が同行して東道主人をつとめてくれるから、チケットの予約のといった実務面の心配はしなくてよさそう。持つべきは、金持ち・医者に加えて海外経験ありの友ですな。おかげでこちらはのんびりと観光のことだけ考えていられる。

 こちらが日本の街ではたとえば金沢(金沢!)などに拘泥してしまうのは、そこに《ヨーロッパ》を見ているからである。海外旅行の経験を持たない人間が踏んだこともない土地を透視できるのは、これは少しは親炙してきたと思うヨーロッパの文学・思想・美術の記憶があるからだ。したがって今回の旅行は、もっぱら本で知っていた事物を実地に検証してまわるという体裁をとることになるだろう。

 知識・情報の先行。既視感の氾濫。ネット社会の「経験」のいびつさとして散々批判されてきたタイプを地で行く感じだが、あまりこちらにはやましさがない。書物を通して自家薬籠中のものとした、まさしくその世界を実際の旅行で追体験した、偉大な、という形容はふさわしくないな、無類の文学者=旅人を、少なくともひとり、こちらは知っているからである。

 もって回ることもない。その旅人、つまり澁澤龍彦の紀行文風の著作である『旅のモザイク』『城 カステロフィリア』『ヨーロッパの乳房』、そしてその土台となった『滞欧日記』が、今回の旅のいちばんの案内書。いや、紀行文のジャンルにとどまらず、『幻想の肖像』はじめとするおびただしい美術エッセーだって、見過ごすわけにはいかない。もう今から、澁澤さんが称揚したあの絵、あの庭をどのような経路で見て回るか、そればかり考えて心はずませているのである。

 四十代以下なら、こういう思考パターンでヨーロッパ体験をする人間、多いんじゃないかと思う。手もなく澁澤さんの術中にはまっている按配だが、我らドラコニアン・キッズとしては、当分この「胡桃の中の世界」にぬくぬくと囚われていたいという気分をおさえることが出来ないのである。
【ランキングに参加しています。下記バナーをぽちっ。とクリックしていただけると嬉しう存じます!!】
にほんブログ村 料理ブログへ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村