懦夫をして起たしめるもの

 毒にも薬にもならないブログを書いていながら、甚だ偉そうではあるが、あんまり他人様のブログを拝見することはしない。第一に文章がよくなければげんなりしてしまうし、せめて情報量をみっちり詰め込んでくれてれば、と思っても水割りされた日常雑記程度ではとたんに食欲が減退してしまう(もちろん今は自分のことは一切棚上げ)。当然のことながら、その両方、つまり文章の質と情報の質とを兼ね備えたものは、これはもう、滅多に目にすることがない。

 だから、「北窓書屋ブログ」に逢着した時の嬉しさといったらなかった。ネット・サーフィンというくらいだから、逢着というより漂着と言うべきか。

 まず何が凄いって、まあ実によく読んでるのですね。

 書き手である菱岡憲司さん(トップにお名前が出ている)、むろん当方は存じ上げないけれど、記憶違いでなければ間接的にはご縁がある。というのは、学部・大学院時代の先輩が西国の大学に就職した後、近隣地域の大学院生と時折二人で読書会をしていたが、この院生がたいへんな読書家でびっくりした、という話であった。たしかこの「読書家」が菱岡さんだったはずである。

 理科系は知りませんが、人文学の学者はともかく本を読むのが商売だから、専門領域に関していくら詳しくても博学でもそれほど感銘は受けない(別にこちらの知識量を誇ってるのではなくて、それくらい「学者」という種族をミーハー的に理想化しているのです)。このブログでたまげたのは、いわゆる専門外の本を滅多矢鱈(と形容したくなる)に読んでいることであった。一例をあげると、皆様ご存じ光文社古典新訳文庫、鯨馬子などから見れば破竹の勢いとも言いたくなる早さで次々と出てくるあの大シリーズを全部(!)読んでるんだからかなわない。しかも、ともかく「古典」と銘打った文庫ですからね、ハルちゃんがブルーになったりとかニャルちゃんがはいよったりとかいうものとは訳が違う(両シリーズとも敬意を持ってますが)。

 一体に翻訳小説がお好きな方と見えて、池澤夏樹個人編集の、河出世界文学全集も出る端から読んでいる。しかし読むだけなら、まあまだ分かる。某ブログみたいに、書名とだらだら並べているだけでも一応「読書日記」とは名乗れるのだし(自己嫌悪に陥るなあ)。

 次に凄いのって、まあ実に丹念に書いてるのですね。読後感を・・・と書いてみて強烈な違和感を覚える。そこらのブログに氾濫する不機嫌で居丈高で独りよがりな、ああいった類いの「呟き」とは雲泥の、達意で理を分けた、克明な文章である。これを批評と称して何の不都合もない。旧訳と新訳との肌合いの違いを報告することに始まり、関連する、というよりは連環する本に敏感に触手を伸ばし(『三四郎』はヴァージョンを違えて三回も読み直している(!))、長大な本の大要を心を込めて紹介し(アリストテレース詩学』はよほど面白かったと見えて、二回「連載」となっている)、自分にとっての勘所を諄々と説く(『罪と罰』でもモームでもいいが、こちらの好みにも合うところでおすすめするなら、『回想のブライズヘッド』評)。

 つまり、いっぱい教えてもらってなおかつ読んでいて気持ちがいい。モームはそれほど面白いですか?とかフロイトは胡散臭いところが魅力的なんだけど、とか、シェイクスピア作品での番付表を作るならどう意見が分かれるかなあ、など、もちろんこちらとの考えの予想される対立・すれ違いも含めて愉しんでいる最中。

 アーカイヴを読み切ってしまっては更新をじれったく待たなくてはいけなくなるけど、でも読まずにはおれない。

 顧みて自分のブログが書きにくくなるのが唯一の難点か。
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