あとの祭り

 これだけ温暖化、というより熱帯化が進んだら日本国中どこに行っても暑さは同じようなものと思ってしまうが、盆地特有の煎られるような熱気はやはり格別。京都で一日遊んでいやというほどそのことを思い知らされた。

 鯨馬の別名は素骨散人。この日も阪急河原町の駅を出て、やけに浴衣姿のカップルが多いなあさすがは観光の都とか感心しきり、祇園祭の宵々山だと気付いたのは夕刻になってからのことだった。

 だから別に祭礼に参加しようという殊勝な気分で出かけたわけではなかった。京都国立近代美術館北大路魯山人展を見たかっただけのこと。

 河原町から京阪に乗り換えて、神宮丸太町で降りたのだが、地上に出た瞬間に「がーん」と音が鳴り響きそうなほどの暑さ。10分くらい歩いたものの、朝食抜きだったこともあってたまらず眼に入った店にふらふら入る。割烹の構えながら、タンシチューと天ざるを昼に出すというなんやらよう分からんところであった。蕎麦を食いたかったので「天ざるとごはん」を頼んでみたらホントに天ざる蕎麦と白飯が出てくる。「ごはんは要らないです」となぜよう言わなんだ、と後悔しながら苦心惨憺して飯を噛む。天丼ならまだしも、天ぷらで白飯はなかなか食えないものだと体得した素骨散人であった。これやから京(ここは「キョ」ウと語頭にアクセントをおかず、上方風に「キョー」と平坦に発音して頂きたい)の人間は油断ならんねん。

 のっけからケチがついたみたいで、暗澹たる気分のままとぼとぼと美術館に向かった(第一食の出来はかくも人の心に影響するものなのである)。のだけれど、魯山人展を見ているとたちまち上機嫌になってしまう。やはり京(「キョー」)はええとこやな。と簡単に意見を翻してしまう。軽薄短小、さながら鳩山由紀夫乃至安倍晋三の如し。

 さて魯山人展の感想。技法の多彩は誰でもいうことながら、伝統をきちんと引き受けながらも全体としては、ずいぶんモダンな感性が光る。見て取りやすいのは葡萄や置物棚を描いた絵の陰影の付け方だけど、織部俎皿の大胆(不敵とも言いたい)な意匠や武蔵野図屏風の右上に照る金泥の月のデフォルメ加減なんか呆れるくらいにやりたい放題という感じだしね。

 魯山人嫌いに言わせればそこが鬼面人を驚かす体のアクの強さということになるのかもしれない。アクの強さはたしかに否定できないけれど、安手な「前衛芸術」(ことばそのものが安手に響きますな)には絶対に見られない落ち着きがどの作にも充ちていることもまた事実なのである。

 なんども見て周りながらその落ち着きの由縁について考えてみた。一つには、魯山人の造形センス(色彩もフォルムも)が今の陶芸にすっかり消化吸収されていわば「共通語法」となったことがあるだろう(それくらい現代的な感覚を持っていたということである)。

 だからちょっと洒落た、または気取った居酒屋ならこれくらいの器を使ってると思ってしまうのだが、やはり神は細部に宿り給う、のであって、造形の隅々まで緩みが見られない点、「今風の小洒落た器」とは決定的に違う。竜田川向付の紅葉の力強く張ったフォルムがそうであり、また今回の展示で初めて気がついたことだが、器の縦の面、とはつまり胎土の厚みが見せる線がじつに素晴らしい。志野や備前の四方皿など、見ててうっとりする。皿まで食べたくなるくらいである。

 あとは紋様だろうな、やっぱり。たとえば瀬戸に鉄釉で描いたあやめとか、武蔵野図屏風のすすきとか、具象でなくても糸巻の線の絶妙なリズムもそう。魯山人「風」だと、下手すれば外国人が真似して書いた漢字みたいでどこか締まらないのである。

 これだけ褒めてはいますが、でも残念な点もある。あれだけ書や篆刻に腕を揮った人なのに、書巻の気がちっとも感じられないのである。別に難しい漢字や文句を使ってないということでなく、日本の美術なら浮世絵であろうと茶碗であろうと、いや手拭いだって弁当箱だって備えていた文芸への目配せというものが無いのだ。竜田川の紅葉は単純明快に見事な形をした木の葉であって、そこに業平の和歌は響いていないし、武蔵野図屏風に広がる空間には宗祇も太田道灌も出てきそうにない。それこそがモダニズム、という見方もあるかもしれないけれど。天性のアルティザンであって、文人ではなかったんでしょうね。

 だから、会場のあちこちに書かれている魯山人のことば、どれを取ってもぞっとしない。職人である以上ことばで伝えられないものと向き合っているのは当然としても、ことば遣いが大仰で独りよがりで趣味が悪い。これもやっぱり細瑾を顧みない天才ならではということになるのかしらん。※図録の文章もひどいものだった。

 ちなみにこのミュゼ、トイレがたいへん綺麗に造られていて感心しました。公共建造物の価値はトイレで決まる。

 悪趣味なのは重々承知しておりますが、この後、さらに展覧会を二つ、はしごすることになった。近いようで、京都にはそうそう行けないし。

 まずは近代美術館の向かいにある京都市美術館でのルネ・マグリット展。中学校の美術資料集で見た「光の帝国Ⅰ」に衝撃を受けて以来、好きな画家の一人である。「光の帝国」シリーズ以外に「アルンハイムの地所」とか「ピレネーの城」とか「オルメイヤーの阿房宮」とか、静謐でどことなく悲劇的な感じの絵とばかり認識していたけれど、百点以上通覧して見てみると、結構、ユーモアに富んだヒトだったんだな、と印象を修正することになった。まず題名のセンスがいい。純粋絵画(というのが成立するとして)擁護派には莫迦にされそうだが。もちろんシュルレアリスムの画家であるからして絵の内容と題名とには何の関係も無い(と思う)のに、「ヘーゲルの休日」だとか「喜劇の精神」だとか「博学な樹」だとかいかにも曰くありげなことばを突きつけられると、ついタブローとの関連を探ってしまい、ふたつの異質なものの衝突もしくはねじれたつながり(のように見えるもの)に思わず笑わされてしまうのだ。これぞ「黒いユーモア」の精髄というところか。しかし周囲の真面目な人々は、笑うどころか小首を傾げながら真面目に絵の「意味」を考えているらしい様子なのだった。

 お隣ではルーヴル展もやっている。フェルメールの日本未公開作も出てるようなので、覗いてみた。やっぱり日本人はルーヴルの「泰西名画」というのが大好きなのだな。大盛況であった。ゲインズバラやホガース、ルーベンスレンブラントも出ていたが、「風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄」という企画はあまりにも大づかみすぎて全体に散漫な印象。それでもやはりフェルメール天文学者」の光はすばらしい。「青いターバンの少女」のようにキャッチーな画面ではないからか、懸念していたほどの人だかりではなく、近くでじっくり堪能することができた。あと、コンメディア・デラルテの役者たち(アルレッキーノとコロンビーナとパンタローネ?)を描いたジャン=バティスト・パテルの一枚もみっけもの。この画家、たしかウォルター・ペイターの「宮廷画家の花形」のモデルだったはず。師匠であるヴァトーの輝きと優雅さには遠く及ばないことはすぐ見て取れるものの、こういう二流の画家ならではの楽しさというものがある。

 美術館を出たのが三時。相変わらず気の遠くなるような暑さで、このまま新幹線に乗ってウチに戻り、クーラーをがんがん効かせた部屋でビールを呑んで寝てしまいたい!とも思ったけれど、それこそせっかく京都に来てるんだから、なんぞ旨いものでも食って帰らねばもったいない、と妙な貧乏性が出て、店が開きそうな時間まで散策することにした。

 案内図で見ると美術館から知恩院まで、歩いても大したことはなさそうである。とりあえず南に下って、青蓮院を過ぎたところで西に折れると、白川の流れにぶつかった。水量も多く、いかにも涼しげなので、サンダルばきだったことを幸いに流れに足を浸してみる。汗が引くほどの冷たさではないけど、気持ちがいい。まあ、若いネエちゃんならともかくおっさんが素足をさらしてたところで誰もなんにも得はしないのだが。

 少し元気を取り戻して三条大橋を渡り、麩屋町通りを南に折れてワルダーなるパン屋さんに入る。いしいしんじという方の日記、これはどこで何を食べたかということを詳密に書いているのだが、いしいさんが京都にお住まいのようでやたらに京都の情報が詳しいのだ。バゲットと食パンを買ってみた。

 あとは錦市場をぶらぶら。寺町から先斗町に出たところで、さすがは素骨散人、納涼の床なるものが絶賛興行中であることをようやく気付いたのであった(粗忽というより単にニブイだけという感じがしてきた・・・)。

 鴨の川風に吹かれつつ冷酒ちびちびというのもえーですなーと、開店間際の先斗町を数往復して品書きを吟味していったのだが、どれもあまりぞっとしない。いかにも観光客向けの「京都どすえ」的なコース料理が多くて鼻白むのだ。「都コース」とか「鴨川コース」なんて名前、誰が喜んで頼むのであろうか。それにそもそも一人で床を取れるのかどうかも疑問である。

 というわけで床は却下。いちど木屋町の方へ抜けてあちこち歩いてみるに、「瓢正」「たん熊北店」「志る幸」を発見。これだけの名店が徒歩一分の圏内に固まってるというのもすごいね、しかし。

 京都でメシを食うんだから値が張るのは承知の上だし、グランドメゾンのフレンチというならともかく、和食なら別段緊張することもないのだが、パンの袋ぶら下げたサンダル履きのおっさんがふらりと入ったところで、気持ちよい客あしらいをしてくれるかどうか。

 でも最近やたらと元気がいいらしい木屋町の店はどれも若者向けだしなあ、といい加減くたびれてとりあえず先斗町へ戻る。路地の角でついたばっかりの灯りの中に書かれた「ますだ」なる店名を見るに、なんとなく引っかかってくるものがある。立ち止まって記憶の沼をひっかき回して思い出した。故・荻昌弘氏のたしか『男のだいどこ』でこの店が紹介されていたのだった。荻氏一流の名文で、名物おかみの風姿・人となり(笑い袋に似た声での呵々大笑・ばーんと客の肩を張り飛ばす癖・錦市場各店に対しての遠慮会釈ない論評などなど)がいきいきと描写されていた、と思う(こーゆーことはよく覚えているのである)。よし、ここに決めた。

 いわゆる「おばんざい」の店らしい。大鉢に盛られた肴がカウンターの上に並んでいる。酒は賀茂鶴樽酒のみ。鱧のおとし・炊合(小芋・冬瓜・南瓜・オクラ・粟麩)・にしん茄子・蛸とこんにゃくで賀茂鶴を呑む。炊合がよかった。あと特筆すべきは賀茂鶴。醇にして雅。冷や(最近「常温」という味もしゃしゃりもない呼び方をされてるやつ)を置いているのも嬉しい。じっくり呑みたかったが、当方が座ったカウンターのいちばん奥の席の上にはいかにも古びのついた色紙に「お徳利二本まで もんげん十時」なる文字がにらみをきかせている。つつましく「これ、まだ有効なんですかね」と聞くとこれまたいかにも京女らしい古びのついた(冗談です)お内儀が「ほほほほほ、それはまあ、お客さんのご様子を拝見しながら。ほほほほほ」ということであった。飲み始めて十二時間めというような状態ならともかく(時々ある)、たかがビール一本・徳利二本で酒品を論われることは無い、という自信がある。なるべく荘重らしい声にて「もう一本」と頼んでみると、富樫女将はあっさりと「よろしおっせ」。呑兵衛弁慶の面目をほどこした次第であった。※ちなみに荻氏が書いたお内儀はとっくに亡くなっている。

 はじめに書いたとおりこの日は祇園祭の宵々山。あまり遅くなったら大阪行きの阪急も京阪も大混雑することは目に見えている。だけどなにせ五時の開店とほぼ同時に入ってたかだか徳利三本程度であるからして(あら、やっぱり恨みがましくなってしまった)、時間はまだまだある。

 二軒目は、先ほど木屋町辺りを歩いていて見つけておいた「サンボア」。寺町の方の店は何度も行っているがここは初めて。益田喜頓そっくりのマスターと向井理そっくりの息子さんでやっている店。「ますだ」でも思ったが、きっちりと商売をしている(勤め人か客商売かという別ではない)男の声で「お入りやす」、より精確には「お入りやすっ」と言われるのはじつに気分がいいものですな。

 人を逸らさない息子さんと飄々たる風貌のマスターと談笑しながら、珍しくバーボン以外を呑む。アイラウイスキーはそんな得意な方ではないのだけれど、ここで呑んだアードベッグのperpetuumという銘柄、芳烈でよかった。「ますだ」といいここといい、京都に遊んだときの拠点が出来たようである。

 結局店を出る頃には高瀬川の水は夜闇の中にしっとり溶け込んでいたのだった(だから阪急は大混雑)。

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