ミントのお茶を

 某ハンバーガー屋に見られるとおり(今は某牛丼屋も含むべきか)、料理はグローバル化の波に乗りやすい一面もあるけれど、それは普遍化できる部分だけがそうなっているのであって、生まれた土地に根ざした本質はそうそう変わらないとも言える。鶴來の町で呑む萬歳楽はさすがに旨かったなあ、そういえば。

 だからよく書けた料理の本とはつまり、その料理が生まれた土地への誘いというエッセンスを芯に持った本といってもいいだろう。逆にいえば、単なるレシピや店の紹介にとどまっている類は、どれだけ親切で充実していても、つまるところマニュアルに過ぎない、という気がする。その証拠に二度読む気にはなれない。行ったことのある町の空の澄み方、水の匂い、ことばのアクセントの描く曲線(そうそう、ことばこそ土地との結縁をいちばん強く守っている宝箱なのだった)を想い出すのもいいけれど、やはり未知の国からの誘惑は格別。

 エットハミ・ムライ・アメド、寺田なほ『モロッコの台所』(KTC中央出版)は、名前の通りモロッコ料理について語った本。少なくとも鯨馬にとっては理想的な「料理の本」だった。すなわち、読み終わった途端猛烈にモロッコに旅したくなった。

 モロッコ出身で、今は日本で料理教室を開いている著者が分析するように、モロッコ料理の魅力とは結局複数の文化(ベルベル、アラブ=イスラーム、フランス等々)の混淆によるのだろう。食べたことはないので、断言は出来ないが。

 特に惹かれたのは器の見事さ。巧緻と簡浄とが矛盾なく融け合っている趣である。銀で作られたミントティーのセット(モロッコの人たちは一日に何杯も、これを飲むらしい)や、幾何学模様がびっしり描かれたフェズの陶器など、見ているだけでため息が出てくる。

 その時に感じる、切ないような思いを玩んでいるうちに、寸分の狂いもない精緻さで模糊たる思念を紋様化したことばとしていつも浮かんでくるのが、「ただ秩序と美、奢りと静謐と、そして愉楽のみ」。少しでもボードレールの詩業に親しんだ方なら誰もうなずいてくれるはずと思う。こちらがまだ見たことさえないその地では、太陽は夢見ながら沈んでゆき、世界は熟した光線の紫と黄金(きん)の裡に眠りに入るのである。

 典型的なオリエンタリズムじゃないか、などというなかれ。この夢想は現実のオリエントに局限されるのではない、西洋であってもわが日本であっても、そして今現に暮らしている町さえ対象として揺らぎ出るものなのだから。強烈な「L'invitation au voyage」を抱き続けた詩人自身が別のところでいっているのだ、「この世の外であればどこへなりと」、と。

 ちなみに、料理は土地固有のものと力んでおきながら、この夏「レモンのコンフィ」は作ってみるつもり。有言実行はかくもむつかしい。

モロッコの台所

モロッコの台所



※来週末からヨーロッパに旅行します。三週ほど更新はお休みします。
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