一週間のヨーロッパ(1) ラインに日は暮れて

八月八日
 地下鉄大倉山の出口で同僚でもある芒男を拾って、ポーアイのベイシャトル乗り場まで行く。六時台からすでに湿熱耐え難し。
 芒男は元々ドイツの某日本企業で働いていたから、ヨーロッパの旅には慣れている。眷恋の地ながらいまだ訪れたことのないこちらにとってはうってつけの案内人である。先達の旅装はさすがに身軽。こちらもだいぶん荷物を削ったつもりだったがまだまだ無駄が多そう(事実そうであった)。
 九日間滞在してむろん感じたこと考えたことが無い訳はないにしても、その精髄はたぶん極めて私的な事柄に属するものだから書いても大方ご退屈さまであろうし、そもそも九日ごときの駆け足旅でもっともらしい比較文化論を振り回してみても仕方がない。すなわち見たもの聞いたことをなるべく簡潔に記していくのみ。旅上での備忘録に毛が生えた程度のものである。
 KLMの飛行機で、まずはアムステルダムスキポール空港まで。飛行機の座席はいわば車上かつ枕上であって(さすがに厠上ではない)、読書がはかどることこの上なし。持ってきた本がすいすい読めた。隣に座っていたのは同志社大学グローバル地域文化学部(なんちゅう名付け方だ)の学生さん。学部の規定で留学が義務づけられていて、彼はアイルランド西部の何とかいう大学に九月半ばまでいるのだそうな。まだあどけないといってよいような顔つきだが(まだ十九才−こちらの年齢の半分以下(!)−)、しっかり話が出来る。ヨーロッパへは何をしに行くのかと尋ねられて「ビールとワインを呑みに行くのである」と答えると、鳩豆の表情は一瞬、すかさず「アイルランドでは十八才から飲酒可能なので、ぼくも黒ビールを飲んできます」と返してきた。どうぞ学問に精進してください、と別れる。
 十二時間の長丁場ながら、時差はマイナスなのでさほどきつからず(後に痛い目に遭うのである)。想像したほど涼しくもなし。スキポールは工事中でややほこりっぽい雰囲気。ここで乗り継ぎをしてデュッセルドルフに向かう。乗り継ぎは三十分ほど。昨年山形は酒田に遊んだときは羽田で三時間待たされたことを思い出して苦笑する。 
 デュの空港では芒男の友人であるススムさんが車で迎えに来て下さっていた。デュは日本人駐在員の多い街で(人口の一%に当たるらしい)、コミュニティもできあがっているのだそうな。ススムさんと芒男もそのコミュニティでのサッカー仲間とのこと。
 ススムさんはこれまた日本人が経営するスーパーの店長。ヨーロッパ各都市での食料流通事情には興味があったので、実地検分してみたかったのだが、驚いたことにこの春、漏電による火災で丸ごと焼けてしまったのだそうな。かかる事情なれば是非も無し。ただ、さらにびっくりしたのは、再建工事のかなりの部分をススムさんはじめ日本人スタッフが自分たちでやっていたこと。たいがいの工事なら一般人でやってしまうとのこと。芒男曰く、「部屋を借りても、キッチンが付いていないことはざらにあるので、そのときは自分で取り付けるところから始めます」。
 ホテルは長期滞在する日本人向けの所。部屋も大きく、キッチンもしっかりしている。ただ、あまり風儀のよろしい一帯ではないらしく、鍵は三重。夜ともなるとあちこちに売春婦が立ち、スリも横行していると聞いた。手に持って話してる最中のスマートフォンが持って行かれるというからおそろしい。もっともこの旅行ではイタリアも含め、その手の被害には一切遭いませんでした。我ながら剣呑な目つきの男二人組が、半パンにサンダルぺたぺたと歩いてるのだから、スリも食指が動かなかったに違いない。
 さて夕食。チェックアウトを済ませると、ホテル前にはススムさん他これまた芒男の友人二人が集まっていた。ヴェトナム人のフォンさんは運送会社経営。永井くんはこちらの美大を卒業した絵描きさん。さながら同窓会のノリであるが、オノボリさんのためにいかにもデュらしいコースを付き合ってくれる。といってもそもそもがビジネスセンターの街なのであちこちを観光して回るわけではなく、ライン河畔でビールを呑もうという計画である。
 目抜き通りを抜けて歩いていくと、アルトシュタット(旧市街)。それらしい古びた建物ことごとくがテラスを出している。つまり一帯すべて飲み屋さんという按配。そこにわらわらわらわらわらわらわらわらという感じで人が群れている。タトゥーだらけのいかつい若者も多いが、腕を組んだ老夫婦もあちこちに見られるので物騒な感じはしない。
 一軒目はZum Schlüsselという店。デュでも有名な、古典的なビアホールとのこと。せっかくなのでドイツらしい料理を頼む、というより皆さんが選んで下さる。ビールは黒ビールに近い色のアルトが勝手に運ばれてくる。グラスは案外小さい。
 名物に何とやらとは言うが、レバーのソーセージも血で作ったソーセージも、豚の生肉を叩いたものに玉葱を混ぜて黒パンにのっけて食べるミットも美味しく食べられた。旅人の感傷にはあらず。食材をとったなりの形で出しているような料理だから、不味かったら食えたものではないはずなのである。もっともソーセージの香辛料配合一つにしても磨き上げられてきているには違いない。ただし豆とソーセージを煮込んだズッペは当方の口には合わず。食べつけていたら懐かしくなるかも知れない、という味。
 次の店はまさしくラインのほとり。この地は高緯度なので、八時でようやく暮れかかるというところ。川向こうに落ちてゆく太陽を眺めながらラインの川風に吹かれるのはやっぱり気分がいいものである。その川面を前に、ここもやっぱり大盛況の店でさらにビールを呑む。かなり涼しいのだが、味が濃厚なので結構呑み続けられる。ただし周囲の客は大ジョッキをがぶがぶという感じではなく、タンブラーをちびちびとという感じでやっていた。水みたいに安いのだから、まあ、おしゃべりの間の手というところか。これはノルトライン=ウェストファーレンでの見聞であって、ミュンヘンハンブルクではどうだか知らない。
 十時くらいかな、ここを出たらさすがに暗くなっていたけれど、人はますます増えている。大晦日のアメ横みたいな賑わいである。老いも若きも呑んでいる。男も女も呑んでいる。白いも黒いも呑んでいる(おおそうだ、黄いろいのも)。
 三軒目。「もう少し豚が喰いたいなあ」という呟きを耳ざとく拾ってくれて、ローストが有名な店へ案内して頂く。ノート大(ホントですぞ)の肉のかたまりにぼてっとマッシュドポテト、どしゃっとザウアークラウト。「ドイツ、でやっ」的組み合わせである。美味いのだが、さすがにこの分量はこなすのがやっとだった。
 ラストはなぜかカラオケ(!)。フォンさんが「タイ人がやってるところ。面白いよ」と誘ってくれた。日本だって滅多に行かないのに、デュで歌うというのも風流なものである。それに小綺麗な観光名所ばかり見て回るような旅行をしても面白くないと考える人間なので、「何でも見てやろう」(古いですな)的に食指が動いた。
 さてその店ですが、通りの側は立派な料理屋ながら、奥にはだだっ広い大部屋にテーブルが点々と。ステージまで用意されたところにミラーボールが回っているというシロモノである。客はお見受けするところタイ人ばかり。
 本もデンモクも無い。店員に聞くとYouTubeで探せ、とのことらしい。「斬新なスタイルやなあ」と芒男と二人しきりに感心しながらがぶがぶとジョニ黒の炭酸割りを呑む。やけのやんぱちで尾崎豊をがなってようやくお開き。朝五時まで飲みつづけというのはふだん通りだが、十二時間飛行機に乗って来た直後から十二時間、と考えるとよく保ったものである。ホテルに帰って『強力わかもと』を嚥み、炭酸水をがぶがぶ呑んでベッドにぶっ倒れた。明日はケルンの大聖堂見物。

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