一週間のヨーロッパ(2) 聖なる森

八月九日

 鉄道でケルンに向かう。朝食は駅前のパン屋で買ったサンドイッチとコーヒー。パン、ハムともによし。『わかもと』のおかげか、特に二日酔いも無し。

 こちらとしては「大聖堂の町」というほどのイメージしか持っていなかったが、芒男によるとデュよりもよほど大きな都会だとか。そう言えば車中では牢獄系(?)コスプレをした女の子二人組を見かけたが、ケルンのメッセでのイベントに参加するようである。このコスプレがなんとも質実剛健にして野暮ったい。可笑しくて仕様がなかった。

 とは言っても、ケルンの大司教神聖ローマ帝国選帝侯の一人で(実はこの神聖ローマ帝国というのも、選帝侯というのも空々漠々としてさっぱり実体が分からないのだけれど、それはともかく)、つまり相当の権勢を誇っていたわけだから、カテドラルが町の中心であることには違いない。そんな予備知識などなくても、列車でケルンに行けば誰だってそれを実感するはず。中央駅に到着する前から大聖堂の尖塔が黒ぐろとそびえるのが否応なしに目に入るのである。

 時間に余裕があるようなので、まずは町歩きから。大聖堂を中心とした地区には古い建物が多いけれど、やはり観光客が大勢歩いているせいもあって、全体にさほど閑雅な趣はない。ないがしかし、どこからでもふと振り返ると例の尖塔が見えるから、町全体が磁力線みたいなものにそって形成されているように感じる。それくらい強烈な印象を与える建物なのである。

 磁界の中心に飛び込むまえに腹ごしらえ。ライン川沿いに瀟洒なテラスを出したレストランが並ぶ。芒男に言わせれば「観光地価格」とのことだったが、朝簡単に済ませたぶん、多少高くてもいいでしょう。

 ドイツに来る前、愉しみにしていた一つは魚料理だった。わざわざドイツで魚を食べなくても、と思う人もいるでしょうが、マンの小説などに出てくる鯉を煮たものや燻製の鰻などにちょっと憧れを持っていたのである。日本では一般に川魚の食文化というのは根付いてないから。鰻は例外。

 しかし、品書きにはさような料理はまったく見当たらず(英語も添えているので何とか判別できる)。かわりに鰊のサワークリーム和えというのを注文した。海魚にせよ、鰊ならば鱈と並んで北国ドイツにふさわしい魚だ、たしかオランダとイギリスも鰊の漁場をめぐって熾烈な争いをしてたはず。などと考えながらジョッキのビール(一リットル)を呑む。デュの人間がいうところの、「デュのアルトビールを馬に飲ませて作ったのケルシュ(ケルンのビール)」である。すなわち馬の小便というわけ。品は無いけれど、故郷自慢兼隣町の悪口としては出来がいい方だと思う。なんといっても地ビールで対抗するというのがのんびりしていてよろしい。

 さてその鰊料理ですが、酢漬けにした鰊の切れ端がサワークリームの海に泳いでいるという見た目。ふと列車で見たコスプレの泥臭さを思い起こしたことであった。味付けも同様。鰊は「いづ卯」や「澤藤」の如き芸術的な微妙な〆加減とは違って、徹底的に酢に漬け込んだという感じ。サワークリームも、さすがにケッパーくらいは混ぜているが、スパイスやハーブを巧みにあしらっているふうではない。これは決して悪口ではないので、憂鬱な空の色とそれを映したラインの水を眺めながら食べるのには恰好の一皿と評してもいいくらいである。それに、鶏卵大のジャガイモ五つと(数えました)、ジッポのライター大の鰊一七切れ(数えました)で一五ユーロは(円安さえ考えなければ)そう高い値段ではない。

 充分にエネルギーを補給してから、カテドラルへ見参する。ファサード前でそびえる巨塔を見上げる。色あくまでも黒く、無数の尖塔は競うがごとく天上へ触手をのばし、重力に耐えながらひとはその場にようやく立つことを得るのみ。こちらは耐えかねてへなへなとくずれるようにへたりこむ。

 十分ほど放心して見ていた。気付くと落涙していた。その所以については、(1)のはじめに記したとおり、書くことはない。ただ、石川淳『至福千年』の中に、プロテスタントとは西洋の心学講釈程度のものか、という趣旨のことばが出てきたのを想起したことを記すにとどめる。

 聖堂のなかに入る。観光客で溢れかえり、縁日の門前のよう。例によって例の如き撮影大会となっている、その隙を飛鳥(怪鳥か)の如く縫いながらあちこちを見て回る。数え切れないほどの石の聖者、彩絵ガラスの聖者たちが見下ろしている。ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』がそっくりそのまま立体的造形となって揺らぎ出た趣。ヒエロニムス、アンブロシウス、アタナシウス、と名前を辿って歩く。

 そして内部の天。外側から見る尖塔は開かれた天の下にあるにも関わらず覆い被さってくる印象を与えるのに対して、鎖された穹隆において、並び立ち、交叉し、つかみあう柱が無限の「上」へと想いを誘う。これぞゴシックの神髄というところか。鐘は鳴っていなかったが、鐘や聖歌が無くても、空間いっぱいにたえず音楽が響いていることは誰でも感得できるはずである。またも涙が出た。

 厳密精緻な計算のもとに刻まれ組み合わされた石の、途方もない堆積はしかし、大きな森の中に迷い込んだかのような錯覚を見る人に与える。かつてヨーロッパを覆い尽くしていたオークの大森林のレミニッサンスが、オークを聖なる樹木と崇めた人々の信仰を滅ぼすことに躍起になった宗教の殿堂(まさしく)の中に生き残るとは、皮肉な話ではある。それとも自足した小世界はすべて相似の容貌をとるにいたるということだろうか。ともあれのっけからたいへんな見物をしたことだった。

 芒男は幸いにも教会やら美術やらにはとんと興味のない男だから、こちらが茫と見つめているのをほったらかしにして待っていてくれる。これは旅の日々を通じて変わらなかった。

 カテドラルを出て、芒男の知人と待ち合わせ。シンヤさんはさるメーカーの、欧州における営業総元締をしている人。アウトバーンを二百キロですっ飛ばしながら数々の秘話を賑やかに語ってくれたが、残念ながらこれはここには書くことが出来ない。

 フランクフルト・アム・マイン着。隠れもないヨーロッパ金融センターであって、遠くからでも高層ビル群が目立つ。つまり周囲の風景から完全に浮き上がっている。「フランクの人間は自嘲半分にこの眺めを、マインハッタンて呼ぶんだよ」とシンヤさんが教えてくれた。なるほど。

 ケルンで心動かされた、と聞いてまずはフランクのカテドラルに連れて行ってくれた。絵やステンド・グラスよりも彫像が多い。見る側がいささか過充電の気味もあってか、彫像はちょっぴりキッチュに映る。一日にいくつも聖堂を見るものではない。

 というこちらの心中を見抜いてかどうか、次に一行が向かったのはカイザーシュトラーセ。いわゆる風俗街である。明らかにラリってる兄ちゃんやアル中のおっさんが日中からたむろする見るからに剣呑な一角であって、シンヤさんくらいの通の案内なしでは大天使といえども足を踏み入れるのに躊躇するようなところ。ただし女たちはじつにあっけらかんと春をひさいでいる。ビル全体が売春宿となっていて、各自部屋の前に下着だけの格好で客を待つというスタイル。扉が閉まっているところは客が入っている。出身はスロヴェニアクロアチアなど。目をむくような美女が暇そうに客待ちしているのは、シンヤさん曰く「やっぱりなんか難があるということ」。

 日曜の夕方だったが、部屋は九割方ふさがっていた。我々は冷やかしのみ。「カイザーシュトラーセと名前の付いたところに売春街を作るとは洒落た趣向やな」と言うと、芒男「皇帝陛下がスケベ親父だったのではないですか」。なるほど。表敬というわけである。

 だだっ広い商店街(露天)をぶらぶら歩いて夕食の店へ。日曜日は店を閉めるのが当地の習慣であって、百貨店が並ぶ目抜き通りもしずかな雰囲気で、人々はのんびり散策している。

 ただお目当てのスペイン料理屋も閉まっていたのは残念。開いている店を探しながらさらに歩く。風が乾いているので、汗を意識することなく歩けるのが助かる。

 夕食はイタリアン。アンティパストとパスタのみの軽めの食事でゆっくりワインを飲む。当方は仔牛のツナソースと、スカンピ(海老)のパスタ、ウオツカとレモンのソース。久しく生野菜というものを食べていない気がして、芒男が注文した生ハムの盛り合わせに添えられたルッコラ(どさっと盛られている)をもらって食うと、なんだか身にしみるように旨かった。ワインはシチリアの赤。最後にグラッパを乾して終了。

 シンヤさんはフランクにお住まいなのでここでお別れ。我々二人は列車に乗ってデュへ戻る。今日もよく歩いて、疲れてはいたけれど、ベッドにもぐり込んでからも、しばらくケルン大聖堂のアーチの描く線を辿り直していた。


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