一週間のヨーロッパ(6) Et in Arcadia ego

八月十三日
 ミラノの朝。心地よく冷えた空気の中を、でっかいカバンをかついだ男がひたすら歩く、歩く、歩く。

 「ホテルからすぐ」のところにイタリア一というサッカー競技場があり、その建物がものすごいので見に行きましょう、とのこと。高校から社会人までずっとサッカーをやってきた芒男はともかく、こちらはサッカーには(野球にもテニスにも)ちっとも興味が無い。そんなものを見てるくらいなら、カフェでゆっくりお茶でもすすっていたかったのであるが、まあ芒男にはずっと面倒かけてるし、と付き合う。

 しかしこれが遠い。嘘やん、嘘ですやん、にいさん!「すぐ」どころか三〇分以上はゆうに歩いてますやん!まだしも途中の風景(競技場がある公園の周囲は高級住宅街とおぼしく、品のあるたたずまいのアパートがずらりと並んでいる)を愉しみながら行くなら気も紛れたのに、何を考えているのやら我がメフィストは脇目もふらずずんずんずんずん進んでいくのみであった。そりゃあまあ、それくらい荷物が軽けりゃアタシだって軽快に歩いてみせますよ、と内心ぶつぶつ言いながらひたすらついていく。

 競技場の建物はなるほど莫迦みたいに(どうも我ながら棘がある口調だ)壮大で目を引くデザインではあるが、所詮は玉転がし場である。憮然とした表情を隠しきれなかったようで、「中央駅まではタクシーでいきましょう」と車を探してくれた。やれやれ。

 さて朝からごった返すセントラーレに着いてヴェネツィア行きの切符を買おうとすると、二時間以上も列車がない。向こうに着くのは昼を過ぎてになりそう。今回の旅の主目的はヴェネツィアのはずだったのだが。

 駅ナカで二時間一緒にいてもお互い不機嫌を移しあうだけになりそうだから、しばらく自由行動とする。とはいえ重たいカバンを引きずってこれ以上歩き回るのはごめんだし、そもそも何か見物しようにも駅の周囲にはなんにもない。

 朝何も口にしていなかったので、まずは手近にあったマクドナルドに飛び込んで飯を食う。美食の国に来てジャンクフードというのも乙な趣向ではないか。というのは純然たるやせ我慢であって、涙がぽたぽた垂れそうになるほど不味かった。イタリアなら刑務所でももっとましなものを食わせるのではないだろうか。

 薬局で歯ブラシなどを買った後、なんとなく駅構内をぶらぶらしていると本屋を見つけたのでそこに入った。結構大きな店。イタリア語は読めない人間でも案外(品揃えなどを見て)愉しめるものである。もっともこれは本屋だから言えるので、サッカーショップだったらことばは不要であっても退屈していただろう。おや、まだ恨みに思ってるのかしら。

 さすがにイタリア語の本を買っても持てあますだけなので(本は重い上にかさばりますからな)、Books in Englishのコーナーで二冊もとめた。ルイジ・バルジーニ『イタリア人―その風俗とモラル』と、ピーター・デピーロ&メアリ・デズモンド・ピンコヴィッシュ『sprezzatura イタリアの天才達が世界をつくった50の方法』。ルイジ・バルジーニという名前には引っかかりがある。たしか『ヨーロッパ人』という本の著者ではなかったか・・・(そうだった。帰国後、本棚で見つけた。みすず書房刊)。後者の題名にあるsprezzaturaとは、ウィキペディアで調べたところ、「たいへんな難事をあたかもまったく努力していないかのように無造作にやってのけたかのように見せること」であるらしい。ルネサンスの「趣味の判者」、カスティリオーネの『宮廷人』に出てくるのだそうな。なるほど茶の湯や江戸の着物・家造りの美意識に通じるところもありそうな概念ですな。後者はまるで「世界史はすべてイタリア人によって動いてきた」とでも言いたげな、ゴキゲンな副題であるが、要するにダンテ、レオナルド、聖フランチェスコといった天才列伝である(こうあげてくると、しかしやっぱりイタリア人すげーなー)。

 まあ、両方とも深遠高尚な研究書というものではないから、駅のベンチに腰を下ろしながら流し読みするには恰好の相手である。「イタリアにやってくる観光客はみなイタリア語を話そうと躍起になる。ごく少数はそれに成功する。残りの大多数はそれに成功したと思い込んでいる」なんて記述を読んで苦笑してるうちに時間となった。

 トレニタリア車内でも本を読み続ける。画家は別にして、「歴史を作ったような天才」として日本で知られるイタリア人は少ないなあと改めて思う(イタリアへ留学に行こうっちゅうやつでさえマンゾーニの名前知らなかったもんなあ)。それくらい明治以来の西洋崇拝は英仏独に偏していたということである。前の座席のカップルがしきりにいちゃいちゃしておる。芒男と二人、「どう見ても不倫ですなありゃ」と意見が一致した(もちろん日本語で)。

 サン・マルコ駅。シロアリの塚に踏み込んだみたいに観光客が群れている。全員うわずって話す声がわんわん反響して気が遠くなる感じ。空男二回目の出迎えを受けて、まずはホテル探し。世界一の観光地で、しかもヴァカンスまっただ中というのに、大丈夫だろうか。と思っていたがあっけなく見つかった。階段は狭いが、部屋はまずまず。ともかくクーラーがあればなんとかなるであろう。ぴちっと閉まらない鎧戸はまあヴェネツィアらしい色を添えたとしておこう。

 身軽になった後は夕食まで街歩き。以下なるべく観光案内とならぬよう、極私的な感想を書きつけてゆく。眷恋の街にようやくたどりついたのだから、いつも以上に美文調が強くなるのは、読者のみなさん、諒とせられたし。

 大きめの通りと、そしてもちろんサン・マルコ広場は通勤ラッシュ時のプラットフォームくらい観光客で溢れかえっていたが、空男によるとこれでもまだ少ない方らしい。カーニヴァルの時季だとすさまじいことになるんでしょうな。

 しかしひとたび角を折れて影の多い小路に踏み込むと、途端に訝しくなるほど人の姿は消え、凪いだような物憂い静寂が歩行者にすがりついてくるのだった。その静寂にしてもまたひとつ角を曲がるまでのことであって、派手な色彩に身をつつんだ旅行者の群れが、舞台監督の合図一つ、一斉に動き始める役者であるかのように奇妙にリアルさを欠いた様子でふわふわと湧いてくるのだけれど。

 この仕掛けは大いに気に入った。というような能動的な感情ではなく、蠱惑にとらえられたというのが正しかったのかもしれない。ともあれ、当初考えていたアカデミア美術館見物やムラノ島へのガラス工房探訪もぜんぶ取りやめにして、ベンヤミンいうところのフラヌール(遊民=遊歩者)の役回りに埋没することにした。昨日のミラノで絵を見すぎていささか食傷気味だったし(これでティツィアーノの大作に接したら目は盲い、耳は聾するおそれがある)、なにより街の表情それ自体がすぐれて絵画的(かつ演劇的)だったせいが大きい。人はここに来たら目だけの怪物と化してしまうようだ(ブロツキー)。

 サン・マルコ広場。インド系とおぼしき二人の結婚式に行き逢う。純白のレースの泡におぼれそうな新妻はまことに美人。そのまま空に舞い上がってしまいそう。そう、事実風は鳩を受胎するのである。

 寺院は豪壮を極めているが、そして決して様式的な不統一感があるわけではないのだが、精神性などといういかがわしい瘴気は微塵もこれを帯びることを許さず―いや、黄金と享楽以外には絶対信を置かないという堅忍不抜の意志が純粋に結晶しているというべきだろうか―、ほとんど俗悪に近い危うい一線で踏みとどまっているというまさにその点においてこそ、長い凋落、豪奢な頽廃を生きる都にふさわしい魅惑があるのだ、というのはあまりにひねくれた見方だろうか。その通り。どうやらこの街に惚れてしまったような具合である。もっと精確にいえばヴェネツィアなる水妖に憑かれた男の言うことなれば、いささかも信用すべからず。

 何でもない路地と広場をちょろちょろしているだけで実際満足していたのだが、空男氏にお願いして案内してもらったのはソットポルテゴというヴェネツィア独自の都市空間。簡単にいうとトンネル状の通りなのだが、水都だけあってその道の半分は運河に向かって開かれており、そこから差し込む光が反対側の壁にアーチを支える柱の影を映し出すというつくり。ポルテゴの一方の端がそのまま橋につながっていることも多くて、その屈曲が視界に綾を生みだす。多くのポルテゴ内の壁龕にこの地でことのほか敬慕される聖母マリアの小像が祀られており、それが特有の内密さを与えている(以上、陣内秀信『光と陰の迷宮(ラビリンス)案内 ヴェネツィア』という好著に多くを教えてもらいました)。数え切れないポルテゴがあるらしいから、こちらがわずかに歩いて見ることの出来たもの一々について印象を記しても仕方ない。ただどれも、やはりごく世俗的な雰囲気のくせに奇妙に非現実的でもある、という二重性を濃密に湛えていて、そのふわふわ感がたまらない。絵のような、という形容はふつう端正で緩みのない構図をもっているという意味で使われるのだろうが、ここでは同じことばが、絵のように奥行きを持たず、だからつかみどころがなくって、でもその分妙な存在感を放射する、というまったく逆のニュアンスに転化してしまうのである。

 途中リアルト橋の裏手すぐにある空男のアパートメントへ。階段を上って昼でも暗い廊下の奥、重い木の扉を開けると瀟洒なしつらえの部屋が広がっていた。髭の意休か斧九太夫かはたまた空男かという野暮天には随分過ぎた、洒落たつくりである。ただ床はボールペンが転がってゆくほどの傾斜があるそう。この落差がまたいかにも、という感じで、よい。そしてここでもやはり、リアルトの喧噪が嘘のよう、窓の向こうではテラスで店の主人とおぼしき老人がゆっくりとお茶を飲み、隣のアパートの屋根には物騒な目つきのカモメが一羽凝然ととまっているのだった。

 休憩したあと、待ち合わせの場所に向けて散歩再開。こちらの要望で、小さな通りの角にある文具店に連れて行って貰う。小さな構えだが、一見してホンモノと分かるシックな内装。別の店で見たマーブル紙の色彩が綺麗だったので、これをお土産に買っていこうとすると「ならもっといい店があります」と言って来たのがここ。例によって観光客でごった返す中、店内は棺桶の中のように静まりかえっていた。そもそもここは道に面した戸口両方ともに鍵を掛けていて、ふらっと入れないように出来ているのである。なるほど、この高雅な空気の中にリュックかついだ連中がわさわさ押しかけたのでは台無しだわな。自分たちもその一員なのであるが。

 だが主人はちっとも高慢そうな様子もなく、「栞がほしい」と言うとあるだけの品を台に並べて見せてくれる。なんでも日本で言うと幕末か明治初め頃から続いている店なのだそうな。今でも家族だけですべての品を手作りしているという。

 元々モノに拘らぬ性分である(珍しくレンブラントフェルメールの絵葉書なんぞを自分用に買うと、カバンごと無くす羽目に陥る)。この栞も、旅先では必ずご当地ものの栞を買いたがる我が愛妻(一週間すっかりその存在を忘れておりましたが。わはは)への土産のつもりだったが、マーブル模様と、紙に結ばれた紐と、緒締めのガラス玉との取り合わせが変幻自在で、自分用にもひとつ、もとめることに決めた。製法上、ひとつとして同じ模様は無いわけだから、色目は近くても模様の趣は随分異なる。選びあぐねて「決めるのが難しい」と店主にいうと(空男に通訳してもらうと)、返答がふるってたね。「色はそのまま心の吹き上げなのだから、選択に迷うのは当然である」と来た。仔細に検討して三つを選ぶ。一つ十二ユーロは高しとせず(店名はたしかKALISMA)。

 さて我が心の吹き上げはいかなる彩りを放ち、いかなる象(かたち)を描き出しているのか。判定は愛するなっちゃんに委ねることにする。

 途中のジェラート屋で一同「エレガントである」と褒められた件については空男ブログ「水都空談」をご覧下さい。

 待ち合わせにはまだ少しばかり時間があるとのことだったので、近くのバーで一杯引っかけていく。空男は辛口の白ワインにチンザノのようなリキュール(アペロールというんだって)を混ぜ、氷を充たしたスプリッツというカクテル。最近お気に入りらしい。教えて貰った芒男もすっかり気に入ってこれを頼む。鯨馬は横のネエちゃんが飲んでいたなにやらミントを浮かべたカクテルが涼しげだったのでそれを注文。

 さあ、そこからが大ごと。イケメンバーテンダーが、優雅にして演劇的(とはつまり強烈に観客の視線を意識してるということ)な表情と手つきで、じつに丁寧に氷をクラッシュし、ステアし、ミントをグラスに盛り上げていく。やれやれこれで完成かと思っていると、これまた魔法使いのような指使いで粉砂糖をふりかけるという念の入れよう。「ええ見ものどした」とチップを上げたくなるような手際ではあった。酒はバーボンとシロップ、炭酸水を混ぜたもの。身ぬちに涼風が吹き抜けていくような爽快なカクテル。わっさーと盛られたミントがまた強烈にみんとみんとしているので、噛んでると目の前に火花が散りそうな。まあ、おかげで長時間の街歩きの疲れも癒えたとしておきましょう。

 七時半前に先輩のご一家(ご夫人・子ども二人)と合流。次男もすっかり大きくなって兄と二人賢しくつねになにかかにかしゃべり続けている。多分合うのは五年ぶりくらいだし、当然芒男は初対面なのだが、まったく人見知りしないのは大したもんだ。

 夕食は空男が選んでくれたトラットリア。あっという間に一杯となった上に何組も何組も断っていたから、よほどの人気店なのだろう。客は観光客が七割というところか。しかし悪ずれした気配はなく、味もサーヴィスも誠実なものだった。店を仕切っている象のようなマンマだけは敵に回したくないモノだとしみじみ思う。

 注文は以下の如し。
○帆立貝のグリエ・鰯の南蛮漬け(といってしまうと身も蓋もない感じだが、つまり焼いた鰯を酢とオリーヴ油に漬けたあれ)
○蛸のパスタ(飯蛸と思っていたがもう少し大ぶりで柔らかい。ジャコウダコというそうな。蛸墨?で仕上げている)
○アカザ海老のパスタ(トマトソース)
○帆立とブロッコリーのパスタ(ニンニクとオリーヴ油)
○鱸のグリエ
○鮭のグリエ

 個人的には蛸のパスタが絶品であった。鱸・鮭は日本のもののほうがちょいと上か。まあしかし、日本でだって吟味しないとひどい鱸に会うことはしばしばあるから、これは言うだけ野暮というものである。酒は白・赤一本ずつ。なにしろ飲み助が三人そろっているからぺらりと空いてしまう(先輩ご夫妻はどちらも呑まない)。ワインはピエモンテトスカーナのやつを奢ったのだが、それにしても安い。こうして書いていても涙で視界が霞んでくるほどである。

 さらに個人的にいうなら、栗のポレンタや干鱈を牛乳で煮たものや烏賊墨のリゾットや子牛レバーの煮込みなどまだまだ食べたいものがあったけれど、どうせまた行くに決まってるのだから、これは次の愉しみとしておいた方がいいのである。

 息子二人はすでに店内で舟を漕ぎはじめていたので、ご夫妻とはここでお別れ。我らは続いてぶらぶら歩き。目に付いた一杯飲み屋でビールやワインを引っかけながら、酔歩蹣跚(注に言う。空男及び芒男のみについて言う)宿へと向かう。さすがに街は夜色の中に沈んでいたが、地元の人間・観光客合わせて皆さん元気なものである。あちこちで盛り上がっている。

 最後に入った店では、料理修業に来ているという日本人及び東京で何年か働いていたというヴェネツィア人と会う。まあ旅の醍醐味というところか。闇を映してたぷたぷ揺れる運河を前に、ヴァルポリチェッラという赤の銘醸をすすっていると、またしても自分をふくめ周囲の人間すべてが書き割りの中でなめらかに、そう、魂を持たない人形のようにあまりにもなめらかに仕草を決めている気分にとらえられて、そのまま水の中に溶け入りそうになっているところに、またこの赤がやや甘口で、あたかも媚薬のようにこちらの精神に作用してくるのである。夜よ長かれ、死の翼の我らを抱くまで。

 大いに詩的情緒を盛り上げていた鯨馬(重ねて注して言う、酔ってるには非ず)、ホテルに戻るとすでに表扉は閉められており、呼び鈴を鳴らせば、ランニングにトランクス一丁の太った親爺が目をこすりつつ鍵をのろくさと開けるに至ってようやくぐったりと疲れが出てきたことだった。
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