犀のいない動物園

 久々の青天。こういう日は家でごろごろしてもつまらない、映画や美術館でももったいないよな、と彼女と相談して動物園に出かけることにする。

 一時期王子公園に住んでいたから、そしてその頃はまあカネが無かったから、本を読むにも飽いた午後などよく出かけたもの。二人ともずいぶん久々の動物園ということになる。一緒にサンドイッチをつくって青空の下「あ〜ん♡」、てなカップルでは御座いませんから、お昼は水道筋商店街の『な也』でうどん。特にまずくも、うまくもない味がそれこそ大学生の時代から変わっていないのがちょと懐かしい。

 さて動物園。平日のこととて客はちらほら。陽射しは強く、涼しい日陰を選んで歩く。

 王子といえばなんといってもパンダ(ということになっている)。さすがにパンダ舎の前(ただし屋内)は人だかりがしていた。実にものうげな風情で笹をむしゃむしゃ。食べ終えたかと思うと、正面の出入り口にあるコンクリートの出っ張りに、向こう向きになって頬杖を・・・パンダが頬杖をつくわけはないけれど、そう思いたくなるくらい倦怠にみちた後ろ姿だった。それはそれで風情があるといえなくもない。

 一体に動物たちが弛緩した様子に見えたのは、見物が少なくてリラックスしているのかそれとも身が入らないというところか。しかしパンダと同じく、なんともいえない倦怠と憂愁こそが獣たちの一種神秘的な魅力の源泉なので、日向ぼっこするアザラシも氷を一かけなめてはすぐへたりこんでしまう北極熊もあられもない姿態で昼寝するカンガルーもそれぞれに見て楽しかった。

 もっとも威勢よく動いて回る動物は、もちろんそれ以上に可愛らしい。こちらごひいきのレッサーパンダ(ガイアくん)が大きな尻尾をゆらゆらさせながら、下生えの間を歩き回っては毛繕いする様子を見ると、パンダなぞくそくらえ、だいたい「レッサー」なんて名付けは失礼極まるとガイアにかわって憤慨したくなるし、ヒョウモンガメの雄が必死の形相で雌にいどみかかって(は失敗する)るのを見てはつくづく「もののあはれ」を感じたり(爆笑もしたが)、まあ要するに無邪気に喜んでたわけですな。

 しかしこの日の見物における尤物はシタツンガである。といってもなんじゃそれという読者がほとんどだろうが、このシタツンガという動物は・・・私もよく知らない。

 なんでもウシ科に属する、ということまでは覚えている。毛並みは綺麗なチョコレート色、顔の部分には白の横縞が小粋な感じで入り、脚はすらりと優美に伸びている。二人が札を見て「なんじゃろか」と言っていると、小屋の中から悠揚せまらぬ歩調で出てきたシタツンガは当方の顔をじっ。と見つめながらゆっくり一周してまた小屋に戻っていったのであった(バルコニーに出てきた王妃のようだ!)。二人ともすっかり魅惑されて、これからは「シタツンガ先輩」とお呼びしよう、と決めた。

 もっともこんな風にいい気持ちにばっかりなっていたわけではない。カバ舎の前では見るからに品のない服装・化粧の小娘を連れた、これまたいかにもアタマの悪そうなタトゥー・金髪の若い男が、「出目男」というカバの名前を見て「趣味わりぃー」と毒づき、水から出てきた出目男氏の巨軀を見ては「オレあんな恰好に生まれてたら死にたい」という趣旨のことを言っておった。わしがおまえのような悪趣味で不格好なニンゲンに生まれついていたら即座にカバ池に飛びこんで自殺していたであろう、と思った。

 それにしても、飼育係の方たち、もう少し名付けには考慮していただきたい。中にはあひるの「つぶあん」と「しろあん」という卓抜な命名もあったのだが。

 あと、せつなくなったのはコアラやシロサイをはじめ、あちこちの檻の前に「20○○年他界」という札が下がっていたこと。動物園というのは元来淋しいものである。空っぽの檻をそのまま残してロマン主義的(大げさ?)悲哀にひたらせるのは、すれっからしの大人にだけ通じる手であって、もっともっと色んな動物で賑やかに見物させてもらいたい。それとも予算がないのかな?

 神戸市の財政問題は棚上げにして、もう一度水道筋に戻り喫茶店でコーヒー。ご飯当番なので実家に帰らないといけない彼女を帰し、年がら年中「ご飯当番」の当方はせっかく出てきた王子公園界隈で外食しようとする。

 場所は阪神岩屋駅近く、有名な中華の店。二十人入るかどうかという小体なつくりだけど、開店すぐだったので予約なしの一人でも入れた(そのあとひっきりなしに客を断っていた)。古越龍山の紹興酒をちびちび。紹興酒が旨い店だったら味に間違いないというのは本当のようである。どれもよかった。

 茄子のスパイシー炒め。味もしゃしゃりもない名前だが、親指の先ほどに切った茄子をからりと揚げて、豆腐・湯葉と一緒に唐辛子・山椒などと和えたもの。茄子の食感(噛むとじゅーっと汁がほとばしる)と重層的な香りに、一気に平らげる。次は塩豚ときのこの青菜炒め。自家製塩豚はバラ肉。塩っぽく(当たり前だ)発酵の旨みが凝縮された塩豚の味が、シメジ(乾してあるのでこれも濃厚)と青梗菜に移って渾然とした一品。茄子と同じく青梗菜も噛むとジュースがあふれる感じ。鳥唐揚げの甘酢風は、じつは鳥の豆豉炒めを頼んだのに間違えて持ってこられた料理だったが、ここまでがよかったので黙って食べてみた。これもすばらしい。甘酢(こちらが苦手な味のひとつ)とは言いながら、「甘」が一、残りが「酢」という具合でさくさくと口に入る。膨大な量の唐辛子も一緒に炒められているが、こちらは香り付けのためだけだからちっとも辛くない。

 すっかり気分がよくなって、普段食べない炭水化物、すなわち海老の汁そばまで頼んでしまった。さすがにソバは多かったけど、こちら好みの味だった。

 王子公園にはもう一店、こちらは最近出来たばかりだけど、いい店を見つけている(海鮮炒めなんか、じつに瀟洒な出来映え)。「先輩」に挨拶がてら、黒酢の酢豚や牛のアキレス腱を煮込んだ漢方スープを、また食べに来よう。

 それにしてもよう食った。明日はプールでせいぜいカラダをいじめねば。

 帰る途中、家の近くの寺で、もうすぐ開花という月下美人の鉢が門前に展示されていた。花を待つ人が何人か。こちらも見物に加わる。虫の声が響くなか、かがせてもらった月下美人の香りは甘やかで濃艶なものだった。天女降臨というところ。



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