篠山狂想曲


 「おしゃれなカフェでオーガニックのお茶と全粒粉のパン」より「拭き込んだカウンターで気の利いたアテとぬる燗」の人間がなんでだか『ささやマルシェ』に、しかも店員として参加してるのだから人生は面白い。このフレーズ、どこで用いてもなんか格好がつきそうだな。

 無論、大好きな『いたぎ家』の裏方をスケたのである。物品販売ならともかく、料理を三品出すのだから仕込みが必要になってくる。当たり前の話だが、一日三百食、それが三日連続となると仕込みの量も尋常ではない(「そんなんウチの店では尋常っすよ」と言えるように、アニ&タク、なろうね!)。クルマを運転しない鯨馬は買い出しなどには無力なので、専らこの仕込みを手伝うことになる。

■金曜日
 この日がいちばんしんどかったかな。ささやマルシェ初日と同日に、阪急六甲の「フクギドウ」でもイベントがあったので、両方を同時に仕込まねばならず、煩雑多忙極まりなし。九時半から日を越えた一時半過ぎまで、イモをつぶしたり菜を湯がいたり刻んだりし続ける。でもアニーが昼ごはんに『施家菜』のランチをご馳走してくれたので充分に元がとれた感じ(稼ぎに行ってるのではなかった)。久々だが、やっぱりよろしい。とくに黒鯛の清蒸が旨かった。また夜に行ってみよう。夕刻にはドンさんも加わって小学校の図工教室よろしく全員坦々と作業にいそしむ。
■土曜日
 いよいよ本番。六時前に店前で待ち合わせて一路丹波は篠山へ。アニーとじゅんちゃんは『フクギドウ』、篠山はタクとドンさんナナさんノラさんおよび鯨馬(『いたぎ家』コードネームではセリ男)で回すことになる。タク以外の四人全員、客→従業員というのがこの店らしい。
 類似のイベントはいくらでもあるだろうけれど、広場とか公園ではなく、篠山で一等旧い街並みが残る通り(河原町妻入商家群)をそのまま会場にしているというのがユニークなところ。何度か遊びに来たくらいこの町が気に入っている人間としては(拙ブログ「日本的風景」「篠山再訪」をご覧下さい)、商家の屋根の描く線の変化がいちばんの売りものだとおすすめしたい。
 そうなれば当然現役活躍中のお家の、文字通り軒先をお借りすることになるわけで、これは住民の方々に対するよほどこまやかな説明と気配りが必要となる・・・はずなのだが、どうもうまくなかったね。たとえば我々の店の場合、事前に調理をして料理を提供すると申告してるにも関わらず間口二間、奥行三尺(!!!)なる場所が割り当てられ、しかもこの非現実的な面積をやり繰りするのに思案を重ねてようやく机や器具を配置しおえたところに、家にお住まいの方が戸を開けて出ようとなさり(机の真後ろで、言うまでもなく通路としてはふさがれている)、「あらまあここまでお使いになるんですか、聞いてませんでしたわあ」と唖然としてらした。
 責任者出てこい!
 まあ「責任者」かどうかは知らんが、会場巡回中の実行委員に、いったいこの広さで揚げもんしてスープをあっためてピタパンにその場で食材をはさもうとさせるとはどういう料簡か、とやんわり伝えたところ、雨が降りそうな月曜日(今日のことである)には場所を変更できることになり、またお住まいの方もたいへん優しいお人柄でトラブルにもならずに済んだのだけれど。
 こういうところがいい加減だと、結果的にイベント全体の質つまりは客の満足度も下がってしまうものなのです。
 ともあれこの日は与えられたこの地所にて営業していかねばならんのであるから、しかも開場まで二時間しかないのであるから、スタッフ一同あたふたしつつも、各自持ち分を決めてぐいぐいと準備をすすめていった。店への愛情がある人間ばかりが集まってると、こういうところでは動きがじつに速く、また粘り強い。ドンさんという抜群の統率力をもったリーダーが万事適確に指示をしてくれていたおかげが大きいとしても。
 それにしてもやはり内陸の盆地は寒い。この日とくにきつかった風と石畳から這いのぼってくる冷気とが相まって、十分もうつむいて作業しているうちに躰ががちがちに固まってしまいそうになる。
 アニーからは「遠慮せずに休憩をとって好きな店を見てきてください」と言われてはいたものの、客足はたらたらと途切れず。それにお客さんが買いに来てくれるのが何より嬉しく、なかなか持ち場を離れられない。あまり客商売には向かない性分と思っていたが、やはり直に反応が返ってくる仕事は楽しいものである。
 16時で閉場。一層吹きつのる風の中、撤収作業をあたふたと終えて帰神して終了!には、当然ならない。翌日さらに翌々日の分も見越して仕込み作業を終えねばならぬ。
 買い出し組・掃除・整理組がそれぞれ仕事を開始。こちらは昨日に引き続きタクの助手として仕込みに取りかかる。この日分担分のうちの大物は鯖の切り分けと鳥つくねだった。しょぼつく目をしばたたかせ、凝るのを通り越して差し込むような肩の痛みをこらえながら黙々と鯖を解体していると、『蟹工船』ならぬ『鯖工船』ということばが浮かんでくる。そういえば『いたぎ家』には赤い手拭いがあったよな、明日はあれを打ち振りつつ客寄せしようか、などとくだらないことを考えつつ鯖をさばく。さばく。沙漠。
 この日まともなものはほとんど口にしていなかったにも関わらず、帰宅していちばんに欲したのは缶ビールでも丼飯でもなく、入浴剤をたっぷりおごった熱々の風呂だった。『半七捕物帳』を読みつつ長めに浸かって躰をほどくと、そのまま布団にもぐりこんであっという間に撃沈。明日はいちばん客足が多いと予想される日曜だから、少しでも体力を戻しておかねばならない。
■日曜日
 スタッフは少し入れ替わる。見かけは野獣系ならぬ岩石系ながら中身は星菫派的センスの持ち主であるアニーが加わったため、露店の外装にも「みばよくおしゃれでキャッチーに」というコンセプトが導入された。たしかに下町の盆踊りの屋台ではないからな。昨日とは見違えるようにすっきりした見た目となり、また作業動線も経験を活かして整理完了。
 万全の態勢で開場を待ち迎えたわけだが、案の定この日は忙しいの一言に尽きる日となった。何せ十時のオープンから閉場の三十分前まで、一度たりとも客の行列が途切れなかったのだから。興味深いことに、人は、特にかかるお洒落カフェ系イベントに来るような人種は行列そのものに惹かれるらしく、人だかりが最大の集客装置となっていた按配である。確かに嬉しいとはいえ、さすがに悲鳴が出そうな雰囲気を、ドンさんが軽口でほぐしてくれ、タクがすべりっぱなしのジョークでまたもや凝固させ、ということを繰り返しながらこちらはひたすらピタパンに具をはさんでいく。やや問題的な譬えでいうなら脱出するユダヤ人の旅券にひたすらハンコを押し続けた、例の杉原千畝さんの心境。昨夜は共産党工作員、今日は外交官であるから食べものやも楽なものではない。
 あ、宣伝を忘れておりました。このピタパンは一度書いた須磨区は多井畑厄神さん門前の名店『味取』製。自分でも感心して食べた覚えがあるから、客にも心から「美味しいんですよ」とすすめることが出来る。そういえば味取さんも連日徹夜に近い状態でこのピタパンを焼き続けていたのだった。
 ともあれ大盛況。むろんよその店をぶらぶら見て回るどころではない、朝から飲まず食わずで夕方を迎えることとなった。まあ、人だかりのイベントの雰囲気は肌に合わないからな。見たかった小鹿田焼やその他民芸古窯の器はいずれぶらり旅のときの楽しみとしておく。イベント会場を離れても、鯖鮨だって猪鍋だって、なにもふつう以上に混むのが分かってるときに買ったり食べたりしにいくべきものではない。それにしても書けば書くほど悔しまぎれの捨て台詞に聞こえてくるのはどうしてなんだろうか。
 もちろんこの日も帰ってから仕込みの補充。こちらは月曜から出勤のため、これで出所、いやいやこれで切り上げと分かっているのでいささか気持ちは軽いが(それでもつくねを茹でながら、何度か立ったまま夢を見た)、明日も服役、いやいや店に出るドンさんはたいへんである。アニー夫婦、タクさんは言わずもがな。
 それでもやっぱりこれは「祭り」なのである。楽しくなければこんなに動けるわけがない。現に職場復帰(とはちと大げさか)してからもつくねを丸めたり、ピタパンにソースをかけたりする躰の動きが不随意的によみがえってきそうになって困っている。

 シェイプアップ中の身とて、「三日間ジムに行けないのは困ったなあ」と思っていたが、なんのなんの。三日が三日碌に食事もせずにいたのだから(人間食欲より睡眠欲のほうがよほど強烈なのだと分かった)、かえって良かったくらいのものである。
 もっとも最終日の帰り途、深夜営業の飯屋で肉うどんと親子丼を、これは減量期間たるとを問わず晩にはコメ・麺・パンの類いを口にしない習慣を破って平らげちゃいましたがね。減量の神さまというのがおわすとして、これを咎め立てするほど愛と赦しの精神をまさか欠いてはいないだろう。ヨブに苦患を強いたときのヤハウェだってそこまでに厳しくはなかった。

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