寄り添う人

 「ChezChilo」というそのお店は、長く付き合いのある「Izarra」のYシェフに教えてもらった。「間違いなく気に入ると思いますよ」と折り紙を付けてくれたのだが、まさにその通り。初めて行った翌々日にまた予約を入れて再訪したくらい(本当は翌日にでも行きたかったけど、予約が詰まっていて取れなかったのだ)。いい店をひとつ知ったのが嬉しいのは言うまでもないとして、こちらの好みや癖を知悉してくれている友人がいることを再確認できたのは、それ以上にしみじみと嬉しい。

 Chiloの御主人はバスク料理を得意としているのだそうな。と聞かされても当方まるでぴんと来ないけど、アンドゥイエットやトリップのカン風などを堪能した。前者は豚の臓物をソーセージ仕立にしたもの、後者は牛の胃の煮込みである。内臓を上手に調理して出す店が神戸には少ないので(焼肉屋は別ですよ)、モツ好きとしてはたまらない。

 塩味がぴしりと効いているのも良い。そりゃあ上方根生いの人間ですからな、薄味は子どもの頃から文字通り躰に染みついているようなものですが、今時のようになんでもかんでも薄味というのではそれこそ「薄味」で何を食っても同じということになってしまう。メリハリというのは重要なことです。それに、一体に西洋料理はやっぱりこころもち濃い目の味付けのほうがそれらしく、また実際に旨いのである。食べた後しんどくなるのも事実だけど。

 ワインも安いし、無口な御主人・気さくな奥さんという組合せも良い。すっかり贔屓になってしまった(次は猪の赤ワイン煮込みてえのをやってみよう)。瑕瑾とすべきは立地。某大手予備校の真正面にあるのだ。料理を愉しんでる最中に暗ーい面持ちの予備校生が眼に入ると感興の殺がれることおびただしいものがある。まあ、能天気にへらへらしてる予備校生は、それはそれで苛々するのだが。

 最近読んだ本。
中井久夫戦争と平和 ある観察』(人文書院)・・・いつか中井先生について、ルネサンス期の表徴術(ジグナトロギー)の達人という風貌さえ感じられる、と書いたことがある。戦争という奇怪極まる出来事(事件?現象?)を相手取っても、中井久夫の透徹した眼はいささかも曇ることがない。これほど、歴史の細部への行き届いた観察と、それを昇華させた抽象的な思索とが見事に平衡を保っているという文章は滅多に読むことが出来ない。「もう本を出すつもりはない」と書いておられるが、もしそうなってしまったとすればこれほど残念なことはない。先生の文章以外にも加藤陽子島田誠両氏との対談も含む。島田さんは元町の名物書店・海文堂の社長だった方。仕事の関係で偶然何度かお目に掛かったことがある。いかにも昔の神戸人らしい瀟洒な風情をお持ちだった。中井先生といい、こうした方々が少なくなっていって、神戸はいったいどこへ向い何を目指す街となってゆくのだろう。
原武史『潮目の予兆 日記2013.4-2015.3』(みすず書房)・・・原氏の著書は愛読しているが、いやあここまで鉄道好きとは知らなんだ。しかも単なる趣味なのではなく、氏の本領たる近代日本政治思想史の仕事にも直結していくところが凄い。あと、麺類を食べる記事がしょっちゅう出てくる(しかも微密執拗に批評している)のが可笑しい。中井先生と対談しに垂水まで出かけている。いい加減なことをいうと、温容たちどころに鋭い眼光を発するという感想はその通りだと思う。といってお目に掛かったことがある訳では無いのだが、コワイ方なんだろうな、と勝手に想像しているのだ。

 偶然ながら中井久夫関連の本が続く。
最相葉月『セラピスト』(新潮社)・・・著者が中井邸に行って絵画療法(中井先生が確立した技法である)を受けるところから始まる。セラピストという仕事、いささかこちらも内情を知っているが、まあこれくらいたいへんな(複数の意味で)仕事はない。先日たまたまさる高名なセラピストの研究会に参加したときに、その方が「人生経験ないヤツに、クライエントの人生が分かるわけはない」とおっしゃっていたのが印象的。この本でもあるカウンセラーは「一人前になるのに二十五年はかかる」と語っている。最相さんの御本からは離れていくが、個人的にはセラピーの理論・・・ではないな、哲学というか世界観みたいなものがそのまま文学理論につながるような気がしてじつに興味深い。現場で苦闘しているセラピストにとっては傍迷惑この上ない意見だろうが。

○上川通夫『平安京と中世仏教 王朝権力と都市民衆』(吉川弘文館
深谷克己『民間社会の天と神仏 江戸時代人の超越観念』(敬文舎)
○景山春樹『比叡山高野山』(吉川弘文館
○スティーヴン・ナドラー『レンブラントユダヤ人 物語・形象・魂』(人文書館)
○『D.H.ロレンス幻視譚集』(平凡社ライブラリー) ※文庫オリジナル。
○加藤貴校注『徳川制度(下)』(岩波文庫)・・・湯島聖堂での素読吟味という、いわば公務員試験の実際がよく分かって勉強になった。あんまり当てにならない本らしいけど。
笹公人矢吹申彦俵万智和田誠連句日和』(自由国民社)・・・ウチらがやっている連句興行のほうがちょっぴり上かな。
高山宏訳・佐々木マキ絵『不思議の国のアリス』(亜紀書房)・・・「あの」佐々木マキにアリスの絵を描かせるという企画段階で勝ち!
岡野弘彦折口信夫伝』(中央公論新社)・・・晩年の折口の世話をしていた著者の思い入れは強く、折口のどろっとした部分(醜聞という意味に非ず)に拘って書かれている。安藤礼二さんとは対極を為すが、もちろん文学としてこれでいいのである。ただ連載のためか繰り返しが目立つのは惜しい。
○石弘之『感染症の世界史 人類と病気の果てしない戦い』(洋泉社)・・・第一次大戦日露戦争の死者の大半が戦病死だったとは。古代(〜近代)天然痘マラリア、中世ペスト、近代結核&梅毒、そしてポストモダンエイズと新型ウィルスによるパンデミックか。結局地球上でいちばん成功収めたのは微生物ということになるんだろうな。
合田正人『思想史の名脇役たち 知られざる知識人群像』(河出書房新社
○川端康雄『葉蘭をめぐる冒険 イギリス文化・文学論』(みすず書房
星新一編『怪奇の創造 城昌幸傑作選』(実業之日本社)・・・編者に注目。
○ジョナサン・スタインバーグ『ビスマルク』(白水社

 一月にまたヴェネツィアに行くことにした。せっかくということなので『ゴルドーニ喜劇集』(齊藤泰弘訳、名古屋大学出版会)を読み始めた。これが終わったらカザノヴァ回想録・・・ということになるんだろうか。
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