追悼ふたつ。

 野坂昭如氏逝去の日、友人から教えられて中国文学者の一海知義先生が十一月に亡くなられていたことを知る。

 もちろん単なる偶然に過ぎない。にも関わらずお二人を並べて見てみたくなったのは、第一にどちらも当方がお目に掛かったことがあり、かつその文業に親しんでいた、という事情に由る。面識があったというのではない。野坂氏はそれこそ袖すり合って一度の縁、偶然お目に掛かった酒場でご挨拶したというだけの話(「あるバーの話」)。一海先生の方は何度か研究会に参加という形でお目に掛かっている。しかしこれとても末席で諸先輩方の議論を拝聴したというに留まり、講筵に連なったと自慢出来るものではない。

 文業への親昵に関しては、正面切って言える程度のものはある、と思う。口切りに『エロ事師』を手に取ったのは中学坊主のとき。ご推察通り、ニキビ面が題名からうすぎたない妄想ふくらませて鼻の穴もふくらませて取りかかったのであったが、これもこの名作をお読みの向きはお分かりのように、エロガキの期待はあっけらかんと裏切られた。誰しも言う西鶴ばりの「語り」の音調濃密な、とはすなわち尋常近代小説のさらさらした描写にしか親しんでいない人間にはすこぶる面妖かつ難解に映る文体でまずは出鼻を挫かれ、追い討ちをかけるようにして、性と表裏一体をなす、朦々たる死の気配に、冷たい手でべろんと顔を逆撫でされた具合。見事というほかない完全試合で中学生は撃退された。それでも間を置かず図書館で題名をはばかるようにして『骨餓身峠死人葛』をカウンターに差し出したのは(あれは中公文庫だったか)、ガキなりに強靱な何かの存在をしたたか味わわされた後遺症に違いない。いや、「何か」などとぼやかさずとも、今ならそれは「精神性」というものだった、とまっすぐ言い切ることが出来る。そして初めて通読した野坂作品は、表面の淫美な図柄にも関わらず、やはり現実を超越した浄福の境地が茫とけぶるように浮かび上がっていて、文学少年を虜にしたのだった。

 その後は毎週父親が持って帰ってくる『週刊朝日』に連載中の戯文(「窮鼠の高跳び」だったはず)にも親しむようになり、稜々たる気骨と、風雅な文人(『エロ事師』を上品と評したのはたしか三島由紀夫である)の両極を自在に行き来する、いわば運動神経の見事さに、江戸の才気弾けた戯作者が平成の日本に生きたら、こういう感じになっていたんだろうなと思ったのは、こちらが江戸期の文芸学芸を専門に志すようになってからのことである。

 江戸の文学を読むのに漢文の素養は欠くことが出来ない。一海先生の「読游会」に参加するようになったのもその縁からだった。そこで得たものについては、これも拙ブログ「二つの全集」で書いたから、繰り返さない。ただ野坂氏の報を知って思ったのは、陶淵明陸游という、一見すれば悠々たる隠逸の生を送ったように見える詩人に烈々たる志を秘めた愛国者の面目を見て取り、かつご自身が河上肇の著作を心を込めて紹介し、晩年には憲法擁護のために論陣を張って、やはり両極往還の相貌を見せていらしたということである。

 詩文の一句一字を解釈するのに、あるいは戯文の趣向立てに文字通り精魂を込めるを以てすることと、社会に志を持って対することとの両立。「文」の世界はまったくもって広大なものと言わなければならない。
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