Ritornare a Venezia(2)老いも若きも霧のなか

 空港まで空男氏が迎えに来てくれていた。バスでローマ広場まで行き、そこからサンタ・ルチア駅近くのホテル「ベッリーニ」でチェックイン。街の賑わっているところ(中心部という言い方はどこか違和感をおぼえる)からは離れるのだが、たださえスーツケースをごろごろ曳いていくのは我ながら鈍くさい恰好であるところに、橋やら小路やらばかりのヴェネツィアではこれが難儀であることはいうまでもない。オノボリサンらしくスカッツィ橋のたもとに宿を取った次第。

 念のため言っておくと、「ベッリーニ」は調度も趣あり、従業員は親切(部屋に荷物を置くあいだ、バーで一杯呑んでいた空男の勘定は「ヴェネツィア流の歓迎だよ」とロハにしてくれた。ま、面倒だっただけかもしれないけど)、とても過ごしよいホテルでした。ただヨーロッパ(というか日本以外)の建物にありがちな、えらく年代物のエレヴェーター一基しかなく、しかもそれがおっそろしく狭く(当方の身長プラス二十センチほどしか高さがない)、おっそろしく遅く、しかも故障時の緊急呼び出しボタンが無いのである! 狭所恐怖症の人間にとってこれがどれほどの戦慄を呼びおこすものか、よろしくご想像していただきたい。一日に何度も昇降しながら、毎度胃の腑をつかまれる思いだった。

 空港着は一時半。それでも荷物を待ったりホテルでシャワーを浴びたりしているうちに、結局街歩きを始められたのは三時半も回った頃。まあ初日はこんなもんで良かったのかもしれない。

 スカッツィ橋から半年ぶりに見たヴェネツィアは深い霧の中。大運河の先まででも見通せないほどである。途端に旅の情趣が身にしみる。もっともこの情景を目にしてはじめに連想したのは、レニエでもブロツキーでもなく『パタリロ!』初期の雄編「霧のロンドン空港(エアポート)」だったのは我ながら俗っぽい話である。

 どうせゆっくりどこかを見物する時間のないのは予想していたから、この日は欲張らずにぶらぶらと散歩。以下、最終日を除いてずっと空男氏が東道役をつとめてくれ、随所で小うるさい講釈を、もとい、懇切な説明を加えてくださったことを最初に断っておく。高緯度だけに、すぐに日が暮れる。下に夕闇の黒を布いたところに濃い霧がかぶさっていると、ふつうでも夢幻のようなこの街の形姿が一層つかみどころのない非現実の様相を呈してくる。狭苦しい路地をいくつも抜け、今は海軍の管轄下にあるアルセナーレ(造船所)の、珍しく長大な塀そばを通って最後にスキアヴォーニ河岸に出て西に目をやると、ほとんど墨絵に近い淡彩の濃淡でサルーテ教会はじめとする建物がゆらぎ出ていたのだった。「余はこの時既に常態を失つてゐる。」

 散歩の最後は南岸を本島の東にかけて。何か俗悪な明かりが連なるのでそちらに向かってみると、じめっと冷たい空気の下で移動遊園地が開いていたのだった。怪人二十面相が夜闇に紛れてでてきそうな安っぽくも怪しい雰囲気。こういうのが大好きなブログ子は浮き浮きしながら端っこまで見て歩く。回転木馬のひとつはなぜかピカチュウだった(妙にリアルな顔つきが薄気味悪し)。

 さすがにちょっと疲れたので、ヴェネツィアには滅多にない(と思われる)並木道を抜けガリバルディ通りにあるバールに入る。カウンター三席に簡易の腰掛け一つ二つという小体な店。二人とも白ワイン。こちらが頼んだビオのソアーヴェよりも、ハウスワインの方がどっしりして美味かった。夕食の時間も近いから、ちっちゃいパニーニを一つ。眷恋の(大げさな)バッカラ・マンテートを挟んで。バッカラは干し鱈のこと。それをオリーヴ油で練ってペースト状にする。干し鱈という食材に対するヨーロッパ人の執着の深さを知識では分かっていながら、前回の旅では一度も口にする機会がなかったのだった。ねっとりして、適度に魚臭くて適度に日向臭くて、なんというか美食ではないが、後を引く味。ちなみに今回は毎日これを口にすることになる。

 サンマルコ広場を通って夕食の店へ向かう。夏にはラッシュ時の梅田駅か天王寺駅くらいに混雑していた随一の観光名所も新年明けの謝肉祭前、要するにいちばん閑散の時季とあって、さすがに歩きやすい。はじめに言っておくと、この旅ではどこでも客は少なく(といっても世界一の観光都市だけあって、数自体は多いのだが)、気持ちよく歩き回ることが出来た。

 さて夕食。基本店名や場所はいちいち控えておりませんから、観光案内にははなはだ不親切ながら、小路に面した(といえばヴェネツィアの店は全部そうなるのか)ざっかけない体裁の店。初日だったのでここは店名を覚えている。Alba Nova dalla Mariaという、おばさんが二人でやっているところ。空男氏によれば「閑散期向けの、凝ってないほうのメニュー」らしい。案内するほうとしてはせいがないように感じたかもしれないが、四泊するのに凝ったものを所望はしないので(でもやっぱり何かゲームを用いた料理も食べたかったな)、こちらは喜んで魚介の盛り合わせの前菜と烏賊墨を使ったスパゲティ、主菜には仔牛のレバーの炒め煮を注文。これ以上は無いというくらい典型的なヴェネツィア料理の組み合わせ。これを初回の食事で食べてしまえば、あとは心置きなく遊べるというものである。それにプロセッコを一本呑んでから、ハウスワインの白。

 写真から思い出してみた前菜の品。ジャコウダコのトマト煮、ムール貝、馬刀貝、蛸(これは大きいほう)とセロリの冷製、烏賊の乳(と内田百輭の『餓鬼道蔬菜目録』にあったはず。白子に当たる部分か)、鰯のマリネ、バッカラ(バッカラ!)のミルク煮、そして蝦蛄。

 元々蝦蛄はこちらの大の好物。しかし最近は品薄なのか、そこそこの鮨やに入ってもなにやら紫色した固まりがちょびっとのっかっているのを口に入れるともしゃもしゃするのでようやく蝦蛄と分かる程度、せいぜい小ぶりのを一やま、市場で買って塩ゆでしてむしゃぶりつくので渇を癒していたところだったから、これくらい大きく、しかも「カツブシ」(橙いろの卵のこと)がみっしり詰まったものはちょっと感涙ものである(矢張り常態を失つてゐる)。

 店構えだけでなく料理の方もいったいに気取らない、とは薄味で食べ飽きのしない仕上げで、烏賊墨のパスタなぞ派手やかな見た目に反して、閑寂の極みという味だった。仔牛の肝臓はこってり煮ていないので、一種強烈な獣の匂いがする。これは赤のほうが合ってたかもしれない。

 店主の飼い犬らしい雑種がうろついているのも気取ってない証となるだろう。この犬、我々が食事しているテーブルの下に来てはことさら尻尾を振るのでもなく、甘えた声を出すのでもなく、ただ絶妙の重みで自分のあごをこちらの膝に載せてくる。ほろりとなってついレバーを二切れやってしまった。その癖、こちらの皿が引かれると、ついっとあちらに行ってしまうのだから現金なことこの上ない。

 客は当方たちの他、フランス人らしい夫婦と、地元人の娘さん一人のみ。じつに静かなものである。嵐=謝肉祭の前の静けさというところか。鳶色の瞳をしたこのなかなか可愛らしい娘さんとは、犬に食べさせているところで目があってお互い「仕方ないヤツだね」という風に肩をすくめ苦笑したのだったが、そしてこのまま「私が案内してあげるわ」となり、邪魔となった空男を帰して路地でさりげなく肩がふれあったのをきっかけとして…となれば吉行淳之介乃至五木寛之的世界なのであるが、淳之介乃至寛之ならぬ中年二人は健康的に(?)このまま二軒呑みに出たわけだった。

 一軒目はリアルト橋すぐ近くの広場の、比較的新しい雰囲気の飲み屋。名前はANCORA。意訳すれば「もちっと呑もー屋」とでもなるか。店内は混み合っているので外で立ち飲み。ヴァルポリチェッラというヴェネト地方の赤の銘酒は夏にも呑んでいるが、華やかで女性的なこの酒はやっぱり寒いときに呑むほうが持ち味を発揮するように思った。アテには空男氏ご推奨のカルフィチョーリ(アルティショー、アーティチョーク)。ざっとローストしただけ。これはまあフランス料理でもあまり手を掛けない食材なので、こういうものである。微妙な苦さとほろっとした食感で、いってみればあんまり気負ってない慈姑みたいなものだから和食にもつかいでがあるはず。

 この日のラストはIl Santo Bevitoreというビールをメインにした飲み屋。天井には酒に関する世界各国の格言・名言を書いた紙が張ってある。「もちっと呑もー屋」の次が「聖なる酔っぱらい」ですからな。三軒目はParadisoでもおかしくはないところ。

 苦くてコクのある黒ビールを引っかけてこちらはご帰館。霧のせいかさほど冷え込みは厳しくないものの、石畳の道をずっと歩いていると酔いもすっと抜けていく心地(もっともそうは呑んでいない)。ホテルに戻ってミネラルウォーターを飲んだらすっかりリセットされてしまい、『カラマーゾフ』の続き、およびホッブズの『ビヒモス』(岩波文庫)を読む。車が通らないのでほんとに夜は静かである。

 明日はアックァ・アルタだそうな。どうなることやら皆目見当もつかないので、かえってのんびり構えていられる。

【画像その2・乱歩ワールド】
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【画像その3・ある意味乱歩的】
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