南奔北走

 「団菊じじい」なる悪口があるのだそうな。何かにつけて九代目団十郎と五代目菊五郎を引き合いに出して、「それに比べて今の芝居は」とくさしまくる人間のことをいう。この伝でいずれ「歌勘ばばあ」とか出現してくるんだろうな。あ、いうまでもなく「歌」は六代目歌右衛門、「勘」は十七代目勘三郎、いやすでに十八代目も入れていいか(合掌)。「じじい」としてないのは女性の歌舞伎ファンのほうが圧倒的に多いだろうから。

 この悪口が広く知られていたのは、とはつまり有効だったのは、何といっても実際の舞台を見てる人には一言も返しようがないという事情があるせいでしょう。人の世の旅路の半ばを過ぎた身としても、いつかは若い連中に「えー、知りませんのんか」とイヤミのひとつでもかましてやりたいと思って、文楽劇場の「公演記録鑑賞会」なる催しに行く。その名の通り、往年の名舞台をヴィデオに録ったその画面を見ようという企画である。月一回。

 音楽も舞台も、生で見てないと話にならないのは重々承知の前。それでも見ないよりはマシでしょう。巷間で発売されてるDVDは極めつきのメジャー作品しか収めていないし。

 日本橋に向かう前に梅田へ寄り道。グランドフロント内の「LIXILギャラリー大阪」なる場所で開催中の『薬草の博物誌 -森野旧薬園と江戸の植物図譜-展』を見物する。図譜というやつが大好きで(画家ではないが)薬草にも目が無い(病人でもない)ので、たいへん期待していたのですが、スペースのこぢんまりしてるのはまあいいとして、肝腎の『松山本草』の実物が出てないのにはがっかり。これは薬園を開いた森野賽郭の手になる本草書。会場では大阪大学所蔵の複製本と、iPadでの画像展示しかなかったのである。たしかに見たいページは見られるんだけどなあ。もひとつ味気ない。

 とはいえ、収穫もあり。林羅山が見せた『本草綱目』(中国の代表的な本草書)に刺戟されて、狩野探幽狩野派の画法を生みだしたとか、円山応挙の「写生」の根柢には朱子学格物致知の思想があるとか。まあ、これは図譜そのものではなく、新しいことを知った悦びだけど。

 絵では関根雲停なる画家の精緻な植物画にびっくりした。あんまり詳密に描き込んだ結果、かえって非現実性の味がつよくなって、一種の幻想画、たとえばグランヴィルの絵のたたずまいに近づいている、そういう趣なのである。

 非現実といえば、このグランドフロントというビルにも初めて足を踏み入れたのですが(ただし商業施設ではなくオフィスビルのほう)、白くて清潔で静かで閉鎖的で、向こうの角を曲がってゾンビの大群が押し寄せてくるのではないかという妄想が湧いてくる。たいへんなお金をかけて、ヘンなビルを建てるもんだなあ。

 地下鉄で難波へ。久々に千日前の古本屋をたずねてみると、きれいさっぱり無くなっている。憮然としたまま(ここは本来の語義でのブゼン、です)道頓堀『今井』でぬる燗を呑む。板わさと煮染めで呑む。案の定よい按配になってきて、鴨吸いも頼んでさらに呑む。最後はきざみうどんで更に呑む(きつねうどんでは甘すぎる)。結局店を出たのは一時過ぎ。鑑賞会は二時からなので、これでも余裕があると思っていたが、劇場にはすでに百人近い行列。鯛の昆布〆と穴子の肝旨煮は頼まなくてほんとうに良かったです。

 演目は『勢州阿漕浦』と『絵本太功記』(妙心寺)。太夫は・・・と書いていったら切りが無いか。『太功記』のこの段は生・映像含めてはじめて。光秀の、生きながら地獄に落ちたような悲壮な面持ちが印象的だった。かなり小粒ではあるがミルトンのルシファーみたいな感じ。

 しかし、本題はこれで終わってしまうのである。このところ義太夫・太棹は毎日のように聴いているけど、まだこちらに論評するだけの表現の持ち合わせがない。ゆえにこれ以上書きようがない。越路大夫さんも鶴澤清治さんもよかったです。来月は仁左衛門(先代)と雀右衛門(あれ、もう先代になったんだっけ?)「新口村」らしい。休みを申請して見に行こう。

 結局小ホールの外にも臨時席を作るほどの客入りだったが、これが単に無料のイベント故での賑わいでないと考えたいところ。また若い人がほとんどいない様子だったのも少し気がかり(当方などが最若年だったのではないか)。この催しはそれこそ「団菊じじい」を生むためのものではなく、文楽そして歌舞伎の次を創るものでないといけないはずである。

 いささか話が固くなった。

 今回の題名の所以ですが、時間があったので、会がハネた後、大阪(市)を縦断したのでした。ミナミから豊崎(地下鉄中津駅)まで歩き通したのだから、それほど大仰な言い方でもないと思う。もちろん江戸はおろか戦前の昭和の趣さえどこにも残ってはいないけれど、それでも何とはなしに感じられる町の表情は紛れもなく江戸以来のもの。たとえば鰻谷近辺は今でも閑雅な趣を残しているし(心斎橋筋の周辺は駄目ですよ)、平野町・安土町は堅実な商いの風、高麗橋に近づくに連れて金満家の雰囲気が濃くなっていく、等々。

 これを以てしても、地名こそ伝統の実質の大きな部分を占めるものであることが分かる。「西天満」とか「外神田」とか、なんなんですかね、あれは。

 さて豊崎といったらここでしょう、『かんさいだき常夜燈』本店を久々に再訪。そうそう、大阪でいう「薄あじ」とはこういうものだという、ぴしっと締まった加減がじつによろしい。

 たしか銚子のお代わりで七本目だったか「もう一本よろしいか」と差し出すと、白髪長眉の御主人が間髪を入れず、という呼吸で「もうやめときまひょっ」と凜然たる一声。この寸分揺るぎないことばづかいを見よ。それでも叱ってるのでもなく不機嫌なのでもなくやんわりとした空気を乱さないのが、上方ならではというところである。

 突き出しの卵豆腐からして目を見張るような出来なのだから、後は推して知るべし。この日は大根・海老いも・こんにゃく・大根・蛸・海老天(念の為言えば、練り物です)・すまき・ひろうす。ともかく親爺さんが元気なうちに、このすまき(鱧のすりみを巻いて蒸したもの)だけでも食べとかなきゃいけません。

 あの味を思いだして熱くなっているうちに、こちらが「すまきじじい」になってしまった。
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