文豪の重石

 新しい「一太郎」を家のパソコンに導入しようとしたら、ダウンロードとインストールに結局8時間近くかかってしまう。これならAmazonで注文した方が結局楽だったかもしれない(夜の十二時にインストールが完了したところで何が出来るというのだ)。

 そういう意味では非生産的な休日で、はじめはかなりカリカリしていたのだが(「アップルとジャストシステムの御山の大将的自己陶酔はどうにかならんのか」とか叫んだり)、画面をにらんでいてもダウンロードがはかどる訳でなし、書庫の整理と冷蔵庫の掃除にかかることにする。

 我が家の書棚は、部屋の大きさ・形状から計算して最大限の収容量になるよう配置されている。運転手兼執事の空男氏苦心の作。それはいいとして、書棚の一番奥の列など、昼なお暗しという形容にぴったりで、おまけに体を回転させるのもやっと(注しておくと、ブログ子年齢としては体型を保っているほう)。いきおい買った本・取り出した本をしまう時に、空いてるスペースに適当に放り込むことが増えていく。そんなことが積もり積もって、どの本がどこにあるのかを主でさえ掴みきれない状態になっていたのである。

 およそ四時間書物を上げたり下げたり出したり入れたり。といっても絶対的な量の限界は決まっているので、パズルのように本の版型および厚みを組み合わせる。もちろん形だけでなく内容も勘案する必要がある、というよりこちらの方が肝腎。最近手にとってない本を後列または最上・最下段に配置して全体を「最適化」していく。デフラグ中のハードディスクの内部では小人が大わらわになってデータをあっちしたりこっちしたりしてるんだろうな、と考える。それにしても『本居宣長全集』(の第五巻)が足の甲に落下した時は思わず悲鳴が出た。多分同じ重さであっても、たとえば『鬼灯の冷徹』十冊よりは、こちらの不勉強を宣長先生に叱責されてるようで余計痛く感じる、と思う。

 可笑しいのは、以前散々探し回ったあげく見つからずに、そのまま「誰かに上げるか貸すかしたはずだ」と思い込んでいた本が何冊も見つかったこと。鴎外訳の『ファウスト』など、上げた場面すら「憶え」ていたほどなのだ。自分の思い込みの強さ―最近の語法だと妄想力てんですかね―に苦笑してしまう。

 埃まみれの身体をシャワーで洗浄して、昼飯(とろろうどん)。食後の紅茶をすすりながらパソコンの画面を見やると、まだじーじー言っている(この時点ではここまで時間がかかるなど予測できてなかった)。ため息ひとつ。午後からは冷蔵庫の整理。期限切れや手つかずの食材・食品を思い切りよくばさばさ捨てていく。元の色が分からんようになった野菜や冷蔵庫の主のような瓶詰めはさすがにありませんでしたが、これはものを冷やす道具であって、保管するためのものではないなと実感した。ついでにガスレンジも磨き上げる。さらに弁当用の常備菜。今週はちりめんじゃこと切り干し大根のアチャラ漬け・ポテサラ(玉子とツナ缶、辛子をたっぷり)・揚げと小松菜お浸し・蓮根梅鰹きんぴら(少しニンニクを効かせる)・猪肉と大根こんにゃくの味噌煮込み清荒神で買った豆味噌が田舎風でたいへんよろしい)。

 それでもまだまだ一太郎氏は到着しないのである。

 思いあまって(という日本語、やっぱりヘンか)、今度はバルコニーの掃除に取りかかる。モノはさほど置いてないのだけれど、Amazonの段ボールがすぐに積み上がってしまうのだ(みなさんどうされてるんでしょうか)。解体し、潰してくくったあと、水を流しながらデッキブラシで床面を磨いていく。はじからごしごししていくうちに、これぞ怪我の功名(という日本語もやはりヘンか)、ベランダの隅に、ヴェネツィア旅行直前に漬けておいた沢庵の樽があるのを思いだした。

 せやわ。一月半経ってるから、漬かってるはずや。

 沢庵漬けには重石が必要。ホームセンターの人工重石はぞっとしないし、大きな河原の無い兵庫区ずまいでは手頃な大きさの石を拾いに行くことも叶わない。マンションのすぐ後ろは山だが、阪神地方は花崗岩地質であって、風化しやすいこの岩石はどれも触ればもろもろと崩れていくばかり。買い物の行き帰りに通るさる人家の庭先には、ほれぼれするような形・大きさの黒石が転がしてあるのですが、これはもちろん持って帰ってはいけない。

 あれこれ思案して、結局昨年は吉川弘文館国史大辞典』を積み上げて漬けました。もちろんビニールにくるみはしたものの、今でも第二巻「うーお」の外函の隅に鼻をもっていくと、心なし糠の匂いが漂ってくるように思う。

 重さは充分にしても、少しく版型が樽より大きく、このときは均等に重みがかからなかったよう。カビの回るのが早かったのは圧しが足りなかったせいか。

 下のほうには小さめの本、上になるにつれ安定させるために、版型が大きくなるように積んでいって、一番上に水タンクをのっければいいわけだ、と思いついて今年は日本近代文学館の復刻シリーズを用いた。最下部には石川啄木のローマ字日記(啄木ファンよ怒るなかれ。文学的評価とは関わりない)。その上に幸田露伴の『幽秘記』、漱石の『吾輩は猫である』を重ねた。これでぴりっと底味の効いたところに玄妙かつ軽快な味わいが出る、と期待したわけではないけれど。

 夕飯は漬け物盛り合わせ(沢庵、壬生菜漬、白菜漬け、蕪糠漬。全部自家製)、独活と新わかめの酢味噌和え、黒豚と菠薐草の小鍋。主役は言うまでもなく沢庵で、いい具合に圧しが効いており、糠の芳香高く、柿の皮のほのかな甘味がおっとり風情を添え、まことに黒松剣菱の冷や(「常温」てんですかね)に合う。

 啄木・露伴漱石に感謝。
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