等伯的世界

 職場でずっと隣席の浪々女は「淡路へ行かれよ」と言う。これは「三連休は天気良さそうやし、どっか行こうかな」という当方のつぶやきに答えたもの。

 行き申す。と返事して、翌日高速バスに乗った。

 一度出張でなら来たことはあるが、南あわじに遊ぶのは初めて。「陸の駅西淡」というバス停に着くと、宿の人が車で迎えに来てくれている。車で十分ほど、本当に目の前に海岸が広がる場所にホテルがあった。仔細あれば名前は記さず。

 ともあれ夕食まではまだまだ時間があるものの、「近く」の観光施設には車でないととても行けたものではない、とのこと。宿の自転車を借りて、南あわじ温泉郷の銭湯施設に行くことにする。この温泉が、よかった。入った途端に肌がぬるぬるするような湯ざわりで、すこぶる気分がいい。

 夕方になりかけの時分、いかにも淡路のオッサンジイサンらしいのがちらほらするなか、旅行者は水風呂と温泉を行ったり来たり、一時間近く湯あそびを楽しんだ。一週間くらいいたら肌がつるつるになりそうである。ま、周りを見てる限り、日焼けのせいか酒タバコのせいかはしらんが、つるぴかのオッサンジイサンはいなかったようだが。

 銭湯帰りに、隣接するスーパーに寄ってみる。大方の品は神戸駅あたりの店と変わりないように思える。近在のみなさん、野菜にしろ魚にしろ自家消費分の大抵は自家生産してて、急な不足分とか加工品だけを買いにくるという使い方なのかもしれない。淡路らしく感じたのは鱧のアラがパックいっぱいにつまったのと、胡椒鯛。夏の胡椒鯛、造りで食うのもそう悪くはないけど、木の芽焼にすると滅法旨いんだよな。夕食はイタリア料理とのことだから、せめてグリーリャにでもして出てくれないか・・・(出なかった)。

 この辺りの海は、西に向けてずいーっと播磨灘が広がっていて小豆島くらいまで遮るものがない。当然西風が相当に強く吹くらしくて砂浜と町のあいだには防風林がかなりの距離にわたって延びている。砂地に松ばかりのこの林を慶野松原という。

 ホテルへの帰りし、左手に広がる松林の広さに誘われて、潮風でせっかく美しく磨き上げた玉のはだえがねとねとになるのも厭わず、自転車を引いてこの松原に足を踏み入れてみた。

 何年か前に行った唐津の虹の松原のほうが面積は上かもしれない。でも空々漠々たる不思議な感覚はこちらのほうがよほど濃密。当方の他に人っ子どころか猫の子一匹の影も見えなかったせいも当然あるだろうけれど。何十メートル先には車道が走ってるとは思えないほどの静けさで、しかしそれはカーンと冴え返るような静けさではなく、もにゃもにゃとまとわりついてくるような静けさ、いっそ寂寞といいたくなるような感じであった。砂地が柔らかく音を吸収してしまうのだろうか。

 そしてこの日(と翌日)は日がな風が強く吹いていたが、その風に揺らされた四方の松の枝がさらさらと、いわゆる松籟というやつを響かせていた。奇妙にもこの音がなおいっそう静けさの印象を深める。山里は松のこゑのみ聴きなれて風吹かぬ日はさびしかりけり、と詠んだ蓮月尼は、なにせ鋭敏な人だから、松風の音が止んだ時の沈黙には松籟の持つ包み込むような静寂の趣がないことに気付いていたに違いない。

 一言でいえば長谷川等伯の例の屏風の中にひとり迷い込んだような感覚。これで松ぼっくりに敷き松葉を焚いて酒を暖め豆腐なぞを烹ておればこちらも仙境中の逸人ということになりかねない。羽化登遷するにはまだまだ俗世への未練断ち切れないので、ここらで下界に戻って、すなわちホテルでの夕食に向かうことにした(もっともこの仙境にしたって、夏の海水浴シーズンともなれば、セックスのことしか頭にないような若者の土足で踏み荒らされこね回される訳である)。

 夕食。さすがに魚が旨い(鯛は噛みしめると鯛の香りが立つ)が、野菜のいいのにびっくりした。三度豆やパプリカの味の濃さは賞美に値する。もっとも褒められるのはここまで。全体としてみれば、電車の中吊り広告に出ているような「ホテルのコース」あるいは少し前の結婚式場の料理の如し。ボトルでとったアブルッツォの赤(花やか)を持て余すような按配だった。電話で予約したときには金は惜しまないからいいものを、と頼んでたんだがな。

 この日、宿泊客はこちら一人のみとあって、食堂(中庭に面した席)は窮屈な思いをせねばならんかと覚悟していたけど、近隣の会社員やオバチャンなど、他にグループが入ったのでのんびりとは食事できました。
  
 風呂のあと、部屋に戻ってソファに寝転がり、残りのワインをちびちびすすりながら山路愛山の『豊臣秀吉』を読む(大河ドラマに義理を立てたわけではありませんよ)。講釈のような、というよりはもちっと浴衣掛けの闊達な愉快な話術でどんどん読める。初読の際はもちっと硬い史論のように思ったはず。江戸の人はこんな感じで『日本外史』を読んでいたのかもしれない。手軽な岩波文庫を携えていったのだが、岩波文庫の明治ものの通弊で仮名遣いを現代仮名遣いに直しているのが醜悪、何より読みにくい。夷斎石川淳のように「新字新カナおことわり」とまでは要求しないけど、愛山の史論を読もうというような読者相手に歴史的仮名遣いがいったい何の障碍となるというのか。岩波の悪しき左傾ぐせが未だに遺っているというわけか。

 期待したメシに感心しなかったものだから、いくぶん八つ当たり気味であった。淡路の敵を信州で討つ(岩波茂雄信濃出身)。
 
 昨晩は隣の池から響くウシガエルの鳴き声に悩まされながら眠りについたものの、朝は五時から目が覚める。鯨馬としては、まあアペリティフ程度しか呑まなかった、いや呑めなかったから(まだ恨んでいる)、というのもあるが、ごうごうと鳴る音に起こされたというのに近い。枕元の窓を開けると、波音と松風とが一体となって鳴りとよもしているのだった。

 朝食(これはまずまず)の後、浜辺を散歩する。先に書いたとおり、広く開けた海に面しているから水が綺麗である。白人の親子三人が互いにヌードを撮り合ってよろこんでおる。白人の裸体にいっかな食指が動かない質なので、つとめてそれらが視界に入らぬよううつむき気味に歩いていくと、さすがに淡路だけあって波打ち際にはいくつもいくつも玉葱が打ち寄せているのであった(ホントですよ)。靴をぬいで足を踏み入れてみると、海水は朝の冷たさ。浜で日光を吸収しながらだと、しかしかえって心地よく一日中ぷかぷか浮いていられるような気もする。ホテルに戻りながら水着を持ってくるのだった、とつくづく思った。この季節だとまだ人も少ないだろうからのんびりできそうだし。

 二日目は南あわじのどんつき、福良の町へ。ホテルの人に送ってもらい(二〇分ほどだったか)、町の中央というか、港の真正面に立つ淡路人形座へ。朝二度目の興行に間に合うようにホテルを出る時間を調整していた。

 演目は戎舞と八百屋お七。中年(わしもそうじゃ)の団体客と一緒になる。客の入っているのは結構なことでしょうが、後ろのオッサンの態度がひどい。「オヤジ」の悪いとこだけを集めたようなやつである。振り返って、癇性やみの人狼が二日酔いになったような目つきで凝っと見つめてやると、出て行ってくれた。兇悪な人相でよかったとつくづく思う。

 淡路の浄瑠璃はもっと野太く語るものと勝手に想像していたので、清元とまではいきませんが高い声に間合いを外されたような気になる。むやみに荘重深刻なものとなった今の文楽(つまり淡路の人形浄瑠璃とは別系統の、大阪発祥の人形浄瑠璃)になずんでいたせいかどうかまでは分からない。演目の感想。面白かったのは戎舞。「異人」である神がふらっと里を訪れるという神話の定式がごく自然な感じでさし出されていた。また逆から見て、エビスなる神がいかもに胡乱な神格であることも伝わってくる。『伊達娘恋緋鹿子』の方はなんといっても火の見櫓の場だけのほんのサワリだから特に感想もなし。それこそ『傾城阿波鳴門』なんかを見てみたいな。よく出されるらしい『玉藻前羲袂』のようなケレンものより、貶下的に用いられる「お涙頂戴」式の作物のほうが真髄を味わえるような気がするのである。これは淡路人形浄瑠璃を蔑して言うにあらず。村のジイサンの素語りなんてものがまだ生き残ってるのなら聞いてみたいなあ。

 ホテルがあった浜に比べたらよほど町がましいというものの、浄瑠璃の他は取り立てて見るほどのものに思い当たらず、こうなればメシを食うより他はなし。夕餉の敵は中食(ちゅうじき)で討つ(まだまだ拘泥してますよ)。人形座近くの食堂をのぞいてみると、団体客がわらわらと卓を占領。こういうところで食うと、味以前に気分がわびしく(ひとり旅の寂寥をかこってるんではありません、念の為)なってしまうので、タクシーをつかまえて「どっか鮨屋にでも行ってくだされ」と頼む。「昼は予約しとかないと入れないかもしれんが」と呟きつつ発車。駄目な場合に備えて件の店の前で待っててもらい、空席を訊くと一人なら大丈夫とのこと。運転手にその旨を告げると、オトッツァンは親指を立てて祝福してくれた。

 鮨の前に蛸の天ぷらでビールを呑む。鮨やで天ぷらを頼むやつもないもんだが、アテはそれくらいしか書いてないし、第一ツケ台の前で一人だけの職人がいかにも不機嫌そうな顔つきでせっせと握ってる最中に、品書きにない水貝だの穴子の炙ったのだの、よう頼めん(こういう状況で、職人相手に人狼的ガンをとばしては、いけない)。苦肉の策の蛸天ぷらであったが、これは旨かった。もちろん蛸は快い歯ごたえを感じさせながら、二三回噛むと極薄の衣とともにしゃりしゃりと溶けていくという按配なのだ。

 これなら鮨も旨いに違いない、と考えたのはやはり昨夜の失敗で(人狼的シツコサであります)鯨馬、いささか判断を急いていたようであります。つまり有り体に言えば、鮨のほうは大したことがなかった。そりゃ、鯛とか障泥烏賊とか、なかんづく生海胆なんてちっとも薬臭くない絶品のタネでしたけど、鮨としてみればそこまで褒めるほどのものではない。それにいくら名産にせよ、栄螺なんてやっぱり鮨ネタにするべきものではないように思います。

 ここで腰を落ち着けて呑むのはよしにしていったん港まで戻り、ジェラートの店でジェラートをなめながら今後の方針を考える。鬼の霍乱鯨馬のスウィーツ。しかしジェラートなれば抗うすべもなし。嗚呼伊太利亜。ちなみに、とまと&いちごもアーモンドもおいしかったです。

 汗をだらだら流しつつジェラートをなめて出した結論は「もう少し呑む」というものであった。これしきの結論なら考えなくても反射的に出せていそうなものだが、なにせ昨夜の(もうこれでよしにしますね)・・・最近のいいかただと「トラウマ」となるのか、ともあれそのせいで慎重にならざるを得ない。じつはこのまま徳島にまで渡ってもう一泊という選択肢と、慎重に比較検討していたわけであります。

 ほんとうは離れたところにぽつんと立っていた飯やで呑みたかった。「地だこの蛸ぶつ」「地魚のすりみ汁」そしてとりわけ「地魚と玉葱の煮付け」なる品書きに強く惹かれたからであるが、中をのぞいてみるに誰もいない。客もいなけりゃ店の者もいない。声をかけても出てこない。仕方なく、先ほどよしにした店に戻って、「生シラス丼、ただしメシ抜き!」だの「生ウニ丼、ただしメシ抜き!」だの「アオリイカの刺身!」だので、ぐいぐいグラスを乾す。薄暗い店から道の方を見ると、梅雨時と信じられないくらいの陽光が散乱していて、それも昼酒のよい対手となるのでした。

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