官能小説

 我々二人が入ったときは、店の子はひとり、これがなかなかの手さばきで、しかも手を動かしながら間断なく口も動かす。こちらがだらしなく口を開けてるところで目の前に、鮮紅色と桃色が濡れ濡れと展開される。思わず生唾を呑み込んだ。

 という艶にして快美なる体験を、大阪某所の焼き肉店でいたしました。禄仙子がテレビで紹介されていたので行ってみたらこれがいやまたなんとも具合がよろしい、次回は是非ご同道ありたし。という経緯があって、禄仙子は二度目、当方は初めての、ただしテレビで放映されてた店の姉妹店のほうに見参したわけだった。禄仙の誘い文句がふるっている。「肉がエロいんです」ときた。

 環状線某駅の周囲は下町と言ったらまだしも聞こえはよいが、有り体にいってのければ何の風情もないほこりっぽい新開地。店明け一番の客としてビールを呑み始めたときは、エロスはエロスでも当世風のセクキャバではなく、荷風散人好みの落魄の玉の井の詩情ですなこりゃ。と内心で呟いていた。

 しかしやはり自称「エロ星人」の鑑定眼に狂いはなかったのである。最初に頼んだタン。一人前で二〇〇グラムという尤物は、今しも目の前に鮮紅色と桃色が濡れ濡れと身をくねらせて…はさっき使ったか、ま、たしかにソレらしい(なにらしいちうねん)媚態を見せている。巷の焼肉屋で出される、人情紙の如く薄き「塩タン」なる代物と一緒にするのは、小森和子武井咲もオンナとくくってしまう暴挙をあえて為すようなものである。

 ブツ切りのやつを、ひと切れ目はさっと炙っただけで、むろんタレなんぞは用いず、葱まみれにもさせず、そこはかとなく塩を振って口に運ぶ。

 金阜山人ないしはジョン・クレランド並みの筆力を持たぬ身をかこつしかないが、これはまさにエロスである。舌が舌にからみついて、くねくねと身をよじらせる。なんつーか、こう、肉に陵辱されてるような妙な快感があるのですな。ようよう嚥み下したあと(肉が固いのではない)、「うーむ、こりゃ大したもんですなー」と今出来の過激ポルノ画像を初めて見た老教授みたいな嘆声を発してしまった。二回目はもう少し表面をカリッとさせて。こちらは○○○の××を△△△△したところ、■□■□になったような食感になった。また焼けていく様子、いやいっそ姿がエロいんですな。赤ワインに似た汁がぐうっとふくれあがってくる肉からあられもなくといった風情で滲みだして、ぽつりと滴る。焼肉屋でじっと肉の焼け具合に目をこらしたのは人生初のこと。あたかも★★★を◎◎◎するが如し。

 肉の種類は多くない。我々はこの後上ハラミとミスジ、ツラミ、上ミノを頼んだが、それでメニューはほぼひとわたり食べたことになる。もっとも一皿の肉の量がむやみに多いから(頼めば半分にもしてくれる)、隅から隅まで食べつくすことは到底無理(だと思う)。それに、こっちの方が肝腎なのであるが、またどの肉もとりどりにお色気むんむんであって、キャバクラで店のコを片っ端から指名する気にならないように、「こっからここまで全部くれ」と注文する気にはなれないのである。

 ヒヒオヤジ二人は肉をためつすがめつしては、「こいつは手の掛かる処女ですなー」とか「手練手管を知り尽くした年増でんなー」とかやくたいもない嘆声を挙げ続けるのでありました。店の名前?そんなもの書くわけないでしょ。いらっしゃりたければ鯨馬に直接お尋ねください。

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 最近読んだ本。
○アンドレ・ジッド, ピエール・ルイス, ポール・ヴァレリー『三声書簡 1888-1890』(松田浩則ほか訳、水声社
○野崎洋光『日本料理 前菜と組肴』(柴田書店
○ゲイリー・ヘイデン、マイケル・ピカード『おもしろパラドックス 古典的名作から日常生活の問題まで』(鈴木淑美訳、創元社
○坂本砂南・鈴木半酔『はじめての連句 つくり方と楽しみ方』(木魂社)・・・失礼ながら、この本をはじめ、現代歌仙の実作を見てると当方たちの連衆の方がよほど手が上だなあ、と思う。宗匠の手前味噌か。まあ、最近はまったく興行しておりませんが。
○冨岡一成『江戸前魚食大全 日本人がとてつもなくうまい魚料理にたどりつくまで』(草思社)・・・築地で働いていた著者だけあって、江戸期の魚河岸の歴史がいっとう面白く読めた。公儀(幕府)にお魚を献上するのは名誉である一方、非常識な安値で買いたたかれてえらく迷惑したとか、魚問屋が漁村からじつに悪辣巧妙な手口で収奪を続けていた、とか。
○福田安典『医学書のなかの「文学」 江戸の医学と文学が作り上げた世界』(笠間書院)・・・刺戟的な論考だが、素人にも読みやすい。一点素人読者の思いつきを。江戸の漢詩人・柏木如亭の名著『詩本草』でカツオの項の記述に初鰹にふれていないのを不審として、それを本草趣味でひとひねりしたからと福田さんは解いていく。たまたま前掲冨岡氏の本を読んでいた後にこの本を読んだのだが、冨岡書の中には、初鰹がブームとなったのは天明期が盛りであって、あとは漁法の発達に応じて漁獲量が増えたため、初鰹が大騒ぎされることは少なくなった、という記述があった。如亭さんは鋭敏なヒトだから、カツオ=初鰹という連想が陳腐だと感じてあえて避けたのではなかったか。ま、ほんとの思いつきですけど。こういうことがあるから読書は面白い。それはそれとして、医学書であっても「」文学」の体裁を取ることが少なくない、という江戸文明のありようはなんとも愉快である。管見では、それは文学だけではない、もっと根源的な世界認識のありように関わってくるはずの問題なのである。
楊逸『蚕食鯨呑 世界はおいしい「さしすせそ」』(岩波書店)・・・なんとなく気になる題名なので手に取った。じつはこの著者の小説はまだ読んだことがない(すいません)。全体に「薄味」のエッセイであった。
○田中敦『落語九十九旅 全国落語名所ガイド』)(岩波書店)・・・どーせ『王子の狐』の王子稲荷とか『明烏』の吉原くらいでしょーと正直軽く見ていたのだが(すいません)、北海道まで足を伸ばすというマニアっぷり。ただ、その分印象が散漫になるきらいはある。地域をしぼるとして、上方に関しては『米朝ばなし』という古典的名著があるから、新しく出すのは難しいだろうけど。
山崎正和『日本人はどこへ向かっているのか』(潮出版社)・・・常に具体的に語るところがよい。アップルCEOがゲイをカミングアウトしたことや、シャルリー事件にふれて「たしなみ」「つつしみ」が重要と言っているのがいちばん印象に残る。悪趣味はすなわち罪なりと言ったのはアリストテレスであったか。
保坂和志『書くあぐねている人のための小説入門』)(草思社)・・・こちらも具体的提言が満載であるにも関わらず、いやそれ故か、保坂ワールド全開という感じなのが愉快である。ちなみに当方、小説を書きあぐねているわけではございません。
○京須偕光『こんな噺家はもう出ませんな』(講談社)・・・以前紹介した戸田学上方落語の戦後史』が事実に次ぐ事実の集積による圧倒的迫力だとすれば、こちらは対蹠的に「名人」なる概念を微に入り細をうがって検討していく。あたかもカントが理性の限界を論じるが如し。たしか志ん朝全集の解説でも感じたが、この方、かなり晦渋な文章を書く人なのでした。テレビの「落語研究会」の解説はじつに平明なのだが。
本村凌二多神教一神教』(岩波新書
○田尻祐一郎『こころはどう捉えられてきたか 江戸思想史散策』(平凡社新書
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