ひとりの宴

 お盆休みは満喫なさったでしょうか。独り身の鯨馬は、家族持ちが一斉に休暇でいなくなった職場に一人残り、しこしこ仕事をしておりました。静かでほの暗い(節電および暑苦しいので照明は間引いていた)職場はことのほか作業の効率が上がるもの。一年中盆休みで誰もいなけりゃいいのだが、と思うほどだった。

 ジムも同じ。普段は渋滞気味のプールもぽつぽつとしか泳いでいない。のびのび手足を動かせるので、調子に乗っていつもより多めに泳いでしまう。この時鯨馬の頭の中はただ無である、空である、老荘である、というわけにはいかないのが俗人の俗人たるところ。あれこれ妄念をふくらませながらばちゃばちゃやっている。妄念とはいっても、皆様ご想像のああいう筋のものではありませんよ。なにせ周りは母親より年かさのご婦人がたの水着姿ばかりなのですから。この状況下でそういう妄想が湧くほど、想像力はゆたかではない。あるいは達人の域に到ってはいない。

 といって、中野正剛が自殺したのには本当のところどんな事情があったのだろう、とか金相場はこのまま上がり続けるものなりや、とか深刻なものでもない。真剣に世を愁い経済の行く末を案じていてはまず自分が溺れてしまう。オクラの擂り流しを作りたいのだがどうすればきれいな緑色を保たせることが出来るか、とかブラームス弦楽六重奏を口ずさんでるといつの間にか「津軽海峡冬景色」になってしまうのはどういう理由によるのか、といったごく他愛のないことばかりである。もっとも実際に水中でブラームスを口ずさめばやっぱり溺れてしまうことになるのだが。

 ま、休んではいないけど、なんとなくゆっくり出来た一週間でありました。こっちは今週末まで働けば十一日の大型休暇である。むしろ休みのあいだの方がじたばたしそうな気がする。色んな意味で。

 最近読んだ中では、

○J.M.クッツェー『イエスの幼子時代』(鴻巣友季子訳、早川書房

が出色であった。いくつかの新聞書評でも取り上げられていたからご存じの方も多いのではないか。この作者、小説は初めてだが(『世界文学論集』という批評は紹介した)、鴻巣さんが訳してるんだから間違いなさそう、と思ったのである。この辺り、信頼できるソムリエさんに「このワインはいいですよ」とすすめてもらった時の気分と似てますね。
 ノビージャという、南米ぽい架空の町に、少年ダビードと中年男のシモンがたどりつく。二人には血縁関係はない。これまでの諸々の縁を絶ち切って、ここで新たな人生を始めるのであるらしい。そもそもノビージャという町がそういう性格の町なのだ。
 題名といい、登場人物の名前の付け方といい、寓話的なつくりは明らかである。しかし、アプトン・シンクレアの『人われを大工と呼ぶ』(たしか筒井康隆さんご推奨の作のはず)風ではなく、寓話仕立てであるぶん、かえって人間関係の生々しさがじかに迫ってくるという感じなのである。たとえば少年(ノビージャに来るまえに両親とはぐれてしまったらしい)の母親代わりとなる女は、呆れるくらい愚かであり自己中心的である。神話的な域に達した愚かさというのではなく(坂口安吾を想起せよ)、ただただこちらを苛々させるような種類の愚かさである。
 ダビードも同様。彼はは数の秩序を認識できず、6と33と158とのあいだには何の関係も順序もなく、落っこちたら戻れないないような深淵が口を開いているのだ、と訴える。当然学校生活はうまくいかず、社会的なふるまいを頑強に身につけようとしない。『ブリキの太鼓』のオスカル、あるいは記憶の人フネスの面影がちらと横切らないことはないけれど、どちらかと言えば、今風のクソガキという感がつよい。たとえば、これは冗談半分でいうのだが、授業中の様子から察するにダビードは完全にADHDである。また数のエピソードにしても、サヴァン症候群なのではという疑いが消えない。
 それが際立つのは、彼らが放り込まれたのがじつにブキミに、善意に満ちた平穏な世界だからである。港湾労働者は余暇にカルチャーセンターに通って哲学を論じる(そのくせ口調が「まじっすか」的なものなので笑ってしまう)。そして一般に男性も女性もセックスには興味を示さない。これが天国すなわち地獄というアレゴリーであることは明白。だから、「あまりに人間的な」三人が悪戦苦闘を重ねてこの悪夢のような迷宮を経巡る現代版『神曲』は、次作であるという『イエスの学校時代』に続くことになる(鴻巣さん、はやく翻訳してくださいね!)。

 その他の本。

富士正晴『書中のつきあい』(六興出版)
○齊藤希史『詩のトポス 人と場所をむすぶ漢詩の力』)(平凡社)・・・我が林述斎の漢詩が紹介されていて嬉しかった。
野矢茂樹『心という難問 空間・身体・意味』(講談社)・・・独我論から二元論を経て「自分」の確信にいたるという構造が明確で素人にも読みやすい。時々?という公理的な断定が出てくるが、これは「考へるヒント」とすればいいのだろう。野矢氏の論に対して、以前永井均さんが強力な反論を出していたように覚えているが、今回はどうなるだろう。楽しみ。
○小野健吉『日本庭園の歴史と文化』(吉川弘文館
○高崎篤『舌の上のアジア』(竹内書店新社)
今野真二『ことばあそびの日本史 日本語の迷宮への招待』(河出書房新社
○関容子『客席から見染めたひと』(講談社)・・・いつまでも続いてほしいシリーズ。
○カミ『ルーフォック・オルメスの冒険』(東京創元社
河原崎国太郎女形芸談』(未來社)
宇野重規, 伊達聖伸, 高山裕二編『共和国か宗教か、それとも   十九世紀フランスの光と闇』(白水社
○香川檀編『人形の文化史 ヨーロッパの諸相から』(水声社
○マーティン・J.S.ラドウィック『太古の光景 先史世界の初期絵画表現』(新評論)・・・いい企画なんだけどなあ。あまりに訳文が生硬すぎて読むのにじつに難渋する。荒俣宏さんならこういう本を書いてはりそうな気もする。

 あと二冊、紹介したかったが、このあと休暇に入ったら遊びほうけてるだろうから、九月になるかと思います。
 それでは皆様、酷暑を乗り切って下さいませ。
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