真説・豊後 湯のたび(一)

 遅めの夏の休みには大分に行く、そう話したら「また焼き肉おごってもらえるんですか」ということばが返ってきた。そういやそういうこともあったわい、と大分にこれははじめて遊んだ時の記事を探してみたら、六年前のことだった。ずいぶんのお見限りと見るか、ひと昔にも足りないうちの再訪と見るか、それは感じ方によるだろうが、ちょうど前回のと時季が重なっているだけにかえって旅の趣はだいぶ違うものに感じられた。そのことを書く。前回の記事も参看していただけると有り難い。


 今回は伊丹から飛行機で行った。フェリーで半日揺られるのは六年前より確実にくたびれた(まだ三十代だった!)カラダでは想像するだに面倒くさく、何より早朝に着いて当てもなくぼうっとするのが気ぶっせいだったこともある。


 ともあれ空港からバスで別府北浜へ、そこからほぼ待ち時間なく乗り継いで水族館『海たまご』に着いたのは十時半頃だったか。意外だったのは、涼しく感じるくらいに気温が低く、その上かなりの強さの風が絶えず吹いていてなんとも快適だったこと。そのくせ日射しはたっぷりしているのである。鍋底で炒りつけられるような暑さを思い出して覚悟していたから、これはなによりのご馳走。もちろん台風十号の間接的な影響によるもの。


 『海たまご』は再訪。調べていないので根拠はないけど、水族館のいわばパラダイムシフトが起こったのがこの五六年のうちのことではなかったか。全体が建て替えられていたわけではないにせよ、展示の仕方がどことなく当世風になっていたように思う。とはつまり、生態系をそのまま見せようという趣向で、しかし皮肉にもその分だけショー化してしまっているという風なのである。


 流行を白眼視するような書きぶりだが、夏休み最後の遊山なのであろう家族連れで混み合うなかをするりするりと通り抜けては、贔屓の魚介の水槽を覗き込んでひとり愉しんでいたのに違いない。何より、屋外の海に面した階段に座って光る別府湾へ目を解放していると、旅に出ているのだという実感がじわじわと染みこんできて、惚けてしまいそうになる。


 良い加減で惚けるのも切り上げ、別府にバスで戻る。駅前の商店街で見つけたそば屋に入り、とり天で麦焼酎(こだわりなく観光客を丸出しにしている)を呑みながら、先ほど目にしたカンバンについて尋ねてみた。「駅前高等温泉ですね、あれはアツイですよお」と脅される。いくつか回るつもりなので、初めに湯あたりしたのでは困る。そう思って、歩いて回れる近所の湯の場所もついでにきいておいた。


 「ま、この辺はどこもアツイんですが」とのこと。前と後ろに虎狼というところか。であれば考えても仕方がないので、いちばん風情があるという竹瓦温泉から回ることにした。


 別府は今回が初めてである。行ったことはなくとも昔からの一大歓楽街というイメージが強かったのだが、いざ町を歩いてみるとギラギラした雰囲気はほとんど感じられず、なにより町そのものが今のようになってほっと息をついたところであるように見える。つまり堅実に生活が営まれ、それとして充実しているという印象。まあ確かに若い世代ならエロ親父のパラダイスではなく、アルゲリッチ音楽祭の舞台というほうに連想がつながるのかもしれない。


 もっとも竹瓦温泉の周囲だけはこれぞ、という飲み屋の小路や風俗店が軒を連ねる一角が広がってはいたものの、それだとて生々しいいかがわしさよりは色褪せた写真を見るようなうら淋しくまた奇妙に落ち着くような空気を漂わせているのである(我が町神戸の表玄関たる三宮のほうが余程下品である)。淪落の果ての澄明な境地というのだろうか。


 町は枯れても湯は涸れず。大昔の小学校みたいな重厚無骨な建物の入り口で入湯料百円(!)を払い、やはり雨天運動場(体育館ということばは似合わぬ)ぽいロビーを過ぎると、浴槽から階段で上がった吹き抜けの二階がそのまま脱衣所となっているのだった。それでもさほど暑苦しくないのは、道に面した脱衣所の窓がからーんと全開にされているからである。


 わお。


 そそくさと裸になって下に降りる。浴槽ひとつきり。洗い場もない。百円(ふたたび!)という料金から推測できるように、これは町の人たちが普段から文字通りに汗を流しにくる温泉なのであるらしい。だからずいぶん古いつくりでも薄汚いという印象はない。


 ともかく浸かる。


 熱い。


 熱いぞ。


 なんですかなこの熱さは。


 入った瞬間、関西、それも東大阪とか八尾あたりのオバハンにぐるりを取り囲まれてわーと一斉に非難の声を浴びせられているような「アツサ」と喩えたら想像してもらえるだろうか。


 ところが、多分泉質がやわらかいせいだろう、二三分辛抱していると、すっとその熱さが引いていく。兇暴獰悪なことで名高い我が目つきでねめ回してやったところ、オバハンらがすっと押し黙ったという体である。学生時分、銭湯生活が長かったのでそういえば鯨馬はあつ湯に慣れていたのだった。慣れていたというだけのことであって、さほどあつ湯好きでもなかったはずなのだが、しばらく浸かったあと、浴槽の縁であぐらをくんで瞑目していると朝からの風がここにも吹き下ろして、火照った体にさらさらっと巻き付いてはほどけていく。たった一つのカランから生ぬるい水を汲んで頭から浴びると、また浴槽にずぼり。たちまち河内のオバハン大合唱である。  


 それを何度か繰り返していると、カラダ、というより心の芯がじんじんと熱くなってきてなんだか浄福感までが高まってくるのだった。これは当方にマゾヒスト的資質があるということなのであろうか。欲求不満が高まったら、東大阪の駅前でオバハンを片端から小突いて挑発すべきなのであろうか(それは唯の狂人である)。


 この境地に入ればあとは楽なものである。韓国人旅行者の親子のうち、全斗煥元大統領似の親父はともかく生っちろい息子が苦悶に顔を引きゆがめつつそろそろ足を差し入れるのに(文字通り!)冷然と一瞥をくれてやって高い天井を振り仰ぐ。期せずして日韓国威発揚大会となったわけだった。


 先ほど書いたとおり、さらったとした泉質のために湯上がりの肌はさらっとしているとはいえ、さすがにあのあつ湯に出たり入ったりを繰り返しているとすぐに汗は引かない。屋内運動場でスポーツドリンクを飲み、扇風機の前で涼んでいると、小学生の男の子が自販機の前をちょろちょろしている。金がないらしい。先ほど浴槽で見かけた子である。どういうわけか、ひとりで入っていたのだが、浴槽の縁に取りついて、マンガみたいに歯をがちがちならしながら(ヒトはあまりの熱さにも歯の根が合わなくなるものなのだ)それでも殊勝に一分は浸かっていたのが、健気でもあり文字通り笑止でもあったので、半分残ったペットボトルを差し出して「飲むか」と聞いた。、こくっとうなずいて、一気に飲んでから「ありがとう」と言った。アバヨ、ぼうず。キミは今日、大人の階段を一段上ったのであるぞ。

 オッサンの方はというと、二段目を上がろうかと存ずる。すなわち、二軒目へ向かおうとする。もう病みつきになりかかっているのである。別府だからというわけではないが、「地獄八景亡者戯」である。いったんコチラに足を踏み入れた上からは、もうとことん焦熱の地獄を堪能するよりないのである。


 地獄の二丁目は不老泉。最近建て替えたばかりとかで竹瓦の風情はなかったけれど、あつ湯はこちらも同じこと。洗い場も尋常に付いていて、近所のジイサマが体を洗っているなか当方はひたすら湯に浸かる。ここはあつ湯とぬる湯、二つの浴槽が並んでいる。ぬる湯の方にも入ってみたが、むろん具合は悪くないのだが、あつ湯のあのじーんと痺れるような快感が足りない気がする(やはりヘンタイなのだった)。音に聞くランナーズハイの状態とはこういうことなのだろうか。もし本当にそうなのなら死もまた耐え難しとせず、というところか、などとうつらうつら思いつつ、窓外の陽光に目をやっていた。


 次いでは駅前高等温泉。ここはあつ/ぬるが別になっている造り。もちろんあつ湯を選んで入る。「地獄」も三つ目となれば、そば屋の店長が言っていたほど熱いとは感じない。むしろいかにも昭和の洋館という外観の建物と、これまたよく使い込まれたレトロな温泉のつくりとを眺めて愉しむほうに傾いていた。


 別府の温泉が八つあるというのは何かの紀行文で読んでいたが、それぞれが独立しており、場所も結構離れていたとは知らなかった。こちらの頭の中ではたとえば有馬のように、一つに固まった温泉地の中にいくつも浴場があるというイメージができあがっていたのである。大体ホテルからして、別府駅からタクシーで十五分ほど走った距離である。夕食は別府駅近くの店で七時に予約してあったから、荷物をいったん置いて少し眠り、そしてホテルの大浴場で少し浸かって、もいちど別府駅に戻るともう予約の時間を少し過ぎたくらいとなっていた。うーむ地獄は深く、そして別府は広い。


 夕食は鮨。可も無く不可も無い、というのではなくて可もあり不可もありという感じの店だった(主人とおかみさんは威張らず気取らず、いい人であったことも記しておこう)。さすがに鯵は旨かったし、蛸もなるほど「速吸の瀬戸」(豊後水道の古名)でもまれただけあってたくましく、なにより鰯は数年ぶりに出会った優品だった。あれほど気品に富んだ味の魚はそうはいない。


 しかし観光客が多い店だからかは知らんが、季節外れの河豚だのトロだの海胆だの生海老だのを出せば客が喜ぶと考えているらしくもあって、理会に苦しむ。あれだけ鯵や鰯が旨いのになんでもっと地の下魚を出さないのか。車海老なぞ、生で喰って旨いものかねえ。生海老の後で出た海老の頭の「炙った」のは「焦げた」のになってたし。


 悪口は書いててもつまらないから、もうこれでよすけど、酒もがっくり来た。「冷酒を。」と頼むと「では純米の辛口、というところでお出しします」との返答。まるで「当家では上酒をとくに吟味しております」という口ぶりだが(©「宿屋仇」「抜け雀」)、よく「吟味」してみると、昨今の日本酒ばやりの中、わざわざ「アル添の甘ったるいのを」と注文するヤツはいないわけで、つまりこれは論理的に何もいってないのに等しい。


 そして出てきたのは、どう考えても吟醸香のぷーんと来る、最近の傾向から見れば相対的にかなり甘口に位置する「上酒」であり、そのくせ銘柄は言わないのである。慌てて麦焼酎に切り替えたところ、こちらの方が余程魚の味を、少なくとも邪魔はしていなかった。鮨やに入るのだから、高いのはまあ承知の上としても、ここに来て鯨馬一度にあつ湯の疲れが出たようで、ご主人が教えてくれたショットバーにも行かず、ホテルに舞い戻ってすぐに寝たのでした。地獄をなめるとオソロシイ。(つづく)


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