真説・豊後 湯のたび(三)

 大分の夜は続く。(つづく)

 いや続かんのであった。教えてもらったバー(たいへん感じのよいマスター一人でやっている)でバーボンをゆっくり飲んでいると、ワカモノのグループがどやどやと入ってきたので退散。ジャングル公園たらいう、風俗街の真ん中にある公園(客引きやホステスばかりがたむろしていた)を抜けてホテルに戻り、そのまま寝る。温泉疲れ、というよりは温泉で毒気というか俗っ気というか、抜かれてしまったような按配。ともあれおとなしくなったもんだ。


 よって翌朝もさくっと起床。ホテルの朝食を取って、コーヒーを飲みながら本日の計画を練る。昨夜、シェフが面白そうな昼食の店を紹介してくれたのだが、そこで食べていると列車を逃してしまいそうだな。断腸の思いながら、午前中に湯布院へ行ってしまうことにする。たしか前回の旅では「ゆふいんの森」号という丁寧に使い込まれたいい感じの車両に乗った。駅員さんに尋ねると、一日数本しか走っていないとのこと。乗り鉄ではないからそれを待つ気にもなれず、普通車の、それでも風情のある二両仕立てで一時間ほどことこと揺られて湯布院へ。途中何度か瓦屋根をブルーシートで覆っているのを目にした。あの青色の悪趣味を故杉本秀太郎さんが批判していたのを思い出す。たしかに神経に障る色調であり、被災者の気持ちをよけい不安定にさせそうな感じである。


 平日の、八月も終わりかけとはいえさすがに九州きっての観光地、予想どおり外国人も含めて駅前からぞろぞろ歩いている。町並みは六年前と比べて俗化したのかどうか。そもそも前回の旅の時すでに閑雅な温泉地という風情はほとんど消えかかっていたように憶えているから、こういうものかと特段気落ちもせずに、宿まで歩く。荷物を預け、昼食の店を訊く。「ともかくしずかなところを」と言うと、宿のすぐ裏にひっそりとして蕎麦屋があるとのこと。


 昼の時分どきにはまだ少しあるので店に客は当方ひとり。玉子焼きと肉の佃煮でビール・酒を呑み「梅干し山葵茶漬けそば」なるものを食う。要はぶっかけ蕎麦なのであるが、半分を食べたところで文字通り冷たい茶をかける。山葵の香気と梅干しの酸味に、茶の味が意外によく合っていた。


 一昨日、昨日、そして今日とだんだん陽射しは強くなってきているものの、風そよそよは変わらず。軽快に歩ける。今出来の美術館はさほど食指が動かないので、まずはともあれ金鱗湖に行ってみる。前は来てなかったんとちゃうかしらん。湖までの十分弱の道に沿って、あるいは交わって豊かな水の流れが見られた。蛍も飛ぶそうな。


 金鱗湖はさほど深くもなさそう、大きさも公園の中の池というくらいだが、何せ魚が多い。案内板を見るとコイ・フナ・スッポン・テラピア(豊後鯛ともいうらしい)などの他、グッピーもいると書いてある。温泉が流れ込むところに熱帯魚が棲み着く例がある、と本で読んで知っていたが、実物は見ていない。水の縁に沿って一周回り、丹念に検分したがそれらしい魚は見当たらない。土着化して元々の鮮やかな色や華麗な形状のひれを喪ってしまったということか。たとえそうではあってもグッピー外来種であるのは事実で、しかしこの水ゆたかに流れ込む池で、異国の魚が色とりどりの尾びれを打ち振っている様は夢のように美しいだろうと想像できるので、これはいささか残念。


 ちなみに、金鱗湖なる名称は明治になってからのこと。元は「下ん池」(由布岳の「下」の意味)と呼んでいたのを、さる儒者が「池は人工のものを指す名辞だから」という理由で変えたらしい。魚の飛び跳ねる様子から「金鱗」。儒者らしい、独りよがりで押しつけがましい改名である。「下ん池」のほうがよほど風情があっていいのに。


 風情といえば、池の端に祀られている天祖神社もまことに味気ない(風情でお社を評する不心得者もないもんですが)。祠と呼んだほうが似つかわしいくらいの小さな社が、さなきだに工事中で無残に解体されているのは仕方ないとはいえ(これも地震の影響だろうか)、祭神が天御中主神素戔嗚尊他、としてあるのはすこぶる興ざめ。むろんはじめは池の神、水神だったに違いないので(おそらく合祀してある「大物主神」がそれを隠微に示している)、記紀神話の神たちのうちでもとりわけ抽象的観念的なアメノミナカヌシの名前が前に出されるのは、ここに限らない事大主義(あるいはヤマト王権の強圧)とはいえ、いかにも口惜しいことである。


 と口惜しがっているうちに、宿でもらった地図にもう一つ神社の名前が記されているのを思い出した。どうで後は湯に浸かってゆっくり夕餉の膳に向かうのみ。ワカモノ向きのスイーツやら雑貨やらの店を覗いて歩くより幾分は湯布院の土地の雰囲気もつかめるだろう、とそのお宮、六所宮へと向かう。


 宿でもらった地図が頼りなのですが、この地図の方角・縮尺がどうもアヤシイ。そもそも蕎麦屋もその先にある木工の工房も、予測を全然超えたところに存在してたしね。案の定分岐点に当たるはずのホテルで足湯を使わせてもらって歩き出したところ、これがまた見事に正反対であった。駅前まで来て、他ならぬ六所宮の鳥居を見て愕然としたのだからこちらも相当抜けていると思わざるを得ないのだが。


 しかし道に迷った(念のため言うと、迷うほどの道ではありません)のは幸いだった。これは負け惜しみで言うにあらず。観光用の店が建ち並ぶ筋から一本外れると、水田がさあっと広がり、その中の道を一人歩いて振り返ると、由布岳が左右に連峰をなびかせるように(従え、という武張った表現は用いたくない)立っている。痺れるような絶景だった。連峰から長くうねる稜線をたどっていくと、旋律がもつれ伸び上がり、ここで切れるかと思うとさらに高く歌う、まさしくそのクライマックスに由布岳が位置するという布置になっているのである。山頂は雄勁な形を見せているにも関わらず、圧倒的に女神の山という印象をもって迫ってくるのはこの音楽的な線の魅惑のためにちがいない。歩いては振り返り歩いては振り返りして、山容に見惚れていた。こういううつくしいものは写真なんぞに撮るべきでないという感じがする。


 ま、ともあれ駅ちかくから歩き直しには違いない。絶景を見て風も心地いいし、だからといって不機嫌になってたわけでなく、六所宮の神に当たるつもりは尚更なかったのだけれど・・・・・・またもや簡略化された地図に振り回されて、川端の道を歩いていくといきなりどん詰まり。中州のようなところで道が途絶えている(目の前にさっき通ったあの橋があるのに!)。引き返すのはさすがに面倒くさく、横の流れに辛うじて頭をのぞかせる石を渡りはじめると、あに図らんや、ではありませんな、案の定最後の石のコケでずるりと滑り、川へぼしゃり。向岸で互いの写真を撮っていた二人連れの女の子が悲鳴をあげた。


 膝丈くらいの深さだったからすぐに岸へと上がれたものの、下半身はずぶ濡れ。カバンも三分の一は水に(一瞬ながら)浸かってしまった。何が悲しうて、四二にもなって観光地の川にはまらにゃならんちうのだ。


 そう思うと逆に可笑しくなってきて、「タイチョプデスカ?」と声を掛けて下さった二人連れに礼を述べ、見えないように笑いをかみ殺しながらまたもや田舎道を、今度は由布岳を前にしながら歩いていく。この時の心境を形容するに、それこそ「アホクサ」の一言ほどふさわしい言葉はない。


 予期せぬ“禊ぎ”を経てたどり着いた神社はしかし、幽邃あるいは森厳な趣をさっぱりぬぐい捨てたような鄙びた社で、ただ本殿のぐるりに堀をめぐらせており不逞な面構えの鯉が悠々と泳いでいたりする。なるほどここでも水の恵みは同じく豊かなのだと思ったが、よく考えれば同じ由布岳の麓にある以上当然なのである。つまりは二社ともに神体としての由布を祀る社なわけで、ただそれがまだしも里に近い天祖神社では池の神として顕現し、こちらはより山に近いということでそのまま祀られている、という事情があったのかもしれない。


 だが社の名が示すように、公式の祭神はクニトコタチ・ヒコホホデミ・ウガヤフキアヘズ・神武・綏靖の六柱となっている。いずれも祭神としては、ま、それこそ公式見解の文言のようにありふれたもの。また宿に帰った時読んだ地元のPR誌では、修験道と由縁の深い性空上人が八幡の若宮五柱に倣って祀ったともあった。しかし六所宮の正式名称は宇奈岐日女神社である。ウナギヒメと読む。由布岳の水をたたえる大沼の主たる大鰻が信仰の対象になったと想像するとわくわくしてくるではないか。しかもあの麗しの山の女神の化身が大鰻で、参拝客の少なそうなこの宮に今も鎮もって温泉の町を守っていると想像するとますます愉快である。


 社を出て宿に向かう。いくら涼しいとはいえ八月の九州、小半刻も歩いているとぐっしょり濡れていたパンツもサンダルもあらかた乾いてきていた。


 宿は三日目だけおごって「玉の湯」。湯布院といわず、日本全国でも指折りに違いない名旅館を今さら褒めあげるのも気が利かない話ではあるが、観光道路の雑踏がほんとに幻であるような静寂、たっぷりと間をとった客室の結構(他は知らないけど、鯨馬が泊まった部屋−正確には一棟−は、玄関から入って十畳の和室に八畳の洋室(ベッドを置いた寝室)、洗面所に風呂、手洗い(信玄公の便所ほどではないにせよ、広い)、それにキッチンまで付いたまことに結構なものだった)、広々とした庭(櫟などを主体にした雑木林でこれもすこぶる風雅)、じつにゆったりしたものだった。


 茶を飲んで、さっそく共同の風呂へ。誰もいない。露天風呂の方に入ろうと思って境の扉を開けると上からなにやらがくねくねっと落ちてきた。見れば長虫。


 嫌いな人は卒倒してもおかしくない場面だろうが、カエル嫌いの鯨馬にとっては蛇は敵の敵、すなわち味方であって声を上げることもない。実際割り箸をすこし出るくらいの小者で、こちらが息を呑む以前に向こうが慌てて前栽のなかににょろにょろと這い込んでいった。これが一尺を超えるようなマムシでもあったら、全裸のこちらは悠長に「なるたけカエルどもを呑んでおくれな」などと思ってる余裕もなかったと思うが。それにしてもこの旅はなにかしらの通過儀礼が多い気がするなあ。


 小一時間湯に浸かり、部屋に帰ってしばらく昼寝。いくら気温は低くても日光に当たり続けるというのは躰にえらくこたえるものである。


 夕飯は部屋でと頼んでいた。食事の部屋のしつらいも見てみたくはあったが、どうもあの、どてら・浴衣を着た人間が多く集まる場所はいやらしい感じがして苦手。さて献立。

○季節の小鉢(ホワイトアスパラの柚子味噌かけ)
○前菜(旬の山菜などの盛り合わせ)
○造り(鮎とシマアジ
○吸い物(卵豆腐)・・・スッポンとどちらかを選べる。係の小母さんはしきりにスッポンをすすめるが、後で地鶏の鍋を頼んでいたので断った。
※今献立を見ると、鯉濃も選べたようである。これは大好物。残念!
○鮎の塩焼き
○田舎風煮物(そう書いてある。こんにゃく・椎茸・人参など)
○豊後しゃもの鍋(たっぷりのクレソン、水菜、椎茸と)
○飯・香の物

あえて細かくは記さなかったけど、いわゆる京懐石風でないことはわかってもらえると思う。吸い物も煮物もそうした「高級旅館の味」を基準にすればやや濃く感じるような味付けで、むろんこれで良いのである。ま、煮物のこんにゃくは逆にもっとしっかり田舎のものを使ってほしいと思ったけど。

 酒は「西の関」など九州の地酒をちびちび。それほど過ごしてはいないつもりだったのに、鍋をつついてる最中に目の前がぐらりと揺れた。湯あたりか・・・といぶかしんでいるとスマホが鳴って、地震の速報を伝えてきた。


 食後は部屋に付いた風呂に入り(源泉掛け流しです!)、少し散歩してから宿の内にある「ニコル」なるバーへ。C.W.ニコル氏から取った名であるらしい。ニコルさんには悪いがウイスキーは苦手なので、ミントを使ったカクテルの後はまたしてもバーボン。相客は一人のみ。地元の方とのこと。仲間由紀恵に面差しの似たバーテンダーと三人、ゆっくりしゃべりながら呑む。十月には暖炉(バーにも暖炉がある)を使い始めるという。「暖炉の火と積もった雪とを交互に見ながらバーボンを飲むと、たまらないと思いますよ」。


 それはそうであろう。


 部屋に帰って、もいちど露天風呂に浸かりながら、冬の休みはいつ取ろうと真剣に考えていた。(あと一回つづく)

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