朝食は洋風でと頼んでおいた。
早朝、さすがに名物の霧は出ていないものの、虫の声が包むような中、露天風呂に浸かって、汗あぶらを流したところに膳が運ばれる。
○フレッシュトマトのジュース
から始まり、
○くみ出しチーズ(ま、ヨーグルトのようなもの)
○特製野菜スープ
○プレーンオムレツ
○サラダ
○フレッシュチーズとロースハム
○フレンチトースト
○コーヒー
と卓いっぱいに運ばれる。そこらのホテルの朝食セットでもありそうなメニュだけど、たとえばスープ。これはクレソンのポタージュで、快哉を叫びたくなるほど旨い。なんでも今や鬱然たる大家である某料理研究家「ご来駕」の折、クレソンの質の良さに目をとめてぜひ作るべしと託宣を授けていったひと品であるという。そういえば談話室の書棚にもこの人の料理の本がたくさん並べてあったなと、世話係の小母さんの話を聞いて思い出す。
当方は某大家の鬱然たる文章をあまり好まないが、このポタージュは嘆賞すべき出来でした。温雅かつ清爽、まことに朝の食事にふさわしい。
しっかり淹れたコーヒーがポットにたっぷりサーヴィスされたのも嬉しい。これは座敷ではつまらないので、椅子を置いた濡れ縁に持ち出し、苔に朝日が当たるのを眺めながらゆっくり飲む。
当家は十二時チェックアウトだから、急ぐ必要は無いのだが、先に勘定だけ済ませた。この後、湯布院の町の上の方にある宿に、温泉だけ入りにいくつもりなのである。ここは昨晩バーテンダーさんに教えてもらったところ。
タオルと着替えをぶら下げて歩いて行く。川を越え(この日ははまらずに済んだ)、畑を抜け、犬と散歩しているおじさんの横をすり抜け、目指すのとは違うホテルの庭先を通り、かの地図の縮尺をもう当てにはすまいと思いつつも不安になる距離を、杉木立の坂道に沿うて登ってゆく。
じとっと汗が出てきたところで目当ての宿に着いた。やれやれ。
ここの湯がまた良かった。バーテンダーは「カクテルの色です」と言っていたが、確かに目を見張るような空いろ。しかもやたらと広い。しかも相客なし。
足を入れてみるに、「玉の湯」など町中のさらっとした泉質とはまるでちがう、ぬるりと包み込むような肌触り。少し口に入れてみるとしょっぱくまた苦い。かなり浅く作った浴槽の壁際には塩化物か石膏だかが、化石の層のようにこびりついていた。
耳まで浸かって空を見る。色は違えど、自分が琥珀の中の虫のように、宝石の中にとらられたような感覚で、こういうのを母胎回帰とでも申すのでしょうか。平たくいえば半時間ほど屍のように湯に浮いておりました(濃い湯だから躰が沈みにくい)。
朝から温泉に入りすぎていたためか、宿を出て湯布院の駅に着く頃には奇怪にも小腹が減っている。空港行きのバスにはまだ時間がある。これも昨夜バーの相客に教えてもらった「へんてつもない食堂」でビールを呑み、定食をとった。従業員の平均年齢が七十を越え、客もまたおっつかっつ、当然観光客は見向きもしないという店である。コロッケやだご汁、とり天などをつまみながら缶ビール(ここでは飲み物は各自ケースから取ってくる)を呑んでいると、もいっぺんあの湯あの温泉に浸かりたいという欲望が猛然と湧いてくるのだった。温泉中毒というのもあるのではなかろうか。
だいたい、偉そうに書いているが実質は大分と別府と湯布院を、しかもちょろりと回っただけのことである。別府だけでも他の七湯がある上に天ヶ瀬日田長湯壁湯とまだまだ「おんせん県」の奥は深い。こうなりゃ「真説」のあとは「定本」「決定版」「ディレクターズカット版」と次々浸かり続けるあるのみ。
※ここはここで満足したが、家に買って帰った豊後牛の焼き肉丼もすてきに旨かったことを記しておきます。漬け物がたっぷり添えてあるのが何よりよろしい。
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