月は照れども

 豆名月、を口実に呑む。口実などなくても呑むけど、やっぱり風雅の看板を立てておいたほうがゆったりした気分で呑める。

 アテはもちろん枝豆。はしりの時分に比べると、莢などはだいぶ枯れてみすぼらしい感じになってきている。でもこれくらいのほうが豆の香りは高くて旨い。カリカリに仕上げてはどうしようもないので、十五分ほどもかけて柔らかく茹で上げてゆく。ここまで茹でると、外側の皮も食べられる(中の半透明の莢はダメ)。甘く、山の匂いがほのかにたって、洒落たもの。もっとも洒落こむなら、二つ三つほどを摘まむ程度に止めておかないといけないのだが、花林糖・えびせん・フライドポテトなどと同じで、どうしたって止められるものではない。 はっと気付いたときには鉢の上にはマメのサヤがうずたかく盛り上がっている。ひどく野蛮な人間になった気がしてうろたえるのも束の間のこと、このくらいになると少々酒が入ってきているので、すぐに「も少し肴が要りますな」と台所に入ることになる。

 結局この日はオクラの擂り流し(ゆがいたオクラと鰹だしを合わせてミキサーにかける)と鶏皮の和え物(きつめに塩をした鶏皮を焼いて刻む。茗荷の細打ちと貝割れ大根と大根下ろしを和えて、酢橘をしぼる)で呑み続けた。風雅の看板はどこへやら、月の方は、いちどベランダに出て「あ、あの辺りに照ってはんねんな」と《確認》しただけ(薄雲がかかっていたのである)。

  有り合ひのアテを趣向に後の月 碧村

とお茶を濁しておく。

豆の後は本。
○中川大地『現代ゲーム史 文明の遊戯史観から』(早川書房)…あくまで「現代ゲーム」であって、トランプや双六は入らない。で、その現代のゲームは原爆とともに始まった。つまり、「コンピューターゲームの誕生自体が、ナチスドイツに迫害されたユダヤ人たちが大きな役割を果たした、原子力爆弾の開発から派生した出来事であったからだ」。鬼子が鬼子を生んだというところか。面白いのは、世界に冠たるゲーム大国である日本でもまた、「現代ゲーム」の始発にはユダヤ人が深く絡んでいたこと。ナチスの迫害を逃れて満州にやってきた(満州には「河豚計画」という、ユダヤ人の移住計画があった!)コーガンなるユダヤ人が立ち上げた輸入商会、太東貿易がすなわちタイトー。しかもこのコーガン、一時期は米川正夫のところに身を寄せて、ロシア文学翻訳の手伝いをしていたという。そうした興味津々の情報が満載。レファランスとしているのが、カイヨワの遊戯論(!)というのがかなり古めかしいが、どの道こうした事象の社会学的な分析では、数字の実証以外は「言ったもん勝ち」とこちらは思射込んでいるから、ま、それはよろしい。日本型のRPGにおける視点の自在さ(というかいい加減さというか)が浮世絵的な空間認識に結びつくもので、それに対してアメリカ型の徹底した一人称画面のシューティングゲームが、近代的遠近法の世界観の表れだと説かれると、なるほどそんなもんかいな、と思う。こちらの乏しい経験からしても、たとえばThe Elder Scrollsシリーズ、特に第五作のSkyrimでの、むくつけき(というか重厚と称すべきか)徹底ぶりにいささか辟易したことが頭に残っているからだ。NPCがしゃべる、その会話が量でも質でも「濃い」のですな、とにかく。こういう主題の本は初めてだったから最後まで面白く読めた。むろんパンデモニウムの如きゲーム世界を網羅できるはずはないので、日本のゲームシーンなら『桃鉄』シリーズを外しては語れんでしょう、とか、どうもRPGに力がかかってシミュレーションの扱いがおざなりだ(『信長の野望』はちらりと出てくるだけ、Civilizationシリーズに至っては名前すら出てこない)、とか、それは銘々で補うべきなのかもしれない。むしろかなり不満だったのは文章の質である。実物を引き写していると気が滅入りそうだから止めておくけど、かなり趣味が悪い。方向音痴のオッサン(これは当方のこと)3Dのとびきり複雑なダンジョンに放り込まれたときのような眩暈をおぼえたこと少なしとせず。そりゃ、カイヨワおじさんもイリンクスとは言ってますがね、この眩暈の感じはちと違う気がする。編集者しっかりしなさいよ。

サイモン・シン『数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』(青木薫訳、新潮社)…たまたまだったが、『現代ゲーム史』の後に読んだので、ある種の感銘が深まった。あの薄気味悪い/悪趣味なアニメには、数学がらみの小ネタ、しかもかなり高度なものがやたら多く出てくるらしい。なぜかというに、脚本家にはハーバードなどの名門校出の数学のエリートが多いからだそうだ。ではなぜそうした秀才が『シンプソンズ』に関わっていくのかというと、アニメの世界は劇やドラマと違って、まるで数学のように細部に至るまで完璧に作り手側がコントロール出来るというところが魅力なのであるらしい。ゲームも同じなんだろうな、多分。《あの》サイモン・シン青木薫のタッグであるから、これは親を質に置いても読まねばならぬ、と意気込んだが、題材が題材だけに、『フェルマーの最終定理』や『ビッグ・バン』のような手に汗握るストーリーはささすがに見られない。ま、『シンプソンズ』をターゲットにしたサイモン・シン版『磯野家の謎』というところか。酒の対手としては申し分ないのですが。『シンプソンズ』DVDセット買っちゃおうかしらん。


数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

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