収奪祭と収穫祭

 友人の誕生日祝いで大阪へ向かう途中、スマートフォンの警報が鳴り出す。宇治川商店街の端にある公営住宅の前を歩いている時だった。無論鳥取地震に係るもの。商店街とおっつかっつの年代物のビルなので、みしみしと音を立てて揺れ出すのに総毛立つ思い。二十年以上経っても、やはり阪神大震災の時の感覚は瞬時に戻ってくるのだ。幸福の感覚の方はどうだろうか。結構流れ去りやすいような気がする。ボケてから一気に若い頃の幸福な思い出が甦ってくるのかもしれない。まさしく恍惚老人である。

 大阪駅前ビルの地下で下地を入れてから、焼き肉店の前で張龍を待つ。空腹のところに、久々の日本酒をきゅっきゅっとやってしまったけど大丈夫かな。何せ張龍と大阪で呑むとなれば、朝まで引き回しとなるに決まってるのだから。

 「官能小説」で一度取り上げたが、ここの肉は変わらず綺麗でヴォリュームがあって、たいへん結構でした。このタンならビールでなくて、酒やワインでも充分いけるのではないか。肉の持ち帰りも出来るようだから、今度買って試してみるべし。



 (ここの所、十時間分省略)



 で、朝方。二人してタクシーで三宮にたどり着きましたが、馴染みの店はみな看板。この時間だとまだ開いてるはずのところも、ドアを叩いても、前で歌ってみても(巡礼に御報謝〜♪)鍵は開かない。仕方なく『サイゼリヤ』なぞに繰り込み、生ビールで仕上げてようやく解散と相成った次第でした(後日聞けば、ノックの音がした瞬間、ママはカラオケの電源を素早く落としてカウンターの奥で息を殺していたそうな。その気分、よーく分かります)。

 「収奪」といっても別に張龍にひん剥かれたわけではない。その逆で、安い食事をご馳走しただけで(安もんの店ではなくて、肉が安いのだ)、「はいっ、次」「はいっ、次」と案の定連れ回されたバー、スナックの勘定はいつの間にやら済んでいるのである。これひとつの不思議。もっとも「ここは出すから」と言うと蹴りを入れられ、せめて割り勘でと重ねると魔王の如き形相で威嚇してくるのに疲れて、途中からへえへえと従っていたせいもある。海老で鯛、ではなく、文字通りの三寸(厚さ)の舌先でシャンパンを釣り上げた按配であった。誕生日祝いにかこつけて、「あのオッサン、最近ガソリン切れ気味やから、一発注入してやれぃ」と張龍が計画していたように思う。

 その翌々日は、飲み屋のオカンの実家(篠山)へ黒大豆枝豆の収穫に行った。常連客の、かの字兄が車を出してくれ、同じく常連の田車子と当方、それにオカンと従業員のガラッ八を拾って篠山に向かう。途中、『諏訪園』に寄る。オカンの実家への手土産を買ったのだが、ショーケースの中から選んでいるうち、コーフンしてきて自宅用にあれこれ買ってしまう。ここの栗の菓子、好きなんだよね、わし。

 家は町中からは十キロ以上離れたところで、川沿いに延々と黒豆の畑が連なる。欲しいだけ刈っていけい 。とは持ち主であるオカンの叔父さん(『仁義なき戦い』に出てきそうな風貌)のお言葉。昔取った杵柄のオカンは別にしても、軟弱なる都会育ちの残り四人はへろへろ腰で黒豆の株を刈り、葉をむしっては虫どもに狼狽し、よたよたしながら豆を運んだのだった。

 家ではオカンの御母堂心づくしの昼食がふるまわれる。ひじきも筑前煮もじつに旨い。味付けはむろんのことながら、入ってる野菜全部目の前から採ってきたものなんだからな。なかんづく素晴らしいのは小芋。丹波の土は性がええなあと感嘆久しうする。さんま鮨(強めに塩したのをしめて、大葉と生姜で挟んで海苔巻きに)もぜひマネしたいなあ。おはぎ(栗・つぶあん・きなこの三種)も品のいい甘味。ビールを呑みながら、みなでわいわいと頂く。あとは八のピアノを聴いたり、けったいなお客の話で抱腹絶倒したりしてのんびり。なにせ縁側のある家はむやみに落ち着いてしまうものなのである。この幸福感、何十年後かに甦るならばそれこそ天上的に甘美なことであろう(おぉ、プルースト)。

 帰り際になって、御母堂が「ちらし寿司を持って帰るべし」、叔父上が「野菜を持って帰るべし」、オカンの姉上が「柿と蜜柑も持って帰るべし」。枝豆だけでも段ボール箱いっぱい(一人宛ですぞ)の上にこのご厚情。持ちきれないほどの袋を抱えて帰ることとなった(鯨馬は、感嘆のあまりひじきと筑前煮もパックに詰めて帰ったのだった)。竜宮城は山里にありとかや。

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