巨星とスター

最相葉月星新一 1001話をつくった人』(新潮社)……を(今頃になって)読み、それをきっかけに星新一も何冊か読み返した。日本中津々浦々の小学生と同じようにこちらも熱狂的なファンの一人だった。勢いのあまりエッセイ集にも手を出した。『進化した猿たち』に至って、こういう発想がこういう乾いた文章で叙し得るということに驚愕した(無論当時はこんなことば遣いで考えてはいなかったわけですが)。「おーいでてこーい」や『声の網』が環境問題やネット社会を予見した、とひとはよく言うけれど、そしてそれに違いはないのだけれど、エッセイを読んでいるとはっとするようなアイデアがそこかしこに散らばっているのである。大判小判がざあくざく、なのである。普段から何かを見るにつけ聞くにつけ、それをきっかけにものを考え続けた人だからこそ警抜な視点を探し当てることが出来たのだろう。しかも読み進めてるうちに納得させられてしまう。思考が論理的だからである。で、肝腎の小説の方であるが、おそろしくてまだとても正面から取り組む気になれない。こんなのよく小学生の時に読んで感嘆してたもんだ。社会に出てから読むと、エッセイ以上に視点・発想・論理(つまり話の運び)に「あーっ」と叫び出したくなるようなものがいっぱいある。もちろん水準以下の話はある。しかしたとえば晩年の『つねならぬ話』なぞ、一篇を味わいつくすには読者の側にどれだけのエネルギーが必要か。筒井康隆さんが解説で指摘したとおり、まだまだ星新一の作品は技術批評的に細緻に読み解かれねばならないのだ。

田辺聖子『おせいせんの落語』(ちくま文庫
○つかこうへい選『書くに値する毎日 日記名作選』(日本ペンクラブ編、集英社文庫
半村良選『幻覚のメロディ』(日本ペンクラブ編、集英社文庫
池内紀『二列目の人生 隠れた異才たち』(晶文社)……取り上げられたうち、魚谷常吉という料理人の書くものが面白そうだったので著作集を衝動買いしてしまった。これで戦前の日本料理の姿をさぐってみるつもり。グルメガイドやレシピは氾濫してるのに、日本料理の歴史的研究はほとんど手つかずの状態のままなのである。
○檀上寛『天下と天朝の中国史』(岩波新書
○三木亘『悪としての世界史』(文春学藝ライブラリー)
○神田千里『戦国と宗教』(岩波新書
○『森卓也のコラム・クロニクル 1979-2009』(トランスビュー)……イッセー尾形の舞台や上方落語の公演などを、継続的に見に行ってるから、こちらも通時的に追いかけていくと成長ぶりや芸風の変遷が見て取れて興味深い。描き続けた筆者はもちろん、これを1冊にまとめて出した編集者および出版社もえらい。
○アルベール・ド・バッソンピエール『ベルギー大使の見た戦前日本 バッソンピエール回想録』(磯見辰典訳、講談社学術文庫)……関東大震災から二・二六事件という時代に大使であった人にしては、個々の事件への論評・考察は訳者もいうように微温的常識的の域を出ないが、老練な外交官のソフィスティケーションかもと思いつつ読むとそれなりに面白い。戦前の日本人(むろん上流階級の一部)は教養が高かったんだなあ。あんな時代に戻りたいなんてちっとも思わないけど。それにしても本屋で背表紙の題名が視界の端に入った時にはびっくりした。関東大震災で大混乱の中、バッソンピエール「元帥」は可憐な風情の日本の少女と夢のような一夜を過ごす。だが後日にその宿を訪れてみると、そこは腸チフスが蔓延しつつある死の町なのであった・・・なんてストーリーかと早とちりしてしまった。
○森元良太・田中泉吏『生物学の哲学入門』(勁草書房
八木雄二『哲学の始原 ソクラテスはほんとうは何を伝えたかったのか』(春秋社)……著者は「西洋哲学」を①徹底した対話、②二世界説に基づく真理の探究、③自然哲学=人生論の三タイプに分類する。そして最後のグループはヘーゲル莫迦にして以来なんとなく軽んじられているが、日本人にはなじみ深い発想なのだという。そいえばなんとなく「二流の人」が多いように思い込んでたよなー、と思って
○ジェイムズ・ロム『セネカ 哲学する政治家 ネロ帝宮廷の日々』(志内一興訳、白水社)……を手に取ったら、めっぽう面白かった。日本人的にしみじみしたというのではない。なんせカリグラ、クラウディウス、ネロの時代を生きた(最後には自殺を強要されるのですが)人ですから、そしてその人がネロの家庭教師で哲学者ってんですから、これは面白くならないわけがない。ま、哲学的な感興ではなく文学的な愉しさなのですがね。
○三田純市『遙かなり道頓堀』……芝居茶屋の息子である筆者の手になる二代目實川延若の評伝。「上味醂で煮上げたような」ある時期までの大阪の爛熟がむんむんと伝わってくる。読んでる内、もっと風俗の描き込みが欲しくなる。この渇望の感覚から蒐集・考証の好事家まではほんの一歩である。であるが、時間と金のない身はその一歩をよう越えずに今まで来ている。
○マルト・ロベール『エディプスからモーゼへ フロイトユダヤ人意識』(人文書院


 毎日書評欄の特集で知ったが、今年はシェイクスピア没後四百年なのだそうな。こちらも祝宴の末席に連なることとする。すなわち松岡和子訳によるちくま文庫版『シェイクスピア全集』の通読。参考書としてロザリー・コリーの『シェイクスピアの生ける芸術』(白水社高山宏セレクション「異貌の人文学」の内)を横におく。どれだけ時間がかかるか全く予測できないが、心弾む企てなり。


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