噺家・墓・莫迦

 桂吉弥落語会於羽曳野。前座は桂弥っこさんで「子ほめ」(会場が保育園だからでしょう)。吉弥さんは「蛇含草」と「餅屋問答」。「蛇含草」の演出にひとつ新しいギャグが入っていた。「餅屋問答」(江戸落語だと「こんにゃく問答」)は初めてナマで聞いた。主人公のばくち打ちと寺男の権助との微妙な主従関係が面白い。


 会のあとは近くで牛肉のフォーを食べ、近鉄天王寺まで戻る。五時半に友人たちと天満で待ち合わせているので、二時間半ほど時間をつぶさねばならない。映画の『デスノート』を見ようかとアポロシネマをのぞいてみると、終了時刻が五時半を回っている。


 美術館や古本屋めぐりというのもなんだか億劫。だったら丁度天気も良いことだし、天王寺から天満まで歩いてみることにした。極度の方向音痴でも、目の前の谷町筋をひたすら北に向かっていけば絶対に目的地に着くのだから、暢気な散歩にはうってつけである。


 天王寺界隈は一度歩いて回ったことがある(「浪華掃苔」)。初代竹本義太夫・植村文楽軒・竹田出雲の墓を回ったのは前に同じ。天神坂を下るのは初めてだった。まことに閑雅な一角で、この辺りに隠宅をかまえるとして、どんな構えでどんな前栽が似合うだろうか、と妄想が広がる。そしてこの路地の奥には上野修三さんのお宅がある。大阪生まれで、かつ日本料理を好む人間にとっては神様みたいな存在であるからして、こそっと門口まで行き、柏手をうつのも変だし念仏を唱えるのも尚更おかしいし、仕方なく敬礼して帰った(もしご本人が出てきはったらぴやーっととんで逃げるつもりだった)。


 そこからしばらくは松屋町筋をたどる。やたらとバイク屋クルマ屋が多い。はてこの筋といえば人形屋のメッカであったはずだが・・・。ま、バイクもクルマも大人の玩具みたいなものかもしれないけど、こちらはちっとも興味がないので谷町筋にふたたび上る。


 谷町あたりになってくると、下寺町(浄土宗ばっかり)とは違って法華宗の寺が目立つというのもこの日の発見である。こういうことは歩いてみないと分かるものではない。


 空堀商店街で少し西に入って住宅地の中を歩く。家並みが低く、公園では子供たちが遊び、車の量が少ないという、典型的な・・・さあここでどういう言葉を使えばいいか。下町と形容するのが一見相応しいようだが、大阪には元々「山の手」の概念やそれに相当する地域がない以上、この語も単にある種の情調を喚起するだけであまり実質的な意味はないように思う。


 さしあたり、「堅実な生活の町」とでもしておこうか。こういう地域が荒らされずに残ることを望む。これに比べると大川沿いの利いた風のテラスなぞ論評の限りではない(ただし川沿いの樹木が大きく気持ちよく育っているのは目に快い)。


 天満橋を渡ってから、環状線天満駅までが意外と長いのには閉口。さすがに歩きくたびれてきたせいもあるし、オフィスのビルが増えて眺める愉しみが減ってきたせいもある。曾根崎通りを西に曲がって、天神橋筋商店街を歩くことにした。やっぱり入ってしまった天牛書店では、リチャード・ホームズという人のThe Age of Wonder: How the Romantic Generation Discovered the Beauty and Terror of Scienceという本を買う。でも矢野書房にもエンゼル書房にも入らなかったのは、ただただビールが呑みたかったからである。


 友人を待ちながら、一杯飲み屋でらっきょうやどて煮でビールと焼酎を呑む。頃合いを見て店を出ると、ちょうど友人たちが通りかかったところだった。


 題名の莫迦をした、というのは、『玉一』本店で、あわびの残酷焼やら焼肉やらをさんざん喰った挙げ句に、『サンボア』で二三杯引っかけたあと、性懲りもなく海鮮居酒屋で食べまくったことを言う。いやそれにしてもよく動いた日ではあった。

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