人に告ぐべき鰯雲

 九月に入った途端、近年の長い長い残暑に慣れた感覚からすれば嘘のように清爽な気候に切り替わった。おまけに義理堅くも鰯雲さえ浮かんでいて、こんなに順調に秋になってもいいものかしらん、と思っていると、案の定翌週には蒸し暑い空気が戻ってきたのになんとなくほっとする。こういうのは悲観主義というのでしょうか。貧乏性? それも変か。


 ペシミストだろうがニヒリストだろうが、乾いた風の快くなかろうはずはないので、友人のまると二人、夕景から深夜まで飲み歩いていた。日本には度々来てるようだが、こちらが会うのは久しぶり。久闊を叙し、ドラクエの進捗状況を確認し合い、最近出会ったいける本・食い物の月旦に及ぶ。池内恵氏がいい仕事をしている、とは二人の一致した感想だった。


 この日は(も)海月食堂で敬士郎シェフお任せのコース。「最近ハマってる店に連れてけ」というリクエストだったら、まあ、そうなるわな。

○前菜・・・ザーサイ、フカヒレ軟骨とラディッシュのマリネ、しめ鯖(鯖のマリネというべきだろうか)、ゴーヤとミニトマトのピクルス、よだれ鶏、牡丹海老の紹興酒漬け、神戸ポークの塩チャーシューとクリスピー焼き、すだれ貝と秋刀魚の燻製
○揚げ物・・・帆立と蟹のすり身(バジルソース)、松茸の太刀魚巻
○スープ・・・干し海鼠と雲南ハムの酸辣湯
○海鮮・・・淡路産鮑の塩炒め
○焼き物・・・神戸ビーフのステーキ
○蒸し物・・・冬瓜で巻いた海鮮二種(蟹と、鱧・松茸)
○食事・・・フカヒレあんかけご飯

 まる氏は一週間ほどかけて広州と香港を回ったそうな。羨ましい。長期休暇は中華食べ歩きとするか。


 季節は実は関係ないのだけれど、涼しくなると読書が捗るような気がする。


○ロックリー・トーマス『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』(不二淑子訳、太田出版)・・・自分に小説の才があれば是非書きたいな、と思っていた材料のひとつ。研究書としては、ま、ポスコロの模範的解答というとこでしょうか。
林望『役に立たない読書』(集英社新書)・・・翻訳や現代語訳は自分は読まない、と切り捨てながら林望訳『平家物語』の訳文を堂々と引いているのは冗談なんだろうか。毎日の書評で褒めてたけど、リンボウ先生の本として推したくなるものではないと思うよ。
○『世界自然環境大百科 ステップ・プレイリー・タイガ』(朝倉書店)・・・ステップの途方もない肥沃さ。地味(ちみ)が文明のあり方を決める、とさえ考えたくなる。
大澤真幸『世界史の哲学 近世篇』(講談社)・・・相変わらずキラキラした文章。
○ローズ・トレメイン『音楽と沈黙 上下』(渡辺佐智江訳、国書刊行会)・・・前作『王と道化』の玲瓏たる趣はない。音楽がもたらす霊的な陶酔を描き抜けなかったところに問題があるか。思えば『ラモーの甥』はそこらへんを巧く処理していたのだ。
○フィリップ・フォレスト『シュレーディンガーの猫を追って』(沢田直・小黒昌文訳、河出書房新社
○ルイス・ハラ『日系料理 和食の新しいスタイル』(大城光子訳、エクスナレッジ)・・・案の定、というか韓国系も(日本で言うところの)エスニックもごちゃ混ぜになっている。アジア的混沌というところか。
板坂則子『江戸時代恋愛事情 若衆の恋 町娘の恋』(朝日選書)
○『橋本治歌舞伎画文集 かぶきのよう分からん』(潮出版社)・・・絵がうつくしい。河内屋の三代目とか、気に入ったのを額装したくなる。
服部幸雄編『歌舞伎をつくる』(青土社)・・・大道具や小道具などから見た歌舞伎演出論。
○小谷喜久江『女性漢詩人原采蘋詩と生涯 孝と自我の狭間で』(笠間書院
川本三郎老い荷風』(白水社
○マルタ・ザラスカ『人類はなぜ肉食をやめられないのか 250万年の愛と妄想のはてに』(小野木明江訳、インターシフト、合同出版発売)・・・ベジタリアンについてはしつこいぐらい言及するのに、魚食についてほとんど触れることがないのはどう考えても片手落ちでしょう。多種多様な角度からどんどん仮説を立てては投げ捨ててゆくというスタイル(当然結論は出ない)。ま、神戸ビーフのステーキ食べた後からすれば、結論は明白で、「それは旨いからである」。
○ルース・グッドマン『ヴィクトリア朝英国人の日常生活 貴族から労働者階級まで 上下』(小林由果訳、原書房)・・・紹介された話からひとつ。当時共稼ぎが多かった中流下層の家庭では、家に置いていく(預けたり子守を雇う余裕は無い)乳児をおとなしく寝かしつけるのに、アヘンチンキ入り(!)のシロップを飲ませていたらしい。大学で専攻した人間としては、自然と同時代たる我が江戸文化と比較したくなるのだが、どうも江戸に軍配が上がるような気がする。江戸人のほうが合理的だったというわけではない。同じように迷妄に囚われていても、それを「文明の進歩」「下等民族の解放」などというイデオロギーと結びつける傲慢があるかないか、という点である。
ウンベルト・エーコウンベルト・エーコの小説講座 若き作家の告白』(和田忠彦他訳、筑摩書房)・・・書名通り、じつに若々しい講義(全篇にあふれる、「もひとつ」なユーモアもまた好もしい)。『薔薇の名前』一冊でも充分に明瞭だが、やっぱりエーコさん、「列挙」が好きで仕方なかったんですね。
安藤礼二・若松栄輔責任編集『増補新版 井筒俊彦 言語の根源と哲学の発生』(河出書房新社)・・・当方の井筒体験のはじめは中公文庫『イスラーム思想史』。高校世界史の授業でイスラームに興味を持って買ったが、読み始めてすぐに鎧袖一触で撃沈。「こりゃいかんわ」と講談社学術文庫マホメット』に。それでファンとなり、次いで書名に惹かれて買った『神秘哲学』は意外にもするすると読めて(無論内容が軽いわけではない)、そこからエリアーデやエルウィン・ローデなどにも手を伸ばしていったのだった。つまり、こちらにとっては「根源」の思索家というよりは、スケールのやたらとデカいそして、強烈な個性を持った啓蒙家、とはつまり最良の教育者として井筒俊彦は映っていたことになる。あまりにも深遠な思想家とてのみ語られがちなので(それはそうなのだが)、極私的な感想として申し添えておいた次第。

 

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