うを・しる・もやしもん

 『海月』敬士郎さん夫妻のお誘いを受けて、鈴蘭台『ピエール』へ。途中「すずらん吉田」(酒店)に立ち寄る。ここにあったんですな。アヤシイ感じの立ち飲みコーナーが店の奥にある。こんど行ってみよう。


 『ピエール』さんのスープが旨かった。コンソメなのだが、具がふかひれと夏草(漢方で使う冬虫夏草ですな)で、そこに箱ごとどさっとテーブルに置かれた海胆をスプーンで入れて食べる、という仕立てなのである。なんとなくちまちま入れていると、シェフから「もっとどーんと入れていいのですよ」と託宣がくだる。こうなるともう、フレンチなんだか中華なんだかよう分からんのであるが、ま、敬史郎さんの料理だって中華?と疑うことも多いしな。かめへんかめへん。旨いもんを食って気分がいいから、鷹揚なものである。


 『海月』関連の話題をもうひとつ。敬史郎さん肝煎りによる企画「蜃景樓」。名前の通り、一夜限りの店で場所は元町にある「ヒトトバ」というハコを借りて行ったもの。敬史郎さんは洗い物などに回り、友人の料理人ふたりが腕をふるうという形だった。点心のひとつひとつがまことに美味く、他にも広東式脆皮鶏だの烏賊の紹興酒漬けだの、酒の肴にもってこいの料理もあって、ワインや清酒で堪能しました。次来たらもうこの店は見当たらない、というその風情もいいね。竜宮城か桃源郷で呑んでるみたいである。もっともなんだか次回の企画も立ってるみたいだが。


 シェアキッチン、というこのシステム、若手が挑んだり、中堅以上が実験したりするのにうってつけ。いっちょう儂もやってみるか。どんな店にするかって? 無論《干もの、汁もの、なしもののいっぱい飲み屋》に決まっている。注して言う、ナシモノとは塩辛など発酵系の酒肴のこと。まずは拙宅で「実験」してみます。ご関心のある向きはお問い合わせ下さい。


 家では小鍋の機会が増えた。ひとり者が献立を考えるのを無精してるには非ず。書いたように、汁ものは清酒のアテとして最高で、しかも出汁・具材・薬味の取り合わせで、種類は実際上無限というに均しい。


 となれば、具材は逆に豊富であってはならぬ。それはよくいえば「週末の家庭団欒料理」、はっきりいえば「不見転の貧乏料理」に過ぎなくなってしまう。池波正太郎の戒める如く、一種か二種にとどめておかねばならぬ。というより、その方が実際旨いと思う。


 従って、理想は湯豆腐となる。薬味は葱・おろし山葵・焼き海苔・胡麻・茗荷・擂り生姜・柚子胡椒・山椒佃煮・柚子・梅干・おぼろ昆布の小皿をずらっと並べる。味付けは生醤油の他、塩や胡麻油、練り味噌などで一口ごとに趣向を変える。豆腐は木綿。風雅のようだが、興にのったら二丁食べてしまうのであるから、あまり風雅でもありません。


 その他に気に入ってる仕立てとしては、

○豆腐と蛤・・・池波正太郎の本で覚えたのかな。我が家では剥き身ではなく殻ごと。出汁は昆布と酒。薬味は柚子か山椒。この時の豆腐は絹ごしが好き。
○豚と菠薐草・・・池波さんは「常夜鍋」として紹介してたはず。豚はロース。出汁は昆布。そこに大蒜と生姜を一かけずつ浮かせる。田辺聖子さんの本で、向田邦子発明と紹介して、絶賛していた。たしかにびっくりするくらい旨くなる。
○きのこ・・・きのこだけ。スーパーであるだけのきのこを買ってくる。出汁は鰹と昆布。吸い味薄めで調味。薬味は七味、山椒、柚子。
○鱈と白葱・・・鱈は霜降りして綺麗に掃除しておく。出汁は昆布。ポン酢醤油に紅葉下ろし、でしょうな、これはやっぱり。
○鳥モツと三ツ葉・・・鳥モツは茹でこぼししたあと、薄切りにして水にさらす。出汁は鰹・昆布。酒醤油で吸い味程度に味付け。薬味は山椒、時に胡椒なども面白い。鳥モツの代わりに焼き穴子でも。

 二種類以下、の中での龍虎と称すべきは鯛蕪、および鯨コロと水菜となりますが、両者とも下ごしらえに結構手間がかかるので、どうも「小鍋だて」という雰囲気にはそぐわない気がする。

 さて、最近読んだ本。
○クレイグ・クルナス『明代中国の庭園文化 みのりの場所/場所のみのり』(中野美代子中島健訳、青土社)・・・今回の秀逸。軸は二つあって、一つめは中国庭園論に歴史的視点を導入すること、次に美意識や哲学以外の、経済的視点を導入すること。「経済」とは、庭園で採れる果実・蔬菜等が莫大な収入をもたらした、ということである。ナルホド。今まで、唐山の詩人が何かと言えば「我が庭の畑を耕し水をそそぎ」とうたっているのがも一つぴんと来なかったのだが、あれはポーズ以前に実質的な意味があったんですね。たとえば、柳宗元。この代表的な山水詩人にしたって、「渓居」では

久為簪組束/幸此南夷謫
閒依農圃鄰/偶似山林客
曉耕翻露草/夜榜響溪石
來往不逢人/長歌楚天碧

と農作業にいそしんでいる。あちらの場合、詩人=知識人=官僚=地主であるわけだから、土地は確かに収益の最たる手段なんだな。『図像だらけの中国 明代のヴィジュアル・カルチャー』という新刊も面白そう。とほめた上で、クルナスがさんざん揶揄するところの、ステロタイプの中国庭園論、つまり元型たる桃源郷の地上的再現としての庭園、というイメージにはやっぱりうっとりしてしまう、と告白せざるを得ない。これをしもオリエンタリズムというべきか。
○『旅と日常と』(「フランス・ルネサンス文学集3」、宮下志朗他編訳、白水社)・・・東方トルコへの旅での見聞を綴った『異国風物誌』は晩酌しながら拾い読みするのに最適。でも『アンリ三世治下の日記』となるとそうはいかない。血みどろの話題が多いせいもあるけど、有為転変のおもしろさに、酒の方が疎かになってしまうから。このシリーズ、おすすめです。
石牟礼道子『完本春の城』(藤原書店)・・・石牟礼版「島原の乱戦記」。『椿の海の記』の愛読者としては、農民・漁民たちの幸福な生活があの本くらい書き込まれていたら、反乱に至る心情がもっと切実に迫ってくるのになあ、と思う。
○ウィリアム・マリガン『第一次世界大戦への道 破局は避けられなかったのか  1871〜1914』(赤木完爾・今野茂光訳、、慶應義塾大学出版会)・・・これも今回の秀逸。大戦直前までは誰もがこの平和はまだ続くだろうと思っていて、しかも開戦すると一斉に「やっぱり戦争になると思ってた」と言説が翻るのがおそろしい。心すべきことにこそ。
福田逸『父・福田恆存』(文藝春秋)・・・恆存にチェスタトンを教えたとは自分だ、という文章に一驚。また晩年の恆存の衰老の有様を冷静に描いていく一章もあり。それにしても福田恆存のようなカミソリ型の知性は、老耄すると余計に悲惨なものですな。
中村小山三『小山三ひとり語り』(小学館)・・・小山三丈の語り口は快く、へえという話も多いが、インタヴュアーはもう少し構成や質問に工夫したほうがよかった。
○デイヴィッド・ホワイトハウス『図書館は逃走中』(堀川志野舞訳、早川書房)・・・いじめられっ子。母の死。父からの虐待。友情と別離。障害を持つ女児。出奔。逃走。ヴァガボンドとの邂逅。家族ごっこ。北の古城。父との対決。炎上とハピーエンド。この道具立てについて論うことはしないが、せっかく移動図書館で逃走する男の子、という魅力的な主題なんだから、どういう本を読んでどう成長(ないし退歩)したか、もっとじっくり付き合わせてくれよ。途中挟み込まれる寓話仕立ての章も噴飯物の出来。
○フランシス・ギース『中世ヨーロッパの騎士』(椎野淳訳、講談社学術文庫
タイモン・スクリーチ『江戸の大普請 徳川都市計画の詩学』(森下正昭訳、講談社学術文庫
○マッシモ・モンタナーリ『イタリア料理のアイデンティティ』(正戸あゆみ訳、河出書房新社


 いつになったら岩波文庫新訳の『荒涼館』に取りかかれるのやら・・・。

 

 

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