立春大吉

 知らないうちに孫が生まれていた。


 若い者同士で狭いとこに閉じ込めていたこちらに落ち度はあると申せ、こともあろうに武士の家にて不義、親の大恩忘れし淫奔【いたずら】は畜生も同然、天罰喰らふが道理ぢや、と擲り出してしまえば「袖萩祭文」となるが、この寒空に三人叩き出すのもあまりに情けのない仕打ち(熱帯生まれですし)、と思い返して育てることにした。


 このちいちゃいのがぴょこぴょこ跳ね回るのがなんとも可愛らしいのですね。オォよしよし、といつまでも愛でていたくなる。コリオと命名。性別は分かりませんけど。


 コリドラスとは別の、一二〇センチの水槽はLED照明に切り替えた。タイマー装備できちんと点灯消灯が出来るのも便利だし、何より水色がうつくしい。コリオ誕生とも相俟って、夜や週末に繰り出すことがつい少なくなる。もう寒も明けてはしまったものの、あとしばらくは冬ごもり。山家だよりのつもりに。


 そうだ、寒も終いの頃のある日の献立。上戸の一人所帯だからあんまり応用は効きません、悪しからず。

針烏賊と新海苔の二杯酢
☆青柳のハシラと新海苔のかき揚げ
☆青柳の身と芹の胡麻酢
☆新若布とのれそれの辛子みそ・・・つまりぬた。何せこの時季は新若布が美味い。以上の品で呑んでから、無いことに飯にした。若布と滑子の雑炊。うんと薄味にして、天に柚をおろしかける。これが大成功で、料理が上手く出来た時の吉例で、ひとしきり蕃族踊りをウホウホ♬と踊ってから平らげたのであった。
※只今政治的に不適切な発言がございましたことをお詫びします。

○高儀進編訳『イーヴリン・ウォー傑作短篇集』(白水社)…個人的には「アザニア島事件」かな。かの傑作『黒いいたづら』の、今ふうに言えばスピン・オフ作品。登場人物のほぼ全員が胡散臭い。そうして唯一いかがわしくない人間がいちばん愚かしく見えるという逆説。しかしやっぱり長篇がいいね。ウォーの暢達な語り口は短篇にはもう一つ溶け合わないように思う。でも、読んで損はしませんよ。
岡田温司『天使とは何か キューピッド、キリスト、悪魔』(中公新書)…天使って結局のところ、折口信夫が言う、古代世界に跳梁する「小さな庶霊(モノ)」なんじゃないか。熾天使智天使の形状なんて、成心無き眼には化け物にしか見えない。
○加藤磨珠枝・益田朋幸『キリスト教美術の誕生とビザンティン世界』(「西洋美術の歴史」2、中央公論新社)…と、本書を読みながら考えた。たとえば『受胎告知』。レオナルド、フラ・アンジェリコ、シモネ・マルティニ、クリヴェッリたちが、威厳と気品を備えた「御使い」として造型するべく奮闘しようと、これも成心なく見るに、マリアは突如舞い降りてきた異形の存在に怯えて身をくねらし表情をこわばらせているのではないか。フラ・アンジェリコの『受胎告知』は大好きな絵ではあるが。というのは本書の主筋から逸れた妄想で、読みどころはやはり後半のビザンティン美術史のほう。イエスの受難を予告されて悲しむマリア、そして言うまでもなくキリスト降架における「マーテル・ドロローサ」といったモティーフは、いずれもビザンティン発祥のものだそうな。へえ。この指摘ひとつだけでも読んだ甲斐があるというものだ。なんでも「読む美術史」というのがシリーズのモットーらしい。他の巻も楽しみである。
○エネベザー・ハワード『明日の田園都市』(山形浩生訳、鹿島出版会
○レイモンド・ウィリアムズ『田舎と都会』(山本和平訳、晶文社
○シャーリィ・ジャクスン『鳥の巣』(北川依子訳、国書刊行会)…“あの”「くじ」のシャーリィ・ジャクスンである。という紹介の仕方はいかにも陳腐で我ながら気が差すけど、ま、そういう色眼鏡というか、期待水準で読み始めてしまうのは自然なことでしょう。多重人格モノですが、この作家は元々ヘンなパーソナリティーにむしろ”平均値”を置いているので、アタマの中に四つ人格があったところでどってことないという感じで物語が進んでいく、その趣が可笑しい。
鹿島茂『ドーダの人、森鴎外 踊る明治文学史』(朝日新聞)…小林秀雄を全面的に扱った続刊に比べるといささか興趣は薄れる。鴎外が「ドーダ」てえのは、あまりにも予想出来ることですからね。成島柳北をドーダ路線に乗せたのには唸ったが。
鹿島茂『神田村通信』(清流出版)…目路の限り古本屋が続く光景に、胸がきゅうっと締めつけられるような昂奮を覚えた学生時代を思い出す。もう何年も神保町に行ってないな。
○ダニエル・アラス『モナリザの秘密 絵画をめぐる25章』(吉田典子訳、白水社)…前々回の高山宏『見て読んで書いて、死ぬ』紹介。いやあ、面白い!遠近法が俄に流行したあと、あっという間に廃れた技法であって、あくまでも「選択肢のひとつ」だったという指摘にはびっくり。パノフスキーの図式を素直に信じていた人間にはまさしく目から鱗体験であった。惜しい人を亡くしたもんだ。勢いに乗って買った『ギロチンと恐怖の幻想』や『レオナルド・ダ・ヴィンチ』はもっとじっくり読もう。
○配川美加『歌舞伎の音楽・音』(音楽之友社
○ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー『最古の文字なのか?  氷河期の洞窟に残された32の記号の謎を解く』(櫻井祐子訳、文藝春秋)…結論から申しますと【以下注意!!】文字では無かった。なんでも著者はヨーロッパ中の遺跡に残る記号(動物・人物などの具象を除いた絵)のデータベースを構築したのだそうな。これからの進展が望まれる。しかし、「遠く隔たった土地の遺跡で共通する記号がある ⇒ 言語の体系ではないか」という発想はどこかねじれてるように思う。《言語》を想定してかかる前に、人間の手と目の生理的条件からある程度記号の形がしぼられるという可能性をまず考慮すべきではなかったか。
石牟礼道子『常世の樹』(葦書房)…『椿の海の記』や、『苦海浄土』のある部分に比べ、多少文体がせっかちなのが残念。でも樹木に寄せるほとんどエロティックなまでの思いが強烈な印象。

 最近、学術書の著者紹介で生年が書いてないのは何故だろう?自然科学ならともかく、人文学では「この人が○○を同時代として経験しているんだな」とかいった微妙な肌合いが、文章を読む際に重要になってくると思うんだが。年齢を問うのはセクハラか?年齢なぞ客観的データの一つという受け止め方は出来ないのか?その割には、それこそこちらにとってはどうでもいい学歴を延々連ねる神経というのはどうにも理解しがたい。大学院からどこに移ったか、なんて書かなくても最終学歴だけで充分じゃないの?

 閑話休題

 これも前々回「高山本」の一冊として紹介した、蒲池美鶴『シェイクスピアアナモルフォーズ』、よかった。後半はシェイクスピアにしぼった分析となるのだが、前半の、シェ氏以外のエリザベス朝演劇論が面白い。マーロウの『フォースタス博士』は以前から好きだったが(「見よ、見よ、キリストの血が空に流れる!」)、観客の層に応じて台詞の意味がどう響くかを取り出し分けたり、ウェブスターの『モルフィ公爵夫人』論で、鏡を用いた演出法を想定して、台詞の重さ・ニュアンスをころりと転倒させてみたり。まさしく「アナモルフォーズ」の読み。ところが、白水社『エリザベス朝演劇集』は今入手困難なのです。マーロウとベン・ジョンソンの巻しか買ってなかったので、ウェブスターの二篇(『白い悪魔』『モルフィ公爵夫人』)が読めない。ものすごくフラストレーションが溜まっております。

 
 いいと思ったら、すぐに手に入れておくべし。何度この教訓を痛切な思いで呟いたことか。  

↓↓↓
コリオ。

鳥の巣 (DALKEY ARCHIVE)

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