月は出ねども満月〜備後・播州の旅(二)

 翌朝もうんざりするような曇天。ホテルから笠岡駅まで歩き、福山に出て福塩線に乗り換え。そこから数駅、至極のどやかな風景の中を走って、神辺で降りる。


 大都市・福山を引き合いに出すまでもなく、駅前からして鄙びた田舎町。いくら何もしないための旅とはいえ、これはまた酔狂に過ぎる・・・のではなく、実はこの静かな町にだけ今回は予定を作っていた。菅茶山の居宅かつ私塾であった黄葉夕陽村舎=廉塾を観に行く心づもりをしていたのである。


 菅茶山。江戸後期、と言うにとどまらず、日本文学史上最大の漢詩人のひとり。しかし「最大」などという措辞が似つかわしくない、日常生活の情景や風物を精緻にとらえ、温雅な叙情をたたえた、アンチームな詩風の作者である。元々俳諧を嗜んでいたひとらしく、漢詩ということばから連想される四角四面のペダントリイからはほど遠い、なつかしい作が多い。


 人影をほとんど見ない町を二十分ほど歩いて汗びっしょりになった頃、目指す建物の案内板が見えてくる。いかにもこの作者らしい、ちんまりとして閑雅なたたずまいが、まずいい。


 しかし本当にすごいのは、今目の前に揺れる柳の樹、その下をさらさら流れる小流れ、そこに架かる石の小橋(これを渡って玄関に近づく)、これら全てが茶山の詩に詠まれた通りの姿で残っていることである。つまりここを訪う者は二百年前の詩人が見たままの風景を目にすることが出来る訳である。現今の日本にあってこれがどれだけ貴重な体験であるか、縷々述べる必要はないだろう。江戸の学藝詩文にいささか縁のある身には尚更である。すなわち鯨馬、汗もしとどに立ち尽くしながら、感動しておりました。


 それにしても、玄関雨戸がすべて立てきられているのはともあれ、誰もいないのはどういうことだろう。たしか土日には見物客を入れて案内するという説明がサイトにはあったはずだが・・・と首を傾げていると、それらしい年配の方が入ってこられた。


 客は当方一人。少しく気ぶっせいなシチュエーションではある。おらが村の偉人茶山大先生を褒め称える演説が続いたらちとキツいなと案じていたが、建物の様式や絵図からの考証など、すこぶる(良い意味で)固い話ぶりであって、これには安堵した。大学院で茶山周辺のことを少し勉強しておりました、と初めに挨拶しておいたのが良かったのか。


 ともあれ紋切り型の名調子ではなく、史実と考察を諄々と説き来たり解き去る・・・そう、じつはこの諄々と、が小渠の流れの絶えざるが如くに終わらない。拝辞してまたとぼとぼと駅まで歩き、ホームで列車を待ち、福山に戻った頃には大袈裟でなく肩で息する体であった。昨日楽しみな宿題としておいた岡山の某々鮨やに辿りつく気力も萎え果てている。折角のご親切を、竹中さん、済みませんと詫びつつ、福山駅前のいぶせき食堂で飯を食う。正確には小魚の天ぷらをアテにビールを呑む。


 各駅停車に乗るのさえ億劫で(熱中症になりかけだったのかな)、新幹線で岡山まで戻ってから赤穂線にて播州赤穂まで。学生の時に友人と釣り・バーベキューに来て以来だから、二十年以上空けての再訪となる。だから確たることは言えない。ただの印象だが、町全体の雰囲気はさほど変わってないのではないか。まあ、廉塾のようなのは例外中の例外として、たかだか二十年で街並みが一変するする方がそもそも気違いじみているので、町の古びを愉しむのが文明なのである、という吉田健一の指摘を思い出しているうちに、旅館から迎えの車が来た。


 ぶらぶら旅には似つかわしくない段取りながら、最終日はどうしても温泉で体をほどきたかった為、温泉宿を取っていたのである。山道をうねうねと登っていった先が宿。「海を呑む」という名前にぴったりの場所であり、生憎靄っていたが、晴天ならばさぞ見事な景色が見られていただろう。それでも家島諸島(その内の一つがぱっくりと無残な断面を見せているのは関空を作るのに削られた跡らしい)は部屋の正面に確認できた。


 何はさておき御湯一献。誰も居ない「岩風呂」で思い切り伸びをする。「飲用できません」と書かれた札を見て、飲用してみると(口いやしい子なのです)、苦くしょっぱく、便秘や胃弱には良さそうな味。旅の疲れを取るのに上按配であることは言うまでもない。


 料理旅館に泊まっていながらも、夕食は外。昨日は居酒屋だったので今晩は趣向を変えてイタリア料理。といってもご想像のPrunusの方ではありません。炭水化物、特に粉モノを苦手とする人間にはピッツァが看板の店はいささか重苦しい。といっても入ったのは、例の店の従業員が独立して始めた店らしいが。


 よってここでも、魚介ばかりを頼むこととなる。

フリットミスト・・・槍烏賊、イシモチ(と書いていたが、昨晩のネブトと同一の魚)、小海老
○真蛸のトマト煮のパスタ・・・パスタなら食えるのだ。柔らかく煮た蛸のからみついた、やや太めの麺が喉の奥でもふぉっ。となる瞬間がこたえられません。
○鯛のオーヴン焼き・・・レモンと大蒜とローズマリーをふんだんにあしらっている。

 トレントの、蜜の香りがほのかにする白が滅法旨くてこれだけでは物足りない感じ。追加したのは、烏賊・蛸・海老・貝のサラダ。それにしても、我ながらよく蛸を食う男だ。前世はウツボだったに違いない。


 女性二人でやっている、感じの良いお店でした。食べ終える頃、手伝いの兄ちゃんが「今晩ならお城近くで満月バーをやってますよ」と教えてくれる。のはいいけれど、満月バーとは何であるか。


 「満月の夜だけ開くバーです」。


 余計に分からなくなってきた。ま、まだ八時半だし、ちょいとふらふらしますか。とタクシーで駅の南に向かう。おや交通止め。と思うと、目抜き通りの一角に人だかり。どうやらこれであるらしい。五千円のチケットをまず購入し、飲み物を頼む度にチケットにチェックを入れて、帰り際に残金を精算するという仕組み。ワイン屋さんと例のイタリア料理屋さんが主催らしくて、飲み物はワインが主。


 ワイングラスを片手に通りをぷらぷらしてますと、なんだかあちこちに明かりが点いて、屋台が出、人が歩き、バンドが奏でておる。地元の方に訊ねると、夜市と「満月バー」がたまたま重なったのだとか。とはいっても大阪や神戸の祭りの、卒倒しそうな人混みではないから、気分良く冷やかして歩ける。えらくガタイのいい白人がすっかりご機嫌でバンドの演奏に合わせて体を揺らしているのを、自転車に乗った中学生が「おー、クリス!」と声をかけ、そのまま談笑になった光景を見かけた。地元中学校のいわゆる外国人教師とその生徒、という構図なのだろう。のんびりしていてなんだか愉快である。そう言えば駅前の焼き鳥屋に入る部活の顧問(?)に、生徒らしき数名が野次を飛ばしているのも見たな。めでたしめでたし。

豪勢に各地を回るのも旅先で痛飲するのもいいけれど、言うなれば普段着の延長としての旅でかえって日常の垢やら愁いやらを洗い落とせたという、自分にとっては珍しい経験をした。
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