南部ひとり旅(2)狂人・ミロク・シャカ・天使

 実際、翌朝はすかっと目覚めたのだった。ホテルの朝食もおいしく頂いた。ご当地料理の代表格であるせんべい汁というのがたいへんよろしい。鶏や昆布でしっかりとった出汁に大根人参葱牛蒡、そこに南部せんべいがぬめっとてろっと浮かんでいて、これなら二日酔いでもするする喉を通るはず・・・昨夜はもっと酒に慾かいておいてもよかったかな。


 このホテルは近くの銭湯と連繋していて、割安の料金で入れる(ホテルの部屋のタオルを持っていく)。朝湯は近所のおっさん連中でいっぱいだった。八戸は人口あたりの銭湯の数が全国一らしい。鯨馬が思うに、銭湯の多さは昨晩見た、どの居酒屋も大賑わいという町の気風とかなり密接に関連しているはずである。


 銭湯を出て、海の方角へ歩き出す。昨晩「一時間はかかるぞぅ」と言われのだが、こちらとしてはむしろ「一時間で行けるねや」と気軽に考える(方向音痴でも迷いようのない一本道ではある)。金無垢の陽光が目路いっぱいに降り注いでるような日に歩かない手はない。


 道草もくわずぶらぶら歩いて、着いたのが十一時前。広大な船着き場には時間柄当然ながら人影はなく、ただただウミネコがにゃあみゃあと喧しい。ギャングのような獰悪な目つきの海鳥のあいだをすり抜けるようにして岸壁をぶらぶら。滅茶苦茶にでかい。日曜のには国内有数の規模の朝市が開かれるのだそうな。ちょうど明日は日曜。予定に入れておこう。


 陸奥湊駅の市場内食堂はもう仕舞っている。近くの有名店は通りがてらのぞくと、ホタテ丼やイクラ丼など。当方苦手な海鮮丼系統の店らしいのでここは敬遠して、港の突端にあるうどん屋に入った。何の風情もない仮普請のようなところだが、大音量の演歌が流れるなか、漁業関係者らしいオッサンアンチャンに混じって、ともかくも熱いうどんをすするのは悪くなかった。


 気温も低くなく空も綺麗に晴れた中だから、あちこちにあった「津波が来たらすぐに避難して下さい」の看板にはよけいリツゼンとする。八戸は幸い死者が無かった(と前夜聞いた)そうだが、全体にのっぺりした土地だから、高波が押し寄せたら被害の甚大は目に見えている。東北の傷は少しも癒えていないのだ。


 電車で市内まで戻る。夕刻まではまだ充分時間がある。名高い合掌土偶を収蔵する縄文館行きのバスは今しがた出たところ。歩き回るには半端で、さりとて酒を呑みだしたらあっという間に日が暮れてしまうだろう。


 と、バス停の近くにあった安藤昌益資料館に入ってみた。恩師も一時昌益の思想を研究していたことがある。十年ほど前の設立というだけに和本や書簡の現物は無かったものの、昌益の名が確認できる藩の日録(町医者であった昌益に藩士の手当を命じた記録)や安藤家の宗門改帳の複製などを手に取った見ることが出来る。つい歩けば昌益の住まいや講義した寺に行き当たる町でこういう資料を見ると、発見者狩野亨吉によってすら初めは狂人としか思われなかった「忘れられた思想家」が、にわかに江戸の八戸を闊歩する活きた人間として迫ってくる。


 また、NHKの特集番組を放映していて(ゲストは井上ひさしと安永寿延)、期待せずに見始めたもののこれが結構面白かった。昌益の特異な思想の根がどこにあるか、を謎ときしたものである。番組の仮説はこうだ。

南部藩は地味が肥沃でないこと、またヤマセなどの悪条件のために水田での稲作が難しく、焼畑による畑作が主流だった。
○地力を回復させるために、休耕地にしておくと日当たりのよくなった焼畑地には、蕨や葛などがまず繁茂する。
○これらの強靱な根茎を掘り返して食料と出来るのは牙を持つ猪だけである。
○よって猪が大繁殖する。
○増えすぎた猪はやがて畑の作物までも食べつくし、結果「猪ケガジ(=飢饉)」によって数千人が飢え死にした。


 悲惨な状況を目の当たりにした昌益は、「生態系の中に位置を占める存在としての人間」という観点を獲得したのである、というわけである。あの神秘的で晦渋深遠な思想が清新なものに見えてくるではないか。ヴィデオの後は、資料室に収める関係書のあちこちを拾い読みして小半時。ソファとお茶があればもっとゆっくりしていたかった。と、当方はそれなりに愉しんでいたのだが、江戸の思想を考究していたようなすれっからし一人を相手に「解説」せねばならなかった学芸員の方は(解説は辞退したのだが)さぞやりにくかったことであろう。


 資料館を出て、地元資本の百貨店に入る。予想以上に魚売り場が凄い。ほとんど港の市場の一角がここに突出しているという趣である。カレイや海藻やツブ貝などを見て「嗚呼」「おぅ」と悶絶するが、ホテルではどうしようもない。血の涙をこぼしながら通り過ぎ、すっかり気に入った南部せんべいのコーナーへ。こちらは予想どころか、目を疑うほどの品揃えである。「海老・海苔入り」というやつを買って、ペットボトルのお茶うけにしながらしばらく小憩。そのあとはも少し街歩き。


 「本のまち・八戸」をPRしているらしい。目抜き通りのまん中に立派な構えの八戸ブックセンターがある。中も瀟洒なつくり。大都市の大型書店とは違って、何でもかんでもともかく沢山、というのではなく、色んな分野の人が自分で設定したテーマで選んだ書目を並べたり、読書会の部屋を設けたりしている。本好きとして、衷心より敬意を表します。実際こちらが「おや、こんな本あったんだ」というものも数冊見つけた(こうして荷物が増えてゆくのだ)。


 これで弾みがついてしまい、自ら禁としていた古本屋へ足が向いてしまう。東北の民間信仰についての冊子などを買う(こうして荷物が増えてゆくのだ)。


 ホテルに戻り、朝の銭湯で体をほぐすと丁度夕刻。今回は目を付けていたミロク横丁の店へ。さすがに「前沖」(八戸の海で採れた、ということ)の鯖の刺身は脂のこまやかなのりが絶品だったし、フジツボやとしろ(鮑の肝の塩辛)も酒の肴としては抜群。何よりも自分以外の客がみな地元の方で(といっても十人も入れば満員)、鯨馬には半分ほどしか理解出来ない南部ことばで賑やかに話し、景気よくコップ酒をあおっているという光景が頼もしい。こういうところであんまり長居するのはよくないな。


 ミロク横丁ではもう一軒で鯖や貝を焼いたので数杯。次はホテル近くで見つけておいたおでん屋に入る。芥川龍之介の作品名と同じ、ということはおでん屋としては頗る面妖な店名で、なんだか「極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら」お釈迦様がお歩きになっているのかとも思ったが、カウンターの中は南部美人のママさん、にっこり微笑んで迎えてくれたのだった。観光客があまり来ない店らしい。周囲ままたもや常連とおぼしき方々。「こんなとこ、何しに来た」と口々に詰問されつつ(はにかみというより、半ば以上本気で呆れてる様子)、滅法いい気分で熱燗をぐいぐいやる。


 あまり心持ちがよいので、おでん屋の後もう一軒。ここでは地元の看護師と仲良くなる。さすがに南部の人間は肌が綺麗で、そしてそしてこれが重要なのだが、若い娘でもよく呑みますな、しかし。母親が「イサバのカッチャ」だったというから、生え抜きの八戸っ子である。注して言う、「イサバのカッチャ」とは「魚市場の仲買のオバチャン」の意。なんでもカラスガレイの担当だったそうで、毎日弁当にどでーんと鰈の切り身が入ってるのは、多感な高校生時代、凄く嫌だったが、スジコ担当のカッチャと仲が良かったので、時折物々交換で手に入れたスジコが弁当にどでーんと入ってることもあって、それは凄く嬉しかった、という。なんだか哀切なような豪奢なような話であった。


 例の「なんでこんなとこに来た」というやつをかまされ、こちらも毎回同様に「一月に青森市で遊んで楽しかったから」と答え。ここで昨夜からの疑問が氷解した。


 「アオモリ」の名前をきくと、皆さん一様に「ふーん」と「はーん」の中間のような相槌で、片付かぬような表情のままそそくさと盃を乾すのである。慎み深い南部人はそれ以上語らなかったが、よく呑みよくしゃべりよく笑う、「津軽と八戸と一緒にしてもらっては困る」と一刀両断してのけた。文化も気質もまるで異なる、驚いたのはことばも別らしくて「津軽人が本気で話し出すと全く分からない(津軽は早口なのだそうだ)」。高慢ちきで小ずるい津軽の人間は大嫌い、とここまで明快だといっそ気持ちいい。「次来る時も、だから八戸に来ればいい」「でも来ても何にもないしなあ」と実に可愛らしいのである。

 

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