北の語り部~南部再訪(1)

 何せあのおっそろしいような大雨でしたからね。十分遅れた程度で飛行機が飛んでくれただけでも有り難いと思わなければならぬ。雨も二泊三日の旅の最終日にやや強めに降ったくらい。総じていい条件だったと言えるでしょう。

 

 青森は比較的短い期間で三度目となる。空港の警察官、駅の売店のオネエチャンの顔に見覚えがあるのがなんとなく嬉しい。新奇な土地に初めて足を踏み入れるのもいいが、こうして少しずつ自分と行く先の土地が馴染んでいく感覚もまた旅ならではの愉しみである。

 

 朝一番の便だったので、朝食を取る時間が無く、青森駅に着いた時(十二時前)には倒れそうなほど空腹。まずは以前から目を付けていた駅前の食堂で昼食、とすぐ決まった。駅からだだーっと走り込む。時分どきには前に行列が出来るのを見ていたためである。案の定、こちらが注文を終えるころには既に満員。外まで人が並んでいた。

 

 といっても観光客は六割といったところか。地元の会社員や現場のおにいちゃんの姿が目立つ。もちろんこうした方々はもりもり「昼ご飯」を平らげてらっしゃる。暢気な旅行客は、相席のお兄さんの視線を気にするフリをしつつ(本当は気にしてない)、帆立のフライ、かすぺ(アカエイ)の煮付け、けの汁、ミズの水ものといったあたりでゆっくりとビール二本、酒一合を呑んだ。

 

 後ろ二つの料理は注釈が要るかもしれない。けの汁の具は、今思い出せる限りでいうと、大根・人参・凍み豆腐・揚げ・こんにゃく・蕨など。この「おさない」では味噌仕立てだった(青森の郷土料理の本では清汁仕立てと説明していた)。ごく淡味なので酒の肴にもなる。本来は小正月に食べるものらしい。この旅では最高気温が十九度という日が続いたので美味しく頂けたが、やはりこれは寒のうちにふうふう吹きながら食べるべきもののようである。そしてミズ。東北名産の山菜。水ものというのは要は浅漬けなのだが、塩をしているだけでなく、唐辛子の輪切りと一緒に、水に浮かせてある。つまり水キムチのような恰好。これがたいへん宜しい。丼いっぱいでも平らげられそう。むろん、酒のアテとしてですよ。

 

 客が当方ひとりとなって酒を呑み終えると、新幹線の時刻にも丁度良い頃合い。前の旅からもう四ヶ月か、なぞと感傷に耽ってる余裕もあらばこそ、本八戸にはあっという間に到着。

 

 寒い。青森でも神戸から来た身には相当寒く感じられたが、細かい雨が小止み無く降る中をとぼとぼ歩いていくと、胴震いがするほどだった。

 

 これは要するに、晩飯では熱燗ということですな。とひとりごちてホテルへ向かう。今回の宿は中に温泉がある。さすがに三時過ぎでは誰も入っていなくて、ほわんと湯に浮いていた。かなりキック力のある湯で、部屋に帰ると体の芯までしびれるように熱くなっている。ベッドに倒れ込むとそのまま二時間熟睡。

 

 で、目覚めるとすぐ「何食おうかな」と考え始められるのであるから、まったく旅というのはこたえられません。

 

 いや、「何を」というのは正確ではない。この季節に八戸に来て海胆と鮑を食わないような莫迦がどこにいよう。だからこの問は厳密には「海胆と鮑の次に何を食べよう」と発せられるべきであった。

 

 三月の旅では居酒屋・屋台みたいなところばかり周っていたし、今回はひとつ料理屋に行ってみるか。と言っても予約していないから、懐石や会席の店は無理だろう。腰掛け割烹だったら大丈夫かな。と狙いを定めて徘徊、ろー丁(江戸時代、牢屋が置かれていたことから)の店に入る。「とりあえず生海胆と鮑を下さい」。

 

 海胆は殻付きを半分に割ったのが出て来る。その殻の棘がうねうね動いているのにたまげた。無論味は極上。塩も醤油も山葵も不要、ひたすらスプーンで卵巣をほじくる。「晩飯では熱燗ですな」とか呟いていた舌の根は、はやくも冷酒で潤されている。

 

 やはり浪が高かったらしく、水貝にするほどの大きさは獲れなかったとかで、鮑はステーキに。肝を刻んだので海藻を和えたソースがおいしい。これでまた冷酒を二杯。

 

 この後、海胆刺し(殻付きではない)と海胆の軍艦巻も食べた。普段口にするのに比べたら旨いのだが、それでも殻付き海胆の気品ある甘さには到底及ばないな、とか思いつつさらに冷酒の杯を重ねる。

 

 板前さんとぽつぽつ話しては呑んでいい気持ちだったところに、突如オッサンの集団がどやどやと繰り込んできた。いずれも獰悪にして兇暴、酷薄にして猥褻なご面相であって、陶然たる気分がいっぺんに吹っ飛ぶ。

 

 板前さんが、八戸だか青森だか東北だかの、中学だか高校だかの校長会だ、と教えてくれた。

 

 逃げ出すようにして店を出ると、生海胆と鮑は食せた訳ですから、至極ゆったりと二軒目を探す。同系統では気分が変わらないから、次はみろく横丁の屋台かな。

 

 一軒目ではホヤと胡瓜、それにせんべい汁を頼んだ。ホヤも旨かったし、殊にこの気温ではせんべい汁を啜ると極楽にいる心地だったが、逸品というべきは胡瓜である。糠塚胡瓜、という。縦に六ツ割にして普通の胡瓜の細目のやつ位の太さがあったから、元は余程雄大な形に違いない。皮は綺麗に剥いている。太い分、余計にさくさくした歯触りが愉しめるし、味も普通の胡瓜の青臭さがなく、どちらかというと、「まっか」(真桑瓜)に近い。

 

 言うまでもなく酒の下物に好適である。この店では氷水の鉢に浮かせての提供だったが、家庭ではこれを刻んで辛味噌と和えるのだそうな。飯に佳し、酒に佳し。

 

 しかし、糠塚胡瓜以上の御馳走は南部弁だったかもしれない。料理を作るのも、酒や料理を出すのも、そして横で呑んでいるのも、ばあさまである(と見えた)。この三婆の会話がよかった。といって、当方に話しかける時以外のことばは半分、いや三分の一も分からないのであるが、抑揚といい音節の多さといい、じつに音楽的で、最年長とおぼしきばあさまが、「店にスマホを忘れて、慌ててタクシーで取りに帰った」、というだけの話を語り出すと、なんだか古代より誦みならわされてきた神話伝説の類いを聴いているような気分になるのだった。

 

 あとは簡略にこの日の足取りを。屋台村でもう一軒、地魚の炭焼きで呑み、前回の旅でも入った出汁おでんの店で熱燗を呑み(美人ママは変わらず美人で、常連客の顔ぶれも前回とほぼ同じだった)、このおでん屋で教えて貰った蕎麦屋で天ぷら蕎麦を食い、これまた前回居酒屋の客が連れてってくれたバーで極上のバーボンを呑んだところで一日目は修了。ホテルに帰っても、さすがに温泉に入る気にはなれませんでしたな。

 

【ランキングに参加しています。下記バナーをぽちっ。とクリックしていただけると嬉しう存じます!!】

 

<a href=にほんブログ村 料理ブログ 一人暮らし料理へ

にほんブログ村 グルメブログへにほんブログ村 グルメブログ 食べ歩き飲み歩きへ

にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ