ウミネコの島~南部再訪(2)

 宿酔なんぞは気の持ちようである。と気を持ち直して朝から温泉に浸かり、朝食のせんべい汁を啜ると、重苦しい酔いの残りはどこかにすっと消えてしまった、という気がする。

 

 それこそ前回は二日酔い、というか寝不足で種差海岸に行けなかった。今日こそ行くべし。本八戸(地元の人間は「ホンパチ」)から電車で三十分もかからない。

 

 ここは天然の芝地が広がることで名高いとのこと。抜けるような青空の下で見たらまた別の感慨があるのだろうが、この時は予想通りにどんみりと雲が広がり、海もまた空の色を映して暗く、そして冬の日本海でも見たように大きな波が岩に打ち寄せては激しく砕ける。風は冷たく霧雨が身を包む。歯の根が合わないくらい寒い。どこかイギリスのコーンウォールあたりを連想させる荒涼たる光景はかえって賞翫にたえる・・・というより自分の裡なる荒魂が呼びさまされるようで、いつまでも見続けたかったけれど、旅先で肺炎になるのは困る。

 

 そそくさと灰色の海を背にして、駅前に泊まっていた遊覧バスに乗りこむ。困惑したのは、客が当方一人だったこと。遊覧バスなので、ガイドさんが付いている。これはどうも気詰まりな状況に陥った。一宮を巡歴していた川村二郎さんが同じような目にあったことを書いてたなあ、と思い出す(peinlichというドイツ語で形容していた)。ここらへん、その文章に似せて書いている。

 

 さて、微妙な空気は向こうとて同じこと。思ったよりもintimateな、とは通常のガイド口調ではない調子で説明してくれるので幾分ほっとする。

 

 前述のように突兀たる岩場に波が荒々しく打ち付ける眺めは同じ、ただ少し走ると綺麗な砂浜の手前(つまりバスが走る道路との間)には松林が伸び、それだけならどこでも見られるかもしれないが、松の根元に草地が広がるのは、少なくとも当方には珍しい。今は月見草が盛りですね、それから岩のあいだに咲いているのはすかしゆりです、とガイドさん。なるほど、一面にうす桃いろ(月見草)と橙いろ(すかしゆり)が点描されている。暗い海を背景にして、これはなかなか奇とすべき眺めだと嬉しくなる。あれ、ガイドさん、ひょっとして日光きすげですか、あそこに咲いているの。

 

 高原に咲くものとばかり思っていたが、ガイド嬢によると、海から吹く冷たい風、いわゆる「やませ」のために、海抜ゼロメートルの辺りでも高原くらいに気温が下がり、そのためにこの黄いろの端正な花も広がっているのだという。そこにえぞよろいぐさの白が可憐にアクセントを添える。

 

 僅か三十分程度ながら、夏の三陸海岸を堪能した。ちなみにこのバス、どこまで乗っても百円。

 

 終点の鮫駅までは行かず、八戸水産科学館前で下車。打ち割って言うと、水族館というよりは水槽コーナーという規模であっても、水族館好きは特に不満をおぼえない。ただ、折角だから海胆とか鮑とか鯖とかオイランガレイとか烏賊とか、八戸名産の魚を展示したらいいのに、とは思った。アロワナやデンキウナギならどこでも見られるのですから。

 

 水産科学館から、八戸随一の名所・蕪島まではすぐ。ご存じの方も多いだろうが、ここはウミネコの繁殖地、それも人の居住する領域に一番近い繁殖地として知られている。蕪島から続く砂浜にして既にウミネコが皆同じ方向を向いて身を竦めている。今は頂にある神社が改装中で島自体には入れない。それにしても鳥の数の多さ、いやこのかしましさよ。前後左右そして上方からも絶え間なくみゃあみゃあにゃあにゃあと声が押し寄せてくる(という感じなのだ)。それはなにか、デパートのセール会場(中高年女性向きの売り場である)に放り込まれたような印象であった。五分もいると、何故だか「汝は魯鈍である」「お前はやくざな酔っぱらいである」と糾弾されてる心持ちになって(後者はその通りなのであるが)、しまいにはムカムカしてくる。鳥対人間、ここでは人間の完敗という絵面となった。

 

 鮫駅に着いてみると、電車が来るまで小一時間ほど。どうせ同じ時間をつぶすなら、と陸奥湊駅まで歩いていくことにした。道中格別な街並みではないものの、廃業した銭湯とか三嶋神社の祭礼準備とかを眺めてあるくと退屈しないものである。正確には半分退屈しているのを余裕をもって愉しんでいた。

 

 陸奥湊からは電車で八戸市街に戻る。遅めの昼食。煮魚定食(あぶらめとなめたかれいの二種類あり)や鯖定食、イカ刺し定食といった高雅な品には目もくれず、育ちの賤しい鯨馬なんぞはここでも海胆尽くし定食を頼んでしまう。おまけに殻付き海胆は一つ五百八十円という安さに引かれて、更にお代わりを頼んでしまう。ここでも海胆のトゲはうねうねしていた。不思議に、どの海胆もスプーンで身をほじくりつくす、その途端ぴたりとトゲの動きが止まってしまう。してみると、最後の最後まで感覚を保っている訳か。案外、冷たいカネのサジで身をほじられるのは快感なのかも知れない。マゾヒズムの極致だな。

 

 昼から海胆にまみれた恰好だが、次八戸に行ったら(行くに決まっているのだが)、その時は是非なめたかれいの煮ざかなで瀟洒に一杯やりたいものである。

 

 夕方までは銭湯でうつらうつらしたり、スーパーを冷やかしたり。相変わらず気温は低いが、銭湯でほこほこしているから、かえって気持ちがいいくらいだった。歩き回っていい具合に腹が空いてくる。

 

 我ながら愕然としたことには、晩飯を考える時に「海胆に鮑はもういいかな」という思いが浮かび上がってきたのである。あれだけでまさか一生ぶんの海胆・鮑を食べ尽くしたという訳ではあるまいな。訝りつつも、カラダの要求にはさからえず、青森シャモロックを出す店で焼き鳥を食った。しこしことコクのある肉を頬張りながら、ビールとハイボールを阿呆みたいに乾す。

 

 そうすると我ながら愕然としたことに、店を出る頃には「さて、どこで最後の生海胆と鯖燻製とせんべい汁と糠塚胡瓜を食べるべいか」と探し回っていたのであった。

 

 八戸の、夜は長い。

 

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