魚菜記

 八戸から戻ってこの方、神戸にいる自分がどこか「虚仮なる人」のように思えてならない。向こうの最高気温が二七、八度なんどという情報を見るにつけ、余計にそう思う。あまりの暑さで、近所の平野祇園神社の祭礼にもお詣りしなかったくらいだものな。御許しくだされ素戔嗚さま。風流を愛でおはします御神なれば、「猛烈な暑さ」の下、犬の如く喘ぎ喘ぎ石段をよろぼひ登る苦行はよもことほぎ給ふまじ。それにしても「猛烈な暑さ」よりまだ気温が上がったらどう表現するつもりなのだろうか。上方なら「えげつない暑さ」と言えば足りると思うが。

 

 休みも家にいることが自然と多くなる。遮光カーテンを閉め切った部屋で、テレビも見ず、最近はゲームもせず、本を読むのは常のこととしても、いささか時の過ぎゆき方が単調になりがち。目の法楽でもすべいかと思い立って、綾波レイの特大ポスター・・・ではなく、観賞魚を久々に新しく買ってきた。水草のみで遊ばせていた小水槽二本に、ドジョウ(マドジョウとスジシマドジョウ)とミナミヌマエビとをそれぞれ投入。砂にもぐったドジョウが間の抜けた顔だけを表に出している眺めは誠に愛嬌があるし、ミナミのちょこまかした、それでいて魚とは異なり不思議と騒々しさのない動きも見ていて心落ち着くものである。

 

 ベランダの睡蓮鉢にも「黒メダカ」(とペット屋では書いていたけど、カダヤシちゃうかしら)を放ち、新開地「ふみ」のおかあさんから頂いた茗荷の苗を大きなサイズの箱に植え替え、ついでに茄子も剪定し、芹三ツ葉の枯れた葉を除く。そうそう土用なんだから、梅漬けも乾さねばならぬ。

 

 マンションの二階だから、ちょうど目の前にケヤキの葉むらが揺れているのだが、幹にとまった蝉は鳴きもせず、動こうともしない。

 

 まぼろしの雷声のなか蝉ねむる

 三伏や蝉鳴く前の一刹那       碧村

 

 ここまではもっぱら観るほうの魚であり菜ですが(茗荷の収穫は再来年くらいと言われているし、茄子もまだ実らず、ドジョウも当面は丸鍋にするつもりでない)、食べるほうでは何といっても漬け物。水キムチづくりに最近熱中しているという話はフェイスブックに載せた。それ以外にも、ぬか漬けは今が盛りだし、茗荷や胡瓜の梅酢漬けもこの時候が一等旨く食べられる。

 

 シコイワシをさっと酢で〆てから大根おろしに和えたのと、湯がきたての蛸のぶつ切りに、漬け物の豪華(このことばはこういう時にこそ用いるべきであろう)盛り合わせ。海にも山にもUSJにも夏フェスにも行かずともかかる贅沢が愉しめるのだから、まんざら夏も悪くない。

 

 最近読んだ本。

 

内田樹釈徹宗聖地巡礼』シリーズ(東京書籍)・・・内田さんの「暴走」をむしろ釈さんが引き留める気味合いなのが可笑しい。涼しくなったら自分で〈兵庫篇〉実行するか。

中沢新一『精霊の王』(講談社)・・・たとえば能楽という芸能が、いかにこの列島根生いの神々によって文字通りに鼓舞されているか。シャグジという〈小さな神〉の神出鬼没ぶり(神なんだから当たり前だが)がじつに興味深い。折口信夫的な言い回しだと「庶物の精霊」の跳梁する世界、ということになる。書き手にはこれまであまり相性がよくないなと感じてきたが、この仕事には瞠目。カイエ・ソバージュのシリーズもこんな感じなのかな?

巌谷國士澁澤龍彦論コレクション』(勉誠出版)・・・全5冊。「トーク篇」が面白かった。ここまで語り尽くす著者もすごいが、こういう本をだす勉誠もエライ。

○ロジャー・イーカーチ『失われた夜の歴史』(樋口幸子他訳、合同出版発売)・・・犯罪者やら異端者やら野獣やらが徘徊する西欧前近代の夜が危険なのは言うまでもないとして(それにしても同時代の日本よりよほど物騒な気がする)、それに対抗するかのように放蕩にうつつを抜かす連中が絶えなかったというところが愉快。そういやオレ、最近放蕩してないなあ。

○本田紳『八戸藩』(「シリーズ藩物語、現代書館)・・・いわゆる土地の人気(じんき)・気質というのは、県ではなく旧藩の広がりによって規定されている、としみじみ思う。

○清水真澄『戦国時代と禅僧の謎 室町将軍と「禅林」の世界』(洋泉社

○岡地稔『あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる』(八坂書房)・・・ヨーロッパ中世ファンタジー好きの方、巻末の「あだ名一覧」は根本資料ですぞ。

○レト、U.シュナイダー『狂気の科学 真面目な科学者の奇態な実験』(石浦章一・宮下悦子訳、東京化学同人

○平松洋『最後の浮世絵師月岡芳年』(角川新書)

○ダン・スレーター『ウルフ・ボーイズ 二人のアメリカ人少年とメキシコで最も危険な麻薬カルテル』(堀江里美訳、青土社)・・・ノンフィクション。面白く読みましたが、副題長すぎるやろ。まあ、最近はほとんど本文の要約に近いくらいくだくだしい副題の本ばかりなのだが。

○J.G.バラード『22世紀のコロンブス』(南山宏訳、集英社)・・・バラードも昔はこんなコテコテのSF書いてたのね(笑)。鯨馬は、「ヴァーミリオン・サンズ」のシリーズが一番好きだな。

○パトリス・ゲニフェイ, ティエリー・ランツ編『帝国の最期の日々 上下』(鳥取絹子訳、原書房

沓掛良彦ギリシアの抒情詩人たち  竪琴の音にあわせ』(京都大学学術出版会)・・・哲学者(ソクラテスプラトン)や劇作家(ソフォクレスエウリピデス)ならともかく、古代ギリシャの詩人なんて、サッフォーとかピンダロスとか、文字通りの名前に過ぎなかったから、これは貴重な一冊。名声がいくら赫々たるものがあろうと、自分の詩的感性からつまらないと思う詩人には率直にそう言っているのも信頼できる(なかなかこれは言い切れないものだ)。全体にやや繰り返しの記述が多いように見受けられるが、ともあれ枯骨閑人の文業なお盛んなることに、乾杯。

長崎浩摂政九条兼実の乱世 『玉葉』をよむ』(平凡社

○ジュリアン・ハイト『世界の巨樹・古木  歴史と伝説 ヴィジュアル版』(大間和知子他訳、原書房)・・・炎熱の中、部屋で寝っ転がって読むのにこれ以上ふさわしい本はない。屋内にいてなお緑陰を涼やかな風が渡るのを体感出来る。

○野林厚志編『肉食行為の研究』(平凡社

○ジャック・ル=ゴフ『ヨーロッパは中世に誕生したのか』(菅沼潤訳、藤原書店)・・・答えは無論「然(ウィ)」なのであるが、ル=ゴフの本に結論だけ求めるほど虚しい読み方は無いよな・・・と思いつつ頁を繰って訳者あとがきに行き着くと、なんとル=ゴフは急逝していたのだった。まあ、まだまだ翻訳は出るだろうから、それを慰めとするしかない。

 

 小説ではカルヴィーノの初期短篇集『最後に鴉がやってくる』(関口英子訳、「短篇小説の快楽」シリーズ、国書刊行会)を堪能した。パルチザン体験なども題材としてふんだんに取り入れられているのだが、そこはカルヴィーノだから、精緻な語りと構成できっちり仕立て直されている。そこからかえって生々しい田舎の農村や戦争末期の生の匂いが吹き付けてくるように思われるのが妙。

 

 

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