忍び寄るもの

 呑んで帰った時、マンションの階段で転倒、二週間ほど矢吹ジョーないしお岩様のように左目周りが腫れていた。それから一月ほど、激しい雨音に目を覚まし、居間の窓を閉めに行く途中、突然気を失って倒れた(数分意識がなかったようだ)。このときは膝をうった。「人の世の旅路のなかば」という詩句が痛切に身にしみる。

 だから、別段流行に乗って糖質制限しはじめたわけではない。元々あんまり興味が無かったけれどもなんとなく食べにゃならんのだろうなあと思い込んでいたところ、「そうでもありませんよ」と各方面から教えられて渡りに船とばかり飛びついた、という次第。

 朝・昼(弁当)の飯はぐい呑みに軽く一杯。夕食にはまったく食べない。その分、野菜・乾物いろいろ・肉・魚をもりもり食べる。ただし酒は“特別会計”として、焼酎・ウィスキー以外に、ビール・清酒・ワインといえどもこれを嫌わない。がぶがぶ飲む。それでもカロリー摂りすぎとは思えない。現に三か月足らずで三キロは痩せた。

 といって、たかだかダイエット療法程度に頭から湯気を立てるのは阿呆らしいので、外食のコースの時など、気にせずに食べる。『鷹楽園』の激辛焼きそばも『トラットリア サッサ』のイカスミパスタも、『海月食堂』の冷製担々麺・冷やしラーメン、いずれも美味しく頂きました。「腹いっぱいにするため」という枷が外れただけ、純粋に味を愉しめるようになったのかもしれない。

 ま、いくら食っても太らない十代二十代へのやっかみ半分なんでしょうな。

 読書がそうなっては終わりだわな、と思いながら、進行する老眼をかこちつつ本を読む。

石井公成『東アジア仏教史』(岩波新書)・・・いかにも日本的と思われている親鸞の思想を、たとえば東アジアという地平のなかで見てみるとどうなるのか。中国的仏教である禅・浄土を受け入れる際、何を切り捨てたのか。てな問題が浮かんできたりする。そういえば四方田犬彦さんも親鸞解読してましたね。
○スチュアート・ケルズ『図書館巡礼』(小松佳代子訳、早川書房)・・・長短様々な章からなる。寝転んで読もう。
大岡昇平小林秀雄』(中公文庫)・・・『本居宣長』には奇妙なほど沈黙している。一流の知識人でもあって、骨の髄までの文士、という人だったのだ、大岡昇平
アレクサンドル・デュマ『千霊一霊物語』(前山悠訳、光文社古典新訳文庫)・・・題名通りの珍品ではあった。
河合隼雄・松岡和子『決定版 快読シェイクスピア』(新潮文庫
○青木健『新ゾロアスター教史』(刀水歴史全書、刀水書房)・・・贔屓の学者のひとり。
○中村隆文『リベラリズムの系譜学』(みすず書房
○中路啓太『ミネルヴァとマルス 昭和の妖怪・岸信介』上下(KADOKAWA)・・・小説仕立ての伝記。陰キャにしか見えない主人公の陽気・豪気な部分に照明を当て、逆に吉田茂小林一三といった“宿敵”のほうが陰険そうに描かれている。陽気な統制派と陰気なリベラリスト。こういう切り口で戦前のあの社会を小説にするというのは発見。
○宮下規久朗『闇の美術史』(岩波書店
○宮下規久朗『聖と俗 分断と架橋の美術史』・・・宮下先生は、この書に限らず、ずっと“聖俗”という問題意識を持ってこられたと鯨馬は考えている。そしてそれを御専門のカラヴァッジョ研究だけにとどめず日本のポップアートまで視野に入れて考え続けているのが凄い。というか凄味がある。
○池上英洋『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(筑摩書房)・・・大冊だが、生涯編・作品編と分けて、それぞれに汗牛充棟の学説を綺麗に整理してくれているので、大変便利な本。
アンドレ・ブルトン『魔術的芸術』(巌谷國士監訳、河出書房新社)・・・新装縮刷版。前の本は重すぎて寝転んで読むには危険だった。
エドゥアール・シャヴァンヌ『泰山』(菊地章太訳、平凡社東洋文庫
○マーク・フォーサイズ『酔っぱらいの歴史』(篠儀直子訳、青土社)・・・内容は、ま、書名の通り。類書がたくさんある中で、いかにもイギリス人らしい皮肉の効いた口調が面白い。この著者がレトリックの本を書いてるというので早速ポチってみたところ、これもまた面白い(The Elements of Eloquence  Secrets of the Perfect Turn of Phrase )。レトリック好きにおすすめしたい。
○津野梅太郎『最後の読書』(新潮社)・・・老眼等々で本が読めなくなった、という話柄でからっと読ませるのがいい。
池内紀『ことば事始め』(亜紀書房)・・・鴎外『雁』の解釈に唸った。そうか、あれは滑稽小説だったのか!
 滑稽小説といえば、最近国書刊行会ボルヘスの『バベルの図書館』新装版を刊行した。旧版はほとんど読んでいたにも関わらず、数冊を合綴した装幀の迫力(カヴァーを剥ぐといっそう凄みがある)に圧されて手に取った。今までばらばらだった作家が一冊にまとまっているので、読み方に一種のゆがみが生じ、それが新鮮。たとえば、ドストエフスキー『鰐』(野卑でどす黒いユーモア)の照り返しに目を細めつつ、その前のカフカの諸篇を読み直すと、やたらと可笑しい(文字通り笑える、という意味)。そして意外に瀟洒。まあ、これは池内さんの訳文が《語り》の調子をきれいに活かしているからでもあるのだろうが。この調子だと、かつては退屈で仕方なかったレオン・ブロワなんかもおもしろく読み返せるかしらん、と今から楽しみ。
○藤田昌雄『陸軍と厠』(潮書房)
宮田光雄『ルターはヒトラーの先駆者だったか』(新教出版社)・・・書名と関係のある論考は一篇のみ。それも神学的な検討ではなくドイツの栄光を発揚した民族英雄の系譜という切り口だった。ので勝手に考えたが、やはりカトリックからヒトラーは生まれないんではないか。
関曠野『なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか』(NTT出版)・・・イエスは仏教の宣教僧だったのではというところから始まる。著者がいう「スキャンダルとしての思想史」なんでしょうな、これは。私はあはは。あはは。と愉しみながら所々でグラスを置いて(飲みながらのほうがいいですよ)ふーむ。と考えた。それにしても日本を褒める人たちってなんで会津、とか上方、とかいうスケールで発想しないのかな。
 田辺聖子さんを偲んでは三冊。
○『田辺写真館が見た“昭和”』
○『姥ざかり花の旅笠』・・・江戸時代、九州の奥様連中三人が善光寺・日光・江戸・上方を見物した旅日記を基にしている。おっとり花やいだ叙述が、いい。
○『いっしょにお茶を』
○ジョン・G.ストウシンガー『なぜ国々は戦争をするのか』上下(等松春夫他訳)・・・むろん鯨馬は戦史については全くの素人だけど、その眼から見てもえらくナイーヴな史観だなあと思う。評価軸もブレてるようだし。
小林信彦『生還』(文藝春秋)・・・脳卒中で入院した顛末の記録。その主題はともあれ、いい意味で独り合点な文体にますます磨きがかかっている。いつかこの著者は小林秀雄の文体を評して「東京者のせっかちな口調」といったが、それに近づいているのか。
○山川三千子『女官 明治宮中出仕の記』(講談社学術文庫)・・・なぜか心にしみた明治帝のことばをひとつ。「わしは京都で生まれたから、あの静かさが好きだ。死んでからも京都に行くことにきめたよ。」貞明皇后への隠微な批判も見え隠れする。
○ジョゼフ・ミッチェル『ジョー・グールドの秘密』(土屋晃訳、柏書房)・・・日本語版ミッチェル全集(選集か)というべき四冊のなかではやっぱりこの一冊がいちばんいい。なんといっても表題作がいいもの。巻末の青山南さんのエッセイも入魂の文章。私はこの青山さんの推理、当たってると思います。それにしても訳者はいうまでもなく、このシリーズを出してくれた柏書房さんに乾杯!
○ソフィア・サマター『図書館島』『翼ある歴史 図書館島異聞』(市田泉訳、東京創元社)・・・世界幻想文学大賞をとったハイ・ファンタジー。もひとつ。いかにも「異世界の風物・習俗をちりばめました」的な文体がなんだか洒落くさくてねえ。ゲームだと設定はいくら細かくても構わないのだけど。小説はやはり雰囲気ではなく、モノを伝える文章で語ってくれないと。

○向後千里『富士山と御師料理』(女子栄養大学出版部)
宮内庁侍従職監修『宮中 季節のお料理』(扶桑社)・・・興味深い発見がいくつも。盂蘭盆会の料理が出たり(神道の親玉の家にして!これぞ国民に寄り添う皇室と申すべきか)、年越しそばが出たり(御所を移るときには引っ越しそばも出るのだろうか)。それにしても、吸い物がみな磁器の椀で出るのは、中身はともかくなんだか不味そう。心から同情申し上げます。
○村田吉弘『和食のこころ』(世界文化社
塩田丸男『ニッポンの食遺産』(小学館
○小倉ヒラク『日本発酵紀行』(ディアンドデパートメント)
いしいしんじ『ある一年』(河出書房新社)・・・食日記という体裁だが、やたらに面白い。文学というのはこうあるべき。ある若手エッセイストの本(食べ物について語った本ばかりを扱う本)は、文章がぬるくて読めたもんじゃなかったもんな。
川上弘美『卵一個ぶんのお祝い。』(平凡社)・・・これもそう。どこを切っても作家の樹液がぽたぽた垂れるような川上ワールド。

 

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