パンチ&ジュディ

 ここに来てややバテ気味・・・夏痩せではなく、8月29日(ヤキニクの日)から三連チャンの焼肉パーチーによる肉食傷というのでもない。

 六月からずっと遅番のシフトが続いており、家事全般・買い出しには精励恪勤なる主夫(兼勤め人)としてはかなりストレスがたまっているのです。十一月末まで保つのだろうか、この調子で。すまじきものは宮仕え。

○トルクァート・タッソ『詩作論』(村瀬有司訳、イタリアルネサンス文学・哲学コレクション、水声社)・・・おおむねアリストテレスに則った詩論。アリオストの『オルランド』を批判している箇所もある。このシリーズ、ご贔屓のピエトロ・アレティーノの新訳も入るようで楽しみ。
○『塚本邦雄全歌集』(短歌研究文庫、短歌研究社)・・・一冊2000円でも高くはない。でも噎せ返るように濃密だから、全冊読み通すのには結構時間がかかりそう。
○コストマリー事務局/繻 鳳花『中世ヨーロッパのレシピ』(新紀元社)・・・出版社名で反応した人はファンタジー好きのはず。この本も同人誌「中世西欧料理指南」の改訂版として出されたもの。驚愕の名著『13世紀のハローワーク』といい、こーゆー過程で出来る本って増えてきてるんだなあ。
○板東洋介『徂徠学派から国学へ』(ぺりかん社)・・・明快な徂徠学解説の書と見た。冒頭の丸山眞男ばりのクサい文体も、体系全部をまるごと噛み砕き飲みくだしてやろうという鼻息、いや意気の強さの外に表れたるものと見ておくべし。ただし、そういう意味で、高山大毅さんのような、新たな問題系の提出には至っていない。望むらくは、徂徠学の問題系でついにときかねる壁にぶちあたって呻吟する様を暢達な表現で伝えてくれるような、学問の現場報告たる一書なり。
ジュリアン・グラック『街道手帖』(永井敦子訳)(風濤社)・・・エッセイ集。
芳賀徹『桃源の水脈』(名古屋大学出版会)・・・たいへん魅力的な主題ながら、水っぽい。やたらと東京大学東京大学と振り回すのも煩い。二点、見てみたい絵を教えてもらったことで辛抱しておきますか。
コンラッド『シークレット・エージェント』(高橋和久訳、光文社古典新訳文庫)・・・裏表紙の紹介文には「皮肉な筆致」とあるけど、普通に滑稽小説でいいのではないか。
オウィディウス『変身物語(1)』(高橋宏幸訳、京都大学学術出版会)・・・散々岩波文庫にはお世話になっていたオウィディウス。新訳は歯切れよく、清新。寝っ転がって残暑をやり過ごすのに最適。
○ロバート・リーチ『「パンチ&ジュディ」のイギリス文化史』(岩田託子訳、昭和堂)・・・冒頭の章では訳者の手になる「日本におけるパンチ&ジュディ小史」があって便利。伊東四朗パンチ&ジュディを演じていた、というのはなんとなく分かる(ただし園児向けにやや毒は薄めているとか)。所々で丁寧に上演されたあらすじが紹介されているのもありがたい。どのみち現代日本では絶対に見られない類いの芸だからなあ。。太夫・才蔵の古い型の漫才にもこういうあけすけに残虐な芸があったのかもしれない、ドツキ漫才の原型はここにあった、なんて論考があれば面白いのだがとか妄想する。妄想もうひとつ。鏡花の傑作長篇『山海評判記』のブキミな人形劇一座の出自は意外とここにないか。
長部日出雄『愉快な撮影隊』(毎日新聞出版)・・・追悼長部日出雄
○乾石智子『夜の写本師』(東京創元社)・・・「写本」のモチーフはもう少し丁寧に、いやこってりと扱ってほしかったが、佳作と言えるでしょう。今頃何言ってんのと莫迦にされそうだが、読む本は多く人生は短し。
○徳富猪一郎『蘇翁夢物語』(中公文庫)・・・さすがというか、尻尾をつかませない書きぶりがいっそ愉快。
辻静雄プルーストと同じ食卓で』(講談社)・・・辻静雄が文学者を招いて、文学作品に出てくる(またはその当時の雰囲気を再現した)料理でもてなす。ため息の出るような贅沢な料理。もちろん食材の高価ということもあるが、今風の料理ではないくらい手が込んでいる。

 料理といえば、北窓書屋主人菱岡憲司氏のブログで教えられて
○『「ラ・ベットラ」落合務のパーフェクト・レシピ』(講談社)・・・を買う。ま、イタリア料理ということもあって、辻さんの本に出てくる料理よりはうんと簡素なんですが、それにしてもかなり現代的になっている。少しの工夫でたしかに味は変わるものだ。パスタのような特にシンプルな料理だと違いは露わ。ただ、和食以外はほとんど作らない鯨馬にも、2019年現在ではやや常識となっている技法、もしくは移り変わった技法が含まれると見えた。というわけで、もっと現代的な調理法はどうなっているのか、と探して、次は
○『イタリア現代料理の再構築』(旭屋出版)・・・を読む(落合氏が代表をつとめるイタリア料理協会編)。ここまで来ると鯨馬なんぞの論評できる範囲ではありませんから、単に楽しんで読みました。伝統技法と現代的「再構築」が併記されているのがありがたい。日本料理も、低温調理はじめ、だいぶ新手がなじんできたようだが、かといってこれくらい流通が発達したあとは結局好みの問題になってくるのではないか。現に、
○高橋英一/高橋義弘『京都・瓢亭四季の日本料理』(NHK出版)・・・のごとき、「超」の字のつくオーソドックスな献立のかくも美味そうなこと。まずは若竹煮や冬瓜の葛煮を直球ど真ん中に打ち込める腕がなければ話にならないのだ。そして家庭料理でその腕があれば充分なのである(問題は今の料理人のうち何割がその腕を持ってるか、ですな)。