漬け物をかめばしづまる秋の水

 不思議に思うのは、夢がなぜあんなに劇的物語的な内容展開を持つんだろうかということ。日常の風景・人間関係とまったく関係ない話だもんなあ。しかも目覚めてから我と我が構想力に感心したりもするし。根元的な物語乃至虚構欲求があるということか。こういうことを教えてくれる本はないのか。

 さて、相変わらず遅番が続いているので、碌な料理も出来ず、今回も読書備忘録のみ。ま、ようやくそれらしくなってきた秋茄子を使ってしば漬け(茗荷をふんだんにまぜる)や辛子漬け(甘みは極力おさえる)を漬けて当人は結構愉しんでおります。

○深津睦夫『光厳天皇』(評伝選ミネルヴァ書房)・・・光厳院は本朝歴代でもっとも慕わしい帝のひとり。光厳さん関係の本は出るたびに読む(なんといっても岩佐美代子『光厳院御集全釈』がすばらしい)。本書では持明院統の家長として心を砕く院の姿をクローズアップしたのが特色か。南北朝、および観応擾乱の複雑怪奇な(または目を覆わしむる)変転も要領よく取りさばき、いわば《虚の焦点》たる院の人間としての深みがいっそうあわれに浮かび上がる。遺言は、何度読んでも胸に染みいるものだ。自由な現代語訳で示せば――「葬礼で人を煩わせるなかれ。骸は山河に葬ってくれればいい。松や柏が塚に生い育ち、風や雲が時に訪れてくれたら、それはわがよき友であってまことに喜ばしいね。もし山民村童が砂遊びをするような気持ちで塔を建てるというなら、ちっちゃなものならそれもまたよい」。
○山極寿一・小原克博『人類の起源、宗教の誕生』(平凡社新書)・・・小原氏の山極氏に対する、はなはだ礼篤くして・・・その分スリリングさに欠けるのを憾みとする。
野口冨士男『私のなかの東京』(文藝春秋
○モート・ローゼンブラム『オリーヴ讃歌』(市川恵里訳、河出書房新社
渡辺保『昭和の名人豊竹山城小掾』(新潮社)
○『〆切本』(左右社)
フレデリック・ベグベデ『世界不死計画』(中村佳子訳、河出書房新社
○M.P.シール『紫の雲』(南條竹則訳、アトリエサード)・・・これまた世界破滅モノ小説。
○エマヌエル・ベルクマン『トリック』(浅井晶子訳、新潮クレストブック)・・・ナチスにすりよって生きのびるユダヤ人という魅力的な主題だが、個々のエピソードに通俗なものが多くてのりきれない。今どき、父親がサンタと分かって幻滅する男の子、なんて話、通用するかね!?華麗なる変身を期待する。
○カート・アンダーセン『ファンタジーランド 上下』(山田美明訳、東洋経済新報社)・・・ブッシュ政権誕生あたりから、アメリカがいかに質の低いキリスト教に席巻されているか、だいぶん明らかになってきた。著者はそれはそもそも建国以来のアメリカ固有の伝統なのだとする。読んでいてげんなりする(書きぶりに、ではなくあの国に対して)。もっとも世界に冠たる無宗教国家がそれとしてどこまで誇るに足るものかどうかは別問題。
○志村五郎『鳥のように』・・・「志村予想」のあの数学者のエッセイ。ぶきぶきした文体でずばずば踏み込む感じが愉快。たとえば丸山真男がいかに陋劣な―よく知りもせぬことを「格下」と判断した相手にふりかざして自分を賢く見せる―人格であったか、ということがよく分かる。
○小倉孝誠『逸脱の文化史』(慶應義塾大学出版会)
○リン・トラス『図書館司書と不死の猫』(玉木亨訳、東京創元社)・・・ホラーとして書いた、との作者の弁あり。有馬鍋島猫騒動のほうが怖いと思うよ。
松尾秀哉・近藤康史『教養としてのヨーロッパ政治』(ミネルヴァ書房
フランコモレッティブルジョワ』(田中裕介訳、みすず書房)・・・デジタル・ヒュマニティーズの騎手なんだとか。しかしそのデータの使いこなしかたよりも、文体のくまぐまを精細に見ることから小説史の大きな流れを展望する手つきがなかなかの見ものだった。著者もたびたび参照しているが、アウエルバッハの二十一世紀版という趣もあり。邦訳が他に数種出ているようだから、もう少し読んでみたい。
福田和也『大宰相・原敬』(PHP研究所)・・・この著者にしてなんでこの対象?と不思議だけど、さすがに手練れの筆つきで読ませる。大隈重信は政治家としてはダメで、あれは明治のスーパーテクノクラートなんだ、と評するあたり、大向こうから声がかかるところである。その大隈や犬養と仲が悪かったというのは意外だった。散文的な人柄・政策を押し通すあたりが、ともすれば奇人・異才ばかりの目立つ近代日本政治史の中ではやっぱり、大宰相の器だったんでしょうね。
○西園寺由利『三味線ザンス』(小学館スクウェア
○鹿子生浩輝『マキァヴェッリ』(岩波新書
ジム・トンプスン『バッドボーイ』(土屋晃訳、文遊社)・・・これは犯罪小説ではなくトンプスンの自伝。豪快な祖父(本文では「爺」)のキャラクターが傑作。様々な職業を流転するあたり、ピカレスクの味わいもあり。
ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』(岸本佐知子訳、新潮クレストブック)・・・初の長篇。もてない四十女の異様な妄想生活の描写に始まり、美人で巨乳で足の臭い(!)娘がそこに転がり込んできて、小世界は破綻し、そして再生する。翻訳も見事。ま、モーソー世界を岸本佐知子が訳すんだから、こうなるほかはない。
○ドノヴァン・ホーン『モービー・ダック』(村上光彦訳、こぶし書房)・・・ファンタジー小説かと思いきや、海洋ゴミの現状を追ったノンフィクションなのだった(ダックとは、座礁したコンテナ船から流出したお風呂用のあひる型玩具のこと)。アラスカの沿岸に延々とプラスチックゴミが堆積している光景は、著者の口調が控えめなだけに尚更おぞましい。
大木康『明清文学の人びと』(創文社
山下範久『ワインで考えるグローバリゼーション』(NTT出版)・・・これは鴻巣友季子さんの『熟成する物語たち』で教えてもらった本。あ、鴻巣さんのこのシリーズ(前作は『カーヴの隅の本棚』)、いいですよ。ワインを論じて厭味にならず、文学を評して理に落ちず。山下氏の筆致も好感の持てるもの。んー、にしても無性にボルドーが呑みたくなってきた。
橋本治『もう少し浄瑠璃を読もう』(新潮社)・・・『浄瑠璃を読もう』続編。相変わらず、というか最後まで節々が冴えている。じつはとっても「近代」な人が江戸という不思議な世界をためつすがめつしながら面白がっていた風情がよかったのだ。合掌。