幻梅

 呉春(別号松村月渓)は江戸時代の絵師。平安の産ながら、しばらく摂州池田に住んでいた。代表作のひとつ『白梅図屏風』は今までかけちがって見ることがかなわなかった。某日、出勤前の時間を使って逸翁美術館に足を向ける。

 なんとなく銀泥地の紙に描かれてるように思い込んでいたので、藍色の背景にちょっと驚く。近づいてみると織りの文目が浮き出ている。当初は絹地とされていたが、葛布と鑑定が変わり、今では芭蕉布ではないかと言われている由。ともかく、少し離れてみるとこのテクスチュアが納戸色にちかい藍の調子と相俟って、思い出した夢のなかの夕闇空のよう。

 例の光琳の屏風、あの中の白梅はじつに立派な姿を見せているが、華麗さと晴れがましさに見る者を少しく照れさせるところがある。呉春の梅は、比べれば繊弱といってもいいのだろう。しかしその分だけ、梅のくせに柔媚な気配を漂わせている。エロティックといってもいい。ことに細心の布置で点綴された、花と開く寸前のつぼみとの音符の連なりから零れる人ならざるモノの囁きは背骨を撫でさするようで、凝視していると何やら面妖な心持ちになってくる。右側の木が誘うように玩ぶように左の一本に向かって枝をねじくれ、折れ曲がりながら差し伸べている風情もいい。

 正直、他の絵にはあまり心動かなかったのですが、この傑作ひとつを残したのだから、呉春以て瞑すべし。

 この「悩」艶なたたずまいをなんとか形にできないかと苦吟して、

 白梅の身じろぎつつめ夜の底    碧村

 しかしやっぱりここは、呉春が師事した蕪村の絶唱(名句という意味でも、遺作という意味でも)を引くに如くは無し。

 白梅に明くる夜ばかりとなりにけり  蕪村