門々より囃子のこゑ~えんぶり紀行(3)・了~

 定宿の朝飯はせんべい汁も出てすこぶる充実している。普段ならゆっくりしたためるところ、この日はせんべい汁だけ啜って飛び出した。言うまでもなく新羅神社での奉納摺りに駆けつけるためである。

 今のうちにえんぶりの基礎知識・用語をまとめておきましょう。

*起源は不明だが、豊作の予祝儀礼として始まったという説が多い。
*踊る・舞うと言わず、摺ると言う。地面に擦り付けるような動作が多い。田植えの動作を模したからだという。
*門付けの風習が卑賤だとして、明治にはえんぶり自体が禁止される。⇒識者の奔走で、新羅神社の稲荷の神輿渡御に伴う豊年祭という形で復活。つまり元々は特定のお宮に属さない祭礼だったらしい。
*地域ごとに組があり、着付け・所作・囃子が異なる。
*摺りの中心を太夫という。三名乃至五名。
太夫は馬の頭を模した花やかな烏帽子を付ける。手には鳴子やジャンギと呼ばれる、農具を模した棒を持つ。
*「ながえんぶり」「どうさいえんぶり」の二種類がある。
 ・ながえんぶり…荘重優雅な動きが特徴。太夫の頭領である藤九郎と他の太夫が異なる動きをする。
 ・どうさいえんぶり…勇壮華麗な動きが特徴。太夫全員が同じ動きをする。
太夫の摺りの合間には、主としてこどもたちによる祝福芸(えびす舞・大黒舞・えんこえんこ等)が行われる。

 昨日以上に冷え込みは厳しい。雪も時折。ま、二月の八戸としては気の抜けるような程度ではあるのだけれど、「ああ、今からえんぶりが始まるんだなあ」としみじみ実感。そして長者山の麓にたどり着くと、かすかに流れてくるお囃子の音でその気分はさらに盛り上がる。うねうね道を思わず早足になって上る。

 杉林を抜けると、そこはえんぶり国だった。

 所狭しと各えんぶり組が奉納摺りの順序を待って並んでいる。主観的には目路の限りという感じで、幟を先頭にして太夫、えびす・大黒に分したこども、囃子方(無論えんぶり用の装束)が続いていた。

 どの組も、待つ間も休むことなくお囃子を奏し続けているので、笛・太鼓・すり鉦・かけ声のリズム・高さが少しずつずれながら、でも全体としては力強い響きの奔流となって空に駆け上っていく勢い。

 老来あちこちのセンがゆるみつつある人間は急速に視界がぼやけてきた。カラダがしびれる。ああ、ようやく「ここ」に来られた。

 しばし瞑目して囃子の流れに身を浸したあと、えんぶり組が通る参道傍に移動。奉納の時は太夫の摺りだけらしい。次々と組が換わってゆく。その分、各組の装束の違いや摺りの所作の特徴がよく分かる。足許からの冷えも気にならず、見続ける。白粉を塗り、紅をさしたこどもたちの中には、二三歳と見受けられるのも混じっている。年長の子に手を引かれて歩を進めながら時折こっくりこっくりしているのがまたなんとも可愛らしい。そうそう、えんぶり組のなかには○○小学校・□□中学校・八戸市庁といった幟が見えるのも頼もしい感じでした。

 そのうち、背後の広場では撮影会が始まった。こちらは太夫の摺りもフルヴァージョン、こどもの祝福芸も挟まる。観光客には所作の細かいところは分からないが、摺りの「決め」の瞬間における太夫の視線の揃いかたがすごくカッコイイ。また、このときには囃子が止まり、親方の唄と、単調にとーんとーんと太鼓だけが鳴り渡る(『忠臣蔵』四段目みたい)。その厳粛な空気のなかで激しく烏帽子を振る動きが本当に素晴らしくて、また涙が流れてくる。

 それにしても、前の奉納摺り、後ろの撮影会と、振り向きまた振り返り、泣いては眼鏡を外して涙を拭い、鼻をかんではスマホで撮影し、なんともせわしない見物である。行列の組の方たちから「けったいなやっちゃなあ」と(南部弁で)見られていたように思う。

 二時間近く経って、漸く奉納待ちのしんがりが見えてきた。次はどうなるのか。あんまりスケジュールを把握していなかったので、あるえんぶり組が山を下りるのについて行く。二三分歩くと、広大な広場が見えてきた(長者まつりんぐ広場というのだそう)。えんぶり組があふれかえっている。中心街への行列出発のあいだまで軽食をとったり、振りの最終確認をしたりして過ごすらしい(取り締まりのおじさんに伺った)。まだ時間があるので、当方も一旦ホテルへ戻って朝食を取り直すことにする。

 まつりんぐ広場にふたたび来てみると、もう各組が整然と列を作っていた。壮観という他ない。

 十時になると合図の花火が打ち上がって行列出発。朝の寒気はだいぶ和らいで、雪は小雨へと変わっていた。鯨馬は幟の文字をたよりに行き着いた中居林組にくっついて行く。ここは前々回に紹介した地元の写真愛好家・mamoさんこと二ツ森さんご推奨の組ときいて、一斉摺りでは「定点観測」しようと決めていたのである。

 なにせ三十を超える組が歩くわけですから、街の通りの端から端までがえんぶり一色。四角く回っていくところでは、ビルや民家のあいだから向こうの通りにも烏帽子や太鼓がのぞいたりしてなんとも不思議な感覚。言うまでもなくこの間ずっとお囃子が響いているのです。

 さて我が中居林組(←すでに調子に乗っている)は、十三日町のヤグラ横丁で歩みを止めた。いよいよ一斉摺りのはじまり。鯨馬は歩道のきわ、一番前に陣取って見ております。

 中居林はながえんぶりのなかでは唯一五人の太夫で摺る組らしい。それだけに、先に記した太夫の視線がぴたっと合う瞬間の恰好よさといったらない。背筋がぞくぞくする。また摺り終わった後の辞儀がとっても低く、そこから左前に顔を振りながら少しずつ立ち上がっていく動きにも見惚れる。

 えびす舞はこども二人が出てくる(これも組によって違う)。えびす様が釣り竿を取り出して鯛を釣るまでを表した舞で、剽げた味わいがある。このえびす役のうちひとりの男の子にも感心した。滑稽な舞だからといってけしてそれらしい表情・仕草を強調せず、むしろ真摯な顔つきなのだが手をひらひらさせる時の動きや目のやり方に自然とにじむ愛嬌があって、「逸材ですなあ」と唸ってしまう。

※あとで二ツ森さんのブログを読んでいると、同じ舞手を褒めていたので嬉しくなった。「この新人は筆力あるなあ」と見極めをつけた本が、『毎日新聞』書評欄で鹿島茂に絶賛されているのを見た気分。


 一斉摺りは小一時間続く。さすがにひと組だけでは勿体ないので、時間の許す限り見て回る。とりどりに面白かったが、中居林以外でとりわけ良かったのは横町組。

 ここもながえんぶり。だから全体としては神事らしいグラーヴな趣なのだが、藤九郎の動きが裂帛の気合い、と古風に形容したくなる激しいもので、はっ。とさせられる。烏帽子の振りも、頭をあおのかせてするので余計に鋭角的な印象をもたらす。その藤九郎の動きの左右では、太夫が中腰になって、右手の鍬台を後ろ手に地面に突き立て、左手の手ぬぐいをある時は緩やかにある時は素早く肩へ向けて振る所作を続ける。このアンサンブルが素晴らしい(是非YouTubeでご覧あれ)。スマホの撮影などとっくに忘れて見つめ続けるうちに、ただただ涙が溢れてくる。我ながら可笑しいくらい溢れてくるが、なに人目など構うものか。

 あっという間の、でも圧巻の一斉摺りだった。

 別々に行動していた禄仙子とは食堂で待ち合わせ。こちらはなめた鰈の煮付け、向こうは鯖づくしの定食。どちらもむやみに量がある。酢の物盛り合わせまで頼んで、普段ならこのコンビ、ぐだぐだと呑み続ける状況ながら、生ビールは一杯のみで切り上げる。お察しのとおり、次なるえんぶり披露に間に合わせるためである。

 場所は八戸市庁舎前の広場。元は南部の殿様にご披露したものなので「御前えんぶり」と名前が付いている(今は殿様の恰好に扮した市長が見物する)。この頃にはすっかり晴れ上がっていた。親方の唄(歌詞はさっぱり不明)が青空に立ち上っていくという感じがめでたい。

 この後、晩飯まではまたも自由行動。禄仙は銭湯に行く、と言う。鯨馬はその間も街を回って、あちこちで行われるという門付けを見ていた(後で聞けば、銭湯の中にも門付けが来て、湯上がりの禄仙、当分出られなかったらしい)。新羅神社、または一斉摺りの時ほどの迫力は無いにしても、門々(本当にあちこちでやっている)から囃子の音色、太夫の口上のひびいてくる風情は格別。どこかの信用金庫での門付けを横から見ていると、窓口の向こうでは男性の行員が直立し、謹直な表情で摺りや大黒舞を見ているその後ろで他の行員が一心不乱にパソコンをたたいてる光景が可笑しかった。ま、門付けが来るたびに全員手を止めてたんでは仕事にならんわな。

 続きましては更上閣なるお屋敷での「お庭えんぶり」。庭を鍵の手なりに囲む座敷・縁先に座布団を並べたところで観賞するという趣向。距離が近く、しかも解説が付いているのでゆったりと見られる。豊年を予祝する儀礼だから、激しく烏帽子を振ってジャンギなどで地面を摺る動作は、田の神を眠りから呼び覚ますため、という説明になっている。それに違いはなかろうが、庭のかがり火に照らされながら摺る太夫の所作を見ているうちに、なんとなく太夫その人もまた、「まれびと」として田を祝福しに降り立った神なんだな、と思った。あの厳しくも麗しい目つきは、そう神のものだったからなのだ(と妄想)。二組の摺りを見て、せんべい汁・甘酒、それにお土産の菓子までついて二千八百円は安かった。

 ホテルで小憩してるあいだも頭に囃子が鳴り続けるくらい堪能したのですが、まだこれで終わりではなかった。晩飯は昨日のリベンジでみろく横丁『ととや烏賊煎』。みろくのなかでは大構な店で、鯨馬も初見参。禄仙と二人、「いや結構でしたな」などと地酒をあおっておりますと、またしても門口から囃子の音が。

 思いついた鯨馬、女将さんに「門付けはこちらからお願いしてやってもらえるものなんですか」。「もちろんです。内容はご祝儀の額によって変わります」。

 何ぞこの機会をみすみす逃そうか。女将さんの助言通りに親方に些少ながらとご祝儀を渡すと、がらっと戸口を開けてえびす舞・大黒舞・摺り納めを披露してくれた(えびす舞が巧者でよかった)。他の客がきゃあきゃあと言いながら撮影してるのを横目に杯を含んでいるのは、なんというか、クラブでシャンパンタワーをおごったみたいで、たいそう気分が良いものでありました。

 『烏賊煎』で食べたものは、
○烏賊そうめん・・・特になんと言うこともないが、しかしやっぱり旨い。
○なまこ刺し・・・「なまこ酢」ではなくて刺身。山葵醤油で。酢を吸ってないぶん、こりこりしている。
○モウカのホシ・・・モウカザメの心臓の刺身。ゲテモノのようでさにあらず。こんにゃくのような食感で至極あっさりしている。ニンニク醤油で食べる。
○姫ニンニクの天ぷら・・・根っこと茎も付いている。品よい甘さ。香りも穏やか。
○北寄貝の炙り・・・一切れで一合いける。うまみの塊。

 二軒目のリクエストを訊いてみると、「もう一回『鬼門』に行きたい」とのこと。当方もそう考えていたところ。カウンターの端っこに入れてもらい、独活の酢味噌・鮟鱇の共和え(あっさりしてるようで充実しており、脂ぎっているようでくどくない)・そしてまたあの驚異の白子なぞで八戸最後の夜を惜しみつつ呑んだ。仙台まで新幹線で戻る禄仙とは『太助』の蕎麦でお別れ。

 翌朝。どうにも立ち去りがたい思いで本八戸駅に向かっていると、おお、ああ、またしても囃子の音が。一目惚れしたときみたいに心臓がキュンとなる。音のしてくる小路に駆け込んでみると、内丸えんぶり組が近所の店に門付けしていたのだった。何と御名を申し上げればよいのか知らないが、「八戸の神」の指先が当方にそっと触れたように感じた。

 来年も行く。有給を使いはたしてでも、親を質に入れてでも、行く。