鳥獣の王

 今季のジビエは2回。対照的な出し方で、両方とも愉しみました。自分の心覚え代わりに記しておく。

 

【T.N】

○鹿と雲丹とキャビアのタルト

穴熊と猪のテッリーナ 洋梨 タレッジョ

○山鶉 トリュフ 栗のトルテッリ

○雉子 ポルチーニ タヤリン

○洗い熊のストラコット

カラマンシーのグラニ

雷鳥 真鴨 尾長鴨

○モンテ・ビアンコとほうじ茶のジェラート

 

雷鳥、真鴨、尾長鴨は全部出たのである。真鴨=真、尾長鴨=行、雷鳥=草という味わいの違いが妙。ワインはペアリングでお願いしていたのだが、雷鳥は「スコットランドの国鳥ですし」と、なんとスコッチ(バランタイン)を出すという洒落た合わせ方。

 

【Ronronnement】

○ハム(ロース)、蝦夷鹿とフォアグラのパテ

○紫白菜とサラミ、コンテのサラダ

○リヨン風ソーセージ

○ウフマヨネーズ、トリュフ添え

○きのこのオムレツ※ほとんどきのこの玉子和え、というくらいきのこたっぷり。「かのした茸」というのが濃厚で美味い。

○メインの山鳩は、ローストとパイで出す予定だったのだが「弾の当たり所が悪く、足が潰れていたので」、とはじめは各部位を焼き鳥風に炙って、後半は胸肉のロースト、という趣向。まあ、ハトにしてみりゃ、どこに当たろうが「当たり所が悪」いということになる。手羽先から始まり、心臓・砂肝・肝の串焼き、股、脳みそがまず出てくる。圧巻はやはり臓物の串焼き。芳醇にして高雅。フレンチのシェフに串焼きなんぞ出させて申し訳ない限りであるが、シェフの前ちゃん自身がこういうイチビリを少なからず楽しんでいる気味合いもある。後半のローストは薔薇色の身がまことにうつくしく、羽二重のような舌触りが官能的で、噛んでると(ジビエですから)豊潤な血の味わいが溢れてくるという三段構え。

 

 

 

○ローラン・ビネ『言語の七番目の機能』(高橋啓訳、東京創元社)・・・こういう題名ですが、ミステリ・・・というか、うん、日本ではこういうとき「伝奇小説」という便利な呼び方があった。ロラン・バルトの事故死に端を発して、ヤコブソンの知られていない手稿を巡る謎解き(『薔薇の名前』!)という高踏的な筋書きだが、ぐいぐい読ませる。無論フランス現代思想に多少鼻が利けばより面白く読めるかも。門外漢でもフーコーソレルスの戯画は充分楽しめた。日本でこんなの書いたら・・・訴訟の嵐か。

ウィリアム・トレヴァー『ラスト・ストーリーズ』(栩木伸明訳、国書刊行会)・・・文字通り最後の短篇集。なぜか短篇集はどれも「珠玉の」と枕詞が付くけれど(映画監督はなべて「鬼才」なるが如し)、これこそまさに粒も輝きもとりどりに見事な真珠を連ねたような一冊。論評する気も失せる。装幀も素晴らしい。

小泉武夫『酒肴奇譚』(中央公論新社

江原恵江戸料理史・考』(河出書房新社

○『なにわ大阪の伝統野菜』(農山漁村文化協会

青柳いづみこ『阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ』(平凡社

田中優子『江戸から見ると 1』(青土社)・・・毎日新聞連載のコラム。総長の激職の合間に手を抜かずに書いてるのはすごい。

○長谷川修一『旧約聖書 戦いの書物』(「世界を読み解く一冊の本」、慶應義塾大学出版会)

東雅夫編『幻想小説とは何か』・・・三島由紀夫のアンソロジー。小説の他、対談・評論なども収録。なるほどこうも見られるか。

○E.W.ハイネ『ルターの蚤』(佐藤恵三訳、リフレ出版)

○小川剛生『徒然草を読み直す』(ちくまプリマー新書)・・・叢書の性格からして記述は平易だが、今回も指摘は鮮やかそのもの。この学者さん、本当に出来る。

渡部直己『日本小説批評の起源』(河出書房新社

関根達人『石に刻まれた江戸時代 無縁・遊女・北前船』(「歴史文化ライブラリー」、吉川弘文館

野坂昭如『「終戦日記」を読む』(中公文庫)

○ジュリア・ボイド『第三帝国を旅した人々』(園部哲訳、白水社

中野知律プルーストとの饗宴』(水声社

○渡部泰明『和歌史 なぜ千年を越えて続いたか』(KADOKAWA選書)

○中森康之『芭蕉の正統を継ぎしもの』(ぺりかん社

川本皓嗣俳諧詩学』(岩波書店)・・・連句の「付け」は一般に考えられてるように隠喩によるものではなく、換喩的なのではないか、という指摘あり。少なくとも「無理矢理隠喩的に解釈している」読みがあることは確か。でもやっぱり蕉風のある種の付けは隠喩でないと説明出来ないんじゃないか。という反論は出るが、こういう用語で説明してくれると見え方が異なってくるので有り難い。連歌から一茶まで、総まくり的統計的に切れ字の用法を調べているところも圧巻。