冬ごもり

 色々あって気が滅入っているが、それでも本は読まねばならぬ。というか、本こそ間違いない慰め。
○マーカス・デュ・ソートイ『レンブラントの身震い』(富永星訳、新潮社)…『素数の音楽』著者によるAIをめぐるサイエンス・ノンフィクション。チェスと囲碁・絵画・音楽・数学・文学(特に小説)でAIはどこまで人間に迫り、あるいは越えられるか。もちろん答えは出ないのだが、AIの仕組みが丁寧に説明されていて有用。それにしても、この分野の翻訳、質が上がったなあ。
ロラン・バルトミシュレ』(藤本治訳)…藤原書店が出している『フランス史』シリーズとももう10年の付き合いになる。ある程度ミシュレの著作に親昵したうえで、全体を展望しましょ、と思って手に取ったが、いやあ、聞きしに勝るいい本やなあ。蓮實重彦が絶賛するのも分かる。
カレル・チャペック『白い病』(阿部賢二訳、岩波文庫
アンドレス・バルバ『きらめく共和国』(宇野和美訳、東京創元社
○ヤン・プランパー『感情史の始まり』(森田直子訳、みすず書房
釈徹宗『天才富永仲基』(新潮新書
岡本隆司『世界史とつなげて学ぶ中国全史』(東洋経済新報社
岡本隆司『近代中国史』(ちくま新書
岡本隆司『世界史序説』(ちくま新書
岡本隆司『中国の論理』(中公新書
○寺前直人『文明に抗した弥生の人びと』(歴史文化ライブラリー、吉川弘文館
○原啓介『眠れぬ夜の確率論』(日本評論社
東海林さだお『ひとり酒の時間イイネ!』(大和書房)
○高橋昌明『定本酒呑童子の誕生』(岩波現代文庫
○服部独美『教皇庁の使者』(国書刊行会
○レッシング『賢者ナータン』(丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫
長谷川幸延『法善寺横丁』(たちばな出版)
蓮實重彦『言葉はどこからやってくるのか』(青土社
○藤原昌高『ぼうずコンニャクの全国47都道府県 うますぎゴーゴー!』(マイナビ出版
○マイケル・ドズワース・クック『図書室の怪』(山田順子訳、創元文庫)
井上泰至正岡子規』(ミネルヴァ評伝選、ミネルヴァ書房
○ミシェル・ヴォヴェル『死とは何か』上下(立川孝二訳、藤原書店
○久水俊和『中世天皇葬礼史』(戎光祥出版
ジョン・ウィリアムズアウグストゥス』(布施由紀子訳、作品社)
奥本大三郎『蝶の唆え』(小学館
○檀上寛『明の太祖 朱元璋』(ちくま学芸文庫

 

 

レンブラントの身震い (新潮クレスト・ブックス)

レンブラントの身震い (新潮クレスト・ブックス)

 

 

 

 

鳥獣の王

 今季のジビエは2回。対照的な出し方で、両方とも愉しみました。自分の心覚え代わりに記しておく。

 

【T.N】

○鹿と雲丹とキャビアのタルト

穴熊と猪のテッリーナ 洋梨 タレッジョ

○山鶉 トリュフ 栗のトルテッリ

○雉子 ポルチーニ タヤリン

○洗い熊のストラコット

カラマンシーのグラニ

雷鳥 真鴨 尾長鴨

○モンテ・ビアンコとほうじ茶のジェラート

 

雷鳥、真鴨、尾長鴨は全部出たのである。真鴨=真、尾長鴨=行、雷鳥=草という味わいの違いが妙。ワインはペアリングでお願いしていたのだが、雷鳥は「スコットランドの国鳥ですし」と、なんとスコッチ(バランタイン)を出すという洒落た合わせ方。

 

【Ronronnement】

○ハム(ロース)、蝦夷鹿とフォアグラのパテ

○紫白菜とサラミ、コンテのサラダ

○リヨン風ソーセージ

○ウフマヨネーズ、トリュフ添え

○きのこのオムレツ※ほとんどきのこの玉子和え、というくらいきのこたっぷり。「かのした茸」というのが濃厚で美味い。

○メインの山鳩は、ローストとパイで出す予定だったのだが「弾の当たり所が悪く、足が潰れていたので」、とはじめは各部位を焼き鳥風に炙って、後半は胸肉のロースト、という趣向。まあ、ハトにしてみりゃ、どこに当たろうが「当たり所が悪」いということになる。手羽先から始まり、心臓・砂肝・肝の串焼き、股、脳みそがまず出てくる。圧巻はやはり臓物の串焼き。芳醇にして高雅。フレンチのシェフに串焼きなんぞ出させて申し訳ない限りであるが、シェフの前ちゃん自身がこういうイチビリを少なからず楽しんでいる気味合いもある。後半のローストは薔薇色の身がまことにうつくしく、羽二重のような舌触りが官能的で、噛んでると(ジビエですから)豊潤な血の味わいが溢れてくるという三段構え。

 

 

 

○ローラン・ビネ『言語の七番目の機能』(高橋啓訳、東京創元社)・・・こういう題名ですが、ミステリ・・・というか、うん、日本ではこういうとき「伝奇小説」という便利な呼び方があった。ロラン・バルトの事故死に端を発して、ヤコブソンの知られていない手稿を巡る謎解き(『薔薇の名前』!)という高踏的な筋書きだが、ぐいぐい読ませる。無論フランス現代思想に多少鼻が利けばより面白く読めるかも。門外漢でもフーコーソレルスの戯画は充分楽しめた。日本でこんなの書いたら・・・訴訟の嵐か。

ウィリアム・トレヴァー『ラスト・ストーリーズ』(栩木伸明訳、国書刊行会)・・・文字通り最後の短篇集。なぜか短篇集はどれも「珠玉の」と枕詞が付くけれど(映画監督はなべて「鬼才」なるが如し)、これこそまさに粒も輝きもとりどりに見事な真珠を連ねたような一冊。論評する気も失せる。装幀も素晴らしい。

小泉武夫『酒肴奇譚』(中央公論新社

江原恵江戸料理史・考』(河出書房新社

○『なにわ大阪の伝統野菜』(農山漁村文化協会

青柳いづみこ『阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ』(平凡社

田中優子『江戸から見ると 1』(青土社)・・・毎日新聞連載のコラム。総長の激職の合間に手を抜かずに書いてるのはすごい。

○長谷川修一『旧約聖書 戦いの書物』(「世界を読み解く一冊の本」、慶應義塾大学出版会)

東雅夫編『幻想小説とは何か』・・・三島由紀夫のアンソロジー。小説の他、対談・評論なども収録。なるほどこうも見られるか。

○E.W.ハイネ『ルターの蚤』(佐藤恵三訳、リフレ出版)

○小川剛生『徒然草を読み直す』(ちくまプリマー新書)・・・叢書の性格からして記述は平易だが、今回も指摘は鮮やかそのもの。この学者さん、本当に出来る。

渡部直己『日本小説批評の起源』(河出書房新社

関根達人『石に刻まれた江戸時代 無縁・遊女・北前船』(「歴史文化ライブラリー」、吉川弘文館

野坂昭如『「終戦日記」を読む』(中公文庫)

○ジュリア・ボイド『第三帝国を旅した人々』(園部哲訳、白水社

中野知律プルーストとの饗宴』(水声社

○渡部泰明『和歌史 なぜ千年を越えて続いたか』(KADOKAWA選書)

○中森康之『芭蕉の正統を継ぎしもの』(ぺりかん社

川本皓嗣俳諧詩学』(岩波書店)・・・連句の「付け」は一般に考えられてるように隠喩によるものではなく、換喩的なのではないか、という指摘あり。少なくとも「無理矢理隠喩的に解釈している」読みがあることは確か。でもやっぱり蕉風のある種の付けは隠喩でないと説明出来ないんじゃないか。という反論は出るが、こういう用語で説明してくれると見え方が異なってくるので有り難い。連歌から一茶まで、総まくり的統計的に切れ字の用法を調べているところも圧巻。

 

 

 

二百七十字の八戸

 鮨大沢昼の酒八仙試飲がわんこ酒状態鬼門青魚祭魚屋烏賊運び込む蜘蛛の糸女将さんやっぱり美人はっちで菊見て下田イオン尾形の馬刺しに桜鍋割烹丹念大将闊達大間鮪流石八戸天ぷら初体験KIMU家の大将ともようやく会えた酒BARツナグは元蔵人酒蔵事情が面白い郷土史頂くmamoさん感謝日曜朝は館鼻岸壁朝市豊饒混沌小宇宙狂喜乱舞で食べまくる茸に干物買いたかったブロンズグリルでハンバーガーついでに番丁庵の昼酒肴酒蕎麦なべて佳し八戸公園遠かりきされども紅葉燦然とサカナヨロコブ烏賊ワタルイベはお定まりらぷらざ鯨汁もお定まり思いは既に二月のえんぶりに飛んでいる

 以下は覚え書きというまで。

佐藤優『「日本」論 東西の革命児から考える』(KADOKAWA)・・・「革命児」とはルターと日蓮。『立正安国論』を王法第一仏法第二とする学者の解釈がおかしいことを丁寧に論じる。また世間に流布する矯激な攻撃手(ほとんどネトウヨのようだ)というイメージは実体とズレがあることも指摘する。
○ニコラス・J・ベーカー・ブライアン『マーニー教 再発見された古代の信仰』(青木健訳、青土社
○三浦佑之『神話と歴史叙述』(講談社学術文庫
エドマンド・バークフランス革命についての省察』(二木麻里訳、光文社古典新訳文庫)・・・実に暢達な訳。小見出しも親切でよろしい。
○クレア・プレストン『ミツバチと文明 宗教、芸術から科学、政治まで文化を形づくった偉大な昆虫の物語』(倉橋俊介訳、草思社
○小林道彦『近代日本と軍部 1868―1945』(講談社現代新書)・・・この分野の標準的な参考書になりそう。
中村安希『もてなしとごちそう』(大和書房)
○大角修『日本仏教の基本経典』(KADOKAWA選書)
○大場秀章『名画の中の植物』(八坂書房
○吉田一彦・上島亨編『日本宗教史Ⅰ 日本宗教史を問い直す』(吉川弘文館
植田彩芳子・中野慎之『近代京都日本画史』(求龍堂
中谷礼仁『実況・近代建築史講義』(LIXIL出版)
中村哲郎『勘三郎の死 劇場群像と舞台回想 評話集』(中央公論新社
○青木健『ペルシア帝国』(講談社現代新書
神塚淑子道教思想10講』(岩波新書
○奥村彪生『おいしくアレンジ!まいにち使える江戸レシピ 奥村彪生の豆腐百珍卵百珍』(NHK出版)
○バーバラ・ワーセイム・タックマン『八月の砲声』上下(山室まりや訳、ちくま学芸文庫)・・・第一次世界大戦史。
塩村耕『江戸人の教養』(水曜社)・・・三河岩瀬文庫の調査に長年尽力されてきた著者が、文庫のなかから興味深いものを拾い出し、エッセンスを伝えてくれる。末尾の一文も決まっていてよい。つまりこれは「博く書を求めてその抄をつくるという江戸の随筆の骨法」(石川淳)に則った一書。
○『皆川博子随筆精華 書物の森を旅して』(河出書房新社)・・・編者日下三蔵
○ジョン・アレン『美食のサピエンス史』(成広あき訳、羊土社)
上田信『人口の中国史』(岩波新書)・・・交易が文明の定義とする導入から始まり、全篇たいへん刺戟的。歴史学のものの見方の偏りを正すのにうってつけ・・・というか本書を読むまでそんなの気がつきもしなかった。

 

 

人口の中国史――先史時代から19世紀まで (岩波新書)
 

 

贔屓誕生

ジャコモ・レオパルディ『断想集』(國司航佑訳、ルリユール叢書、幻戯書房)・・・イタリアの国民的詩人(『カントー』は脇功訳あり、名古屋大学出版会)の断章風エッセー。厭世観と同時に「本当の詐欺師は決してだまされる相手をみくびらない」など妙に老成した箴言が混じるところが面白い。愉しんだのですが、この叢書が凄い!ウージェーヌ・シューの『パリの秘密』(五巻!)、ユゴーの『笑う男』他、スタール夫人とか(シブイ!)、ネルシアのポルノグラフィとか、そして何よりかねて贔屓のシリル・コナリーの『不安な墓場』など、なんとも野心的なラインナップである。うーん、これは光文社古典新訳文庫以来の快挙ではないか。応援しますよ、幻戯書房さん。
○ケイト・アトキンソン『ライフ・アフター・ライフ』(青木純子訳、東京創元社)・・・今回小説ではこれかな。死んでは生き返り、を繰り返す女性の生涯を経糸緯糸?)にした二十世紀ヨーロッパ史。初めはちと読みにくいが、トーマス・マンのごとく駆使されるライト・モティーフがぐんぐん迫るようになってきて、後半は一気に読めます。父親・女料理人・女中など脇役もまたよし。
○エミール・ガボリオ『バスティーユの悪魔』(佐藤絵里訳、論創社
ミラン・クンデラ『邂逅』(西永良成訳、河出文庫
○ジャン・ジオノ『二番草』(山本省訳、彩流社
西郷信綱『古代人と死』(平凡社ライブラリー
○ニック・ランド『暗黒の啓蒙書』(五井健太郎訳、講談社
○『旧国名で見る日本地図帳』(平凡社
竹田青嗣『哲学とは何か』(NHK出版)
○菊地大樹『日本人と山の宗教』(講談社現代新書
バリー・ユアグロー『たちの悪い話』(柴田元幸訳、新潮社)
竹下節子無神論』(中央公論新社)・・・無神論キリスト教というシステムの中でしか生まれ得なかったことがよく分かる。鯨馬なんぞのようなキリスト教嫌いから見れば、あんな宗教、莫迦莫迦しくてとてもまともに相手に出来ない、よって無神論が栄えるのは当然のように思える。ただ、ここがヨーロッパ文化の端倪すべからざるところだが、その無神論と必死に格闘し、ねじ伏せ、食い破ろうとする営みの連続が自ずから強靱な思想史となっていくのである。すごい。
○衣川仁『神仏と中世人』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)
ジェフリー・フォード『ガラスのなかの少女』(ハヤカワ文庫)
仲正昌樹『いまこそハイエクに学べ』(春秋社)
○芦津かおり『股倉からみる『ハムレット』』(京都大学学術出版会)
高橋英夫『五月の読書』(岩波書店


料理の本としては、
アンドレ・パッション『フランスの郷土料理』(河出書房新社)・・・いい本。
○『シグネチャー・ディッシュ 食を変えた240皿』(KADOKAWA)・・・日本料理版をぜひ出して欲しい!※日本料理も含まれてはいるが、いかんせん「小野二郎 鮨」という程度の扱いなのだ。
○うすいはなこ『干物料理帖』(日東書院本社)・・・勉強なりましたー。

 

 

 

フランス郷土料理

フランス郷土料理

 

 

 

断想集 (ルリユール叢書)

断想集 (ルリユール叢書)

 

 

この不都合なる世界~双魚書房通信(22) スティーヴン・グリーンブラット『暴君 シェイクスピアの政治学』~

 グリーンブラットは贔屓の学者。新歴史主義の驍将としては『ルネサンスの自己成型』(高田茂樹訳、みすず書房)、シェイクスピア研究の本領発揮の『煉獄のハムレット』(未訳)といったところか。といってもがちがちの学者先生ではなくて、近くはピュリッツァー賞をとった『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』(河野純治訳、柏書房)など、ルクレティウスの写本発掘というマニアックな話材でぐいぐい読ませる。

 才人がこの薄い一冊で語ったのは「なぜ国全体が暴君の手に落ちてしまうなどということがありえるのか?」という問題。もちろんシェイクスピアがどう取っ組んだかを叙していくわけだが、執筆の動機は巻末の「謝辞」(向こうの著者は「あとがき」を付けないからね)に明らかである。


  もう一世紀も前のことのように思えるが、実はわりと最近、イタリアのサルデーニャの新緑におおわれた庭にすわって、私は近々の選挙結果について心配していた。友人の歴史学者ベルンハルト・ユッセンがどうするつもりだと聞くので、「私に何ができる?」と言ったら、「何か書けばいい」と言う。それで、そうすることにした。
 それが本書の発端だ。そして、選挙が最悪の予想どおりになってしまってから、妻のレイミー・ターゴフと息子のハリーが、現在の私たちがいる政治世界にシェイクスピアは異様な関係性を持っているという話を私が食卓でするのを聴いて、その話をまとめるとよいと言ってくれた。そうして、本書が書かれた。


 念のため記しておきますと、原著は二〇一八年に出された。そして言うまでもなく著者は「アメリカ合衆国の文芸評論家、ハーバード大学教授」(ウィキペディアの表現)。

 つまり政治的パンフレティアーとしてのデビュー作ということになる。といっても、直接的な批判は出てこない。「現代で言えばスターリンの恐怖政治と何ら変わらない」「カンボジアポル・ポト政権の殺人的構想のように」といった評言は数カ所。そして彼の国のむやみに柄の悪い大統領に対する言及はない。

 『ヘンリー六世』『リチャード三世』『マクベス』『リア王』『冬物語』『コリオレイナス』等を簡潔かつ丁寧に(乱暴でも鈍重でもなく、という辺り、筆力の冴え)読み進めながら、暴君がなぜ誕生するか、という初めに記した問題に迫ってゆく。そこであぶり出されるのは暴君の怪物的なキャラクターもさることながら(個人的には『冬物語』のリオンティーズにふるう鞭は過酷すぎるようだが)、いつの間にか暴君という台風に巻き込まれてゆく、というより、せっせと水蒸気を送ってその勢力を拡大するためにむしろ嬉々として奉仕する周囲の人間たちの動き方である。貴族の保身・計算もある、煽動に手もなく熱狂する民衆の愚昧もある。しかしいずれにせよ、怪物が(しかしそれは本当に怪物なのか?)王冠を戴いたら最後、身分の上下を問わずひとしなみに暴虐の嵐に引きさらわれてしまうわけだから、ずいぶん奇っ怪な力学計算。

 いかにも、暴君の絶対的な孤独については触れられている。しかし全体としてみれば暴君はいわばひとつの真空―台風の「目」―であって、国民(という語をあえて使う)こそが暴君を生み出すという暗澹たる認識が前面に出てきている、というのが素直な読後感。

 とすればこれは政治的パンフレットとしては失敗しているのか?

 私はそうは見ない。あくまでもシェイクスピアの戯曲に即して人物の内面・出来事の展開を批評しつつ、そこに幻術のように現実世界のパノラマを浮かび上がらせようとする、綱渡りのように際どいスタイルを著者が選んだのである。ほぼ確信を持っているのだが、グリーンブラットは、二十一世紀の混沌を叙するにヤン・コットの流儀は(残念ながら)ふさわしくないと断念した末の藝である。

 あえて藝という。シェイクスピアを語りつつ、そこからはブレずに遠くに「現在」を重ね映しするための、緊張に充ちた措辞の選び方にまず評者は、大袈裟にいえば手に汗握る気分だった。

 しかし本当に感嘆させられるのは、遠い異郷(これは日本にとって、ではなく現実のどの国にとっても、ということ)の権謀術数絵巻を通して、二〇二〇年の現実世界がいつのまにやら宮内大臣一座の座付き役者創るところの戯曲世界のように見えてきたことだ。ここでこそ、例の「世界は舞台、人はみな役者」の名台詞を想起すべきであろう。

 もちろんいつか戯曲は終わるのだけれども。(河合祥一郎訳、岩波新書

 

 

 

ウォーかく戦えり

 今月は誰がなんと言おうとウォーの『つわものども』(小山太一訳、白水社)。これは第二次世界大戦を舞台にした「名誉の剣」三部作の一作目。訳者あとがきを見て驚いたのだが、ウォーの邦訳は、『ヘレナ』のような愚作も含め、すべて読んでいたのだった。優雅にして滑稽、辛辣なのは戦前の作風に同じ。思えば『ブライズヘッド』はウォーが唯一失敗も厭わず書いて「しまった」作ではあった(この失敗を、鯨馬は鍾愛している)。ただしこの滑稽や辛辣を諷刺・批判といったあまり上等ではない精神の構えに還元してはならないので、題材が題材だけに、“平生”が平生であり続けられなくなる、あるいは歴史が事実の重みに耐えかねてきしみをたてる、その有様自体を滑稽とみる視線こそが肝要なのである。

 とことごとしく書くのも莫迦莫迦しくなるような、すばらしく面白い小説です。『キャッチ=22』を愉しんだ人は是非どうぞ。いや、『裸者と死者』『俘虜記』『神聖喜劇』の読者にも、にこそおすすめします。

 ついでに気がついたことひとつ。小山さんの訳はいつもどおりに暢達なものだが、本作の会話、特に男の話しことばは『黒いいたずら』の吉田健一訳(訳者あとがきで言及がある)の口調を参考にしたのではないか。

 で、その他の本。
恩田陸『Q&A』(幻冬舎)・・・最後、後日譚に綺麗に収束していくところが少しく迫力不足だったけれど、やっぱり上手いなあ。
この著者では『EPITAPH東京』や本作の系統が好き。
○『おとぎ話の絵画史』(辰巳出版
○『ルネ・シャール全集』(吉本素子訳、青土社)・・・以前西永良成さんによる選集を読んで感嘆した覚えがある。大変な労作である。シュルレアリスムと手を切ったあとの詩がことに素晴らしい。これ、難解なのか。
○小川剛生『二条良基』(吉川弘文館人物叢書)・・・小川さんの本は全部買いである。
○佐野典代『ものがたり茶と中国の思想』(平凡社
○津田良夫・安居院宣昭編『衛生動物の事典』(朝倉書店)・・・「衛生動物」とは蚊やゴキブリのこと。非常に面白かったが、さすがに飯を食いながら読めなかった(いつも食卓には本)。
○ヘレナ・ローゼンブラット『リベラリズム 失われた歴史と現在』(三牧聖子・川上洋平訳、青土社)・・・元々ラテン語キケロなど)の用法では、「寛大さ、気前の良さ」という意味で、必ず道徳的責務が伴うという概念だったらしい。こういう歴史的追跡は意外な切り口を見せてくれるのでありがたい。翻訳も良い。
○『本を読む。 松山巌書評集』(西田書店)・・・九百ページもありますの。おかげで読書メモが増えて増えて仕方がない。
ジョン・スラデック『蒸気駆動の少年』(柳下毅一郎訳、河出書房新社奇想コレクション」)・・・『ロデリック』があまりに面白かったので短篇集も読んでみた。いいねえ、このスピード感。ヘンゼルとグレーテルの暗黒版(?)が圧巻。
○さとうかよこ『鉱物きらら手帖』(廣済堂出版
鶴岡真弓編『芸術人類学講義』(ちくま新書
鹿島茂『「失われた時を求めて」の完読を求めて』(PHP研究所)・・・今月は誰がなんと言おうと・・・は使ってしまったが、そうそう!待ってたのよ、こんな本!しかも著者は鹿島茂でないといかんのよ!これだけ闊達に(しかも、じつは周到なのですぞ)プルーストを語れる人は、少なくとも日本では鹿島さん以外には考えられない。「スワン家の方へ」は大好きな巻だから(「ソドムとゴモラ」には劣るが)、堪能しました。岩波文庫吉川一義さんの訳だとまた少し違う角度からの照明も当たるんだろうなあ。
○『フジモトマサルの仕事』(平凡社)・・・2015年に急逝されていたとは知らなんだ。『ちくま』の表紙絵がずらっと並んだページがああもううも言わさず陶然とさせられる。毎日新聞「今週の本棚」の和田誠に匹敵する仕事ではないか。合掌。