上等な五月の夕餉

油目の新子が出ていた。油目がそもそも好きな魚だが(造りはもちろん、椀種にするとすごい実力)、成魚の方は最近あんまり見かけない。東京湾ではすでに「幻の魚」になっている、とテレビ番組で言ってたような気もする。

 

 獲れなくなってるところに、新子を流通させるのは資源管理的によろしくないだろう。銭本慧さんに叱られそうだ、と考えつつ、でもやっぱり昔からの好物なのでつい買ってしまった。

 

 半分はいつもどおり唐揚げにする。レモンをたっぷり搾る。身はほろりと崩れ、またはらわたの爽やかな苦みがたまらない。一尾一尾愛おしむように摘まんで食べてゆく。あっというまに無くなってしまう。でも全部揚げ物ではこたえるし・・・と残り半分は、佃煮にした。両面を炙ってから酒と醤油でさらりと煮る。山椒の若芽をふんだんにちらす。飯のおかずにも、酒の肴にも合いそう。これに新物のアオサノリを吸い物にしたのと、冷や奴(大蒜を漬けた醤油と胡麻油で食べる。そういや、新大蒜、そろそろだな)とうすいえんどうの葛寄せで、完成。思うに、山海の旬といい、季候といい、盛夏よりもビールが旨く呑めるのは五月なのではないか。ともあれ、うすい豆ももう終わり、ということは今からは空豆の季節。豆好きには心躍るバトンタッチである。

 

 

 さて、久々に、読んだ本の心覚えを。だいぶたまっております。

 

花村萬月『太閤私記』(講談社)・・・劣等感とルサンチマンでどす黒く染め上げられた、陰惨な秀吉像。大阪生まれながら秀吉が実は好きではない人間としては、そういうものとしてたいへん納得がいく。小説としては、後半がややせわしない(『信長私記』もそうだった)。

○中村啓信他『風土記探訪事典』(東京堂出版

○ウラジーミル・ソローキン『テルリア』(松下隆志訳、河出書房新社)・・・断章形式による「テロ」後の世界像。カルヴィーノの傑作『見えない都市』の瀟洒な味わいを悪どく煮詰めた感じ。断章形式を酷愛する読者にはそれもまた嬉しいのだが、出来栄えという点では、

アントニオ・タブッキ『島とクジラと女をめぐる断片』(須賀敦子訳、河出文庫)・・・とは比較にならない。小説作者としての格がちがう。

ジャン・ルイジ・ゴッジ『ドニ・ディドロ、哲学者と政治  自由な主体をいかに生み出すか』(王寺賢太編訳、勁草書房

○船木亨『いかにして思考するべきか? 言葉と確率の思想史』(勁草書房

○ジャック・ブロス『世界樹木神話』(藤井史郎他訳、八坂書房)・・・すべての樹木がひとつの神話である。

トーマス・マン『五つの証言』(渡辺一夫訳、中公文庫)・・・文庫オリジナル編集。敗戦迫り来るなか、渡辺一夫が心身をしぼりつすようにして訳したマンの小論に、渡辺自身のエッセーを併載する。

○エリン.L.トンプソン『どうしても欲しい!』(松本裕訳、河出書房新社)・・・副題は「美術品蒐集家たちの執念とあやまちに関する研究」。

○冷泉為人『円山応挙論』(思文閣出版)・・・自伝的な小冊子が付いている。関西学院で著者を教えた加藤一雄のことばが面白い。いかにも『無名の南画家』、そしてなによりも『蘆刈』の著者だなあ、と思う。え、この二作読んでない?それはたいへんお気の毒です。後者など呆れるくらいの名品ですよ。応挙から遠く離れてしまったけど。

エドゥアール・シャヴァンヌ『古代中国の社 土地神信仰成立史』(菊池章太訳、平凡社東洋文庫)・・・こういう土俗信仰と儒教儒学でなく)道教との接続具合がよう分からん。

○ジェレミー・テイラー『人類の進化が病を生んだ』(小谷野昭子訳、河出書房新社

○ローラ・カミング『消えたベラスケス』(五十嵐加奈子訳、柏書房)・・・ノンフィクション。ある日、ごく平凡な書店主が、偶然目にした肖像画を手に入れる。彼はそれがベラスケスの真作と見抜いたのだ。それ以降彼の人生はこの一枚の絵のために翻弄され続けることとなる。皇太子時代のチャールズ1世を描いたそのタブローは今行方不明なのだそうな。お分かりのとおり、じつに魅惑的な素材ながら、「画家の中の画家」ベラスケスを讃仰する著者の筆につつしみが足りないため、読書の興が殺がれること少なしとせず。それはそうと、六月に、ケンビこと兵庫県立美術館にベラスケスはじめとするプラドの名品展が回ってくるようですね。楽しみ!

藤田覚勘定奉行の江戸時代』(ちくま新書)・・・江戸時代、いちばん才能重視で門戸が開かれた職が勘定奉行だったのだそうな。そうだろうな。

○ジョン・ネイスン『ニッポン放浪記 ジョン・ネイスン回想録』(岩波書店)・・・著者は三島由紀夫の評伝を書いたことで知られる。そしてその訳者は鯨馬の恩師である。ネイスンと我が師匠は一時期かなり親しくしていたらしい。師匠の肖像は、弟子から見るとさもあらん、という感じで、つまりなかなかの才筆であります。それにしてもやっぱりアメリカ人だなあ。「自分には才能がないんちゃうか」と悄気返ったかと思うと、いつの間にか奨学金なり投資家の援助を得てばりばり金儲けに邁進している。あんまり周囲に見かけないね、このタイプ。

田中優子松岡正剛『日本問答』(岩波新書)・・・橋爪代三郎・大澤真幸コンビの対談ほどひどくはないが(「ドーダおれかしこいだろ」合戦)、松岡さんの仕事はどうもキャッチ・コピーの連続みたいで薄味、じゃなかった味が薄いように思う。

マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』(清水一浩訳、講談社選書メチエ)・・・なぜかというと、「存在」とは「意味の場への現れ」であり、「世界」とは「あらゆる意味の場の場」であって、それは論理的に成立しないから。とのこと。著者は「新実在論」の立場に立って、特にポストモダンの社会構成主義(あらゆる存在は特定の文化・社会の枠組みが作り上げた虚構である)を排撃する。それはいい。科学的実在だけでなく、想像も意識もすべて実在なのだとするのもよろしい。しかしそれら全ての総体としての《これ》は、では一体何なのか。それは《世界》ではないのか。

 

 

○野崎洋光『料理上手になる食材のきほん』『野崎洋光春夏秋冬の献立帳 「分とく山」の永久保存レシピ』(ともに世界文化社)・・・どちらもこれからの家庭料理のスタンダードになると確信してます。

窪島誠一郎『粗餐礼賛 「戦後」食卓日記』(芸術新聞社)・・・前述のごとく、鯨馬の食卓はつつましやかなものだが、こう堂々と「粗餐」を「礼賛」されるとなんだか鼻白んでしまうのですな。『清貧の思想』とか『国家の品格』とかいう書名と同断。

町田康『関東戎夷焼煮袋』(幻戯書房)・・・さすが町田康だけあって文章は凄いのだが、どうにも具合が悪い。同じ上方の人間であるのに、いやそうではなくて上方の人間だけに、「うどん」とか「イカ焼き」とか「どて煮」とかを繰り出されるとなんだかうつむきたくなってしまうのだ。

○カオリ・オコナー『海藻の歴史』(龍和子訳、「食の図書館」シリーズ、原書房

 

 

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