えんぶり感傷旅行(1)~艱難辛苦は神の声~

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粉雪の店 一皿に北海の海あり。


 極楽とんぼにも程がある。今回ばかりは痛感した。騒動で乗るはずの飛行機が減便対象になったくらいならともかく、そもそも本来の目的だったえんぶりも完全中止となった上、地震で新幹線が動かなくなった時点でなにかしら手を打っておくべきだったのだ(旅行自体を取りやめるという選択肢はない)。まして台風並みの爆弾低気圧の影響で、北陸から北の在来線が軒並み影響を受けているとは、前日からの報道。にも関わらず「取りあえず仙台に出ればなんとかなるだろう」との甘ちゃん根性は大概にせい。

 と、朝の仙台駅でひとしきり自分に毒づいたことでした。ともかくまったく電車が動かないのである。スマホの画面をにらめつけながら情報収集と対策手段の検討に大わらわ。頼みのバスは、というとこれまた暴風雪のせいで高速道路が通行止め。やんぬるかな。

 パンがなければお菓子を食べればよい、電車がなければ鮨を摘まめばよい。と腹をくくりつつも未練たらしく最新情報をチェックしていると、十一時になってようやく高速道路再開の一報が。すぐさまバス会社に連絡すると十二時から走らせますとの答え。一時間も極寒の屋外で待つことを考えるとユーウツになるが、ひとまず目指す八戸まで三分の一の足は確保したことになる。その先どうにもならなければ、銀行でうんと下ろしてタクシーに乗るまでよ、とこの時の目は間違いなく血走っていた。

 指先の感覚がなくなる頃バスが来る。一時間半の道中も、白い闇とはかくのごとくかとばかり雪が吹きすさぶ。一関駅に着いて臨時の新幹線が盛岡まで出ていることを駅員に聞いた時には安堵のあまり腰が抜けそうになった。たしか丸谷才一が、このあたりは食い物がマズくてどうしようもないと言っていたけど、鯨馬には一回くらい泊まってみたくなるくらいいい町に思えた。

 盛岡に着いてまずは八戸までの便を確認。出発までわずか(と言いたい)一時間と聞くと、途端に食慾、というより一杯やりたいという気持ちが噴き上がってきた。

 駅の地下に立ち飲み屋があったのは勿怪の幸いながら、ここではハイボールと地酒一合で辛抱。というのは、店に入った直後、この日の晩に予約していた『Casa del cibo』の池見良平シェフから「うんとお腹空かせてきてください」と連絡があったため。こうなると張り合いも出るというもんです。

 八戸駅からバスで中心街にたどり着いたときには、誇張ではなく有り難さに涙がこぼれそうになった。えんぶりのお宮である長者山新羅神社の冥加あっての無事着到という他ないもの。

 もっともホテルに着くまでのわずかな道のりで二回すっころびました。雪というより氷が積もったような道でよくぞ骨折もせず、アタマも打たなかったこと。これは新羅神社の・・・「舞い上がるなかれ」という警告だったのかもしれません。。。

 さて『Casa del cibo』へはタクシーで十五分ほど。湊高台という住所どおりの場所。「ともかくご無事にいらっしゃって安心しました」とシェフにねぎらってもらった。県外からの予約の大方はキャンセルだったとのこと。食いしん坊の面目ほどこしたというところ。

 この夜のコース以下の如し。

◎自家製マスカルポーネパルマ産生ハム・・・マスカルポーネは青森のジャージー牛の乳で作ったもの。濃厚なだけでなく、風味がある。黒胡椒と堂々張り合える味。
◎真鱈の白子、グリッシーニ揚げ・・・白子も、グリッシーニに練り込んだ烏賊墨も、下に敷いたソースの帆立(これが芳潤)もみな八戸産。白子のふうわりとグリッシーニ(細かく砕いてある)のシャリシャリとの食感の対比がまた楽しい。一体に食感の組み合わせ(テクスチャーてんですかね)をうまく作れる料理人は信用していいように思う。
◎シャモロックと車海老のサルシッチャ・・・いうまでもなくシャモロックは青森の誇る地鶏。充分旨味のつよい鶏なのに、車海老を合わせるとどうなるか・・・一きれ口に入れると途端に笑みがこぼれて戻らないのです。ナポレオンが作らせたマレンゴというトリ・ザリガニの煮込みが元型、なのだそうですが、どうもあの独裁者が食べたものの数等倍美味く仕立てられている気がする。シャモロックと車海老のアラから引いたトマトのソースも洗練されていた。また、上にかけた生のマッシュルームとの相性も素晴らしい。鯨馬の悪癖で、はっ。と心動かされる一皿に出会うとつい「和食にどうアレンジ出来るか」とモーソーしてしまう。粗くつぶした地鶏と才巻のミンチを湯葉で包んで揚げて、最後にかける餡はさて何味がよいか。
◎鮑のフェットゥチニ・・・鮑の肝を、ソースではなくパスタ生地に練り込んでいる。だから噛むと三口目くらいから香草のような高雅な香りが充満してくる。「これだと鮑の身との対比が堪能できるでしょう?」とシェフ。アーメン。だからこのパスタはフェットゥチニでなくてはならんのである。茹でた芽キャベツ(?)の甘味がまたいい。
◎スッポンのトルテッリ・・・スッポンは「青森県モール温泉兜スッポン」(献立の引き写し)。すごいのは、スッポン一匹を、皮・内臓・骨(軟骨)、そして血と綺麗に捌ききって使うという手法。血は生地に練り込み、イタリア版餃子の具には刻んだ肉と内臓を詰め、そしてソースは軟骨などのアラで取っている。だから「トルテッリひとつに、言わばスッポンまるごとが入っているようなもんです」。深めの赤い鉢に入っているのも、焼き葱を添えているのも懐石ぽくみせる洒落た趣向。でも、和食でよく出す「生き血(の葡萄酒割り)」なんかよりはるかにスッポンの持ち味が活かされてる。
◎熟成鹿のタヤリン・・・鹿は岩手葛巻町産。パスタも三種めというのに、そして濃醇な味付けなのに、するりと平らげてしまった。そうか「うんとお腹空かせて」きて良かったのだ。ここからがメイン。
◎ズッパペッシェ・・・いうまでもなく魚介はすべて八戸産。ええと、具材は槍烏賊・真蛸・北寄貝・油目(アイナメ)・キンキ・蛤、そしてマツモ(海藻)。これがいわゆる「本日の秀逸!」というヤツで、蛸のくにゃくにゃ、烏賊のしこしこ、アイナメの芳脆と歯触り舌触りがまず酔わせ、なかんづく絶妙の煮加減の北寄貝の肉がさくさくと分かれていく按配は官能的でさえある。ソースは魚介のダシにサフラン風味。つまりこれはブイヤベースである。八戸の冬は毎年ブイヤベースフェスタとしている。これに関しては後述。気がつけばワインを一口も呑まないままに夢中になって食べ終えてしまった(甘美な夢を思い出すようにポルタ・ダ・リアのアルバリーニョを啜るのも、またよかった)。しかし、春の夜の夢の浮橋とは違って、カーサデルチーボ、つまり「食べ物のおうち」の夢はまだ続く。
◎鴨のアッロースト・・・鴨は青森県産の銀の鴨という銘柄。「本当に自慢できる鴨です」とのこと。うっとりとズッパの味を想起していたおっさんははっと我に返った。料理に関心の深い方ならここまでの紹介で想像出来ると思いますが、この鴨もまたニクだけではありません。筒状に切った腿肉、それに抱き身の周りにミンチ状にした内臓・皮を巻き付けて焼き上げているのです。ソースはむろん血や内臓や骨を煮込んだものを、おだやかな腿にはやや淡味、華麗な胸のほうは濃いめとかけわける気の配りよう。鯨馬個人としては、やはり臓物のミンチを抱き身と一緒に頬張ったときが一等幸せだった。青森の食材への愛着からして、添え野菜には山芋か牛蒡かと思っていたところ、牛蒡がきたので嬉しくなる。ゴボウはこんなにバタくさくもなれる野菜だったのですな。

 あとはドルチェふた皿(カタラーナとティラミス)を頂きながら、シェフと小一時間話をする。実は八戸ではなく神奈川の出身、相模湾の魚介に親しんでいたから八戸の海の豊かさがよく分かる、というのもよく分かるし、だからこそ八戸の料理屋の現状に向ける評言も(鯨馬の旅行客だからこそ)よく分かる。

「フェスタで出すブイヤベースはもっともっと、徹底して八戸の食材にこだわるべきです」「スーパーや市場で素晴らしい魚介が買える。だから『こんな美味しさがあるのか』と思わせないと」「魚介は仕入れも値段も安定しない。でも辛抱して買い続けることが漁師さんを支えることになる」「食材は隅から隅まで使い尽くさないといけない。食材に対する敬意」

 “辛口”なんかではなく、真摯でまっすぐ物を見る人なのだ。だからこちらも爽々しい気分で(美味いものを食った直後というだけではなく)相槌をうちながら、やはり同じような眼と手と心を持つ、尊敬するイタリア料理のシェフの中田さんのことをしきりに思い出していた。神戸に帰ったら『AeB』に行こう。

 素晴らしい料理人に引き合わせて下さったのもまた、(文字通りに!)風雪に耐えた功徳というべきか。

※memo…市街に戻って『酒bar ツナグ』で日本酒、立ち飲み『28』でハイボール