えんぶり感傷紀行(2)~まぼろしの囃子~

 朝食もそこそこに長者山新羅神社へ。奉納摺りが中止なのは分かっちゃいるけど、せめて同じ場所で昨年のあの記憶をたどりたかった。

 まずは無事八戸に着いた御礼を、と思うが賽銭箱がいつもの場所にない。訊ねるにも神職は女性と話している。聞くでもなしに聞いていると「いつ始まるか」「途中からは本殿の中で」との声が切れ切れに。

 胸あやしくとどろいて、お詣りしたあと周囲を見回してみるに、「親方」(えんぶり組の先導者)のなりをした人影が。えーっ。どーゆーこと!?と混乱しながらも社前の広場に戻れば、なんとまあ紛れもないえんぶりの一組が。それでもまだ狐につままれたようなまま突っ立っておりますと、うん、たしかに目の前で囃子が始まった。もうこうなりゃ狐だろうがカッパだろうが後ろの百太郎だろうが構いはせぬ。

 聞き惚れておりますと、mamoさん(えんぶり・三社大祭等の写真家で、鯨馬には八戸唯一の知人というか先達)の姿を見つけた。こちらの怪訝な表情から察して下さったのだろう、「一組だけが特別に奉納摺りをするんです。そのあと神さまに中止となった報告を申し上げる」「一般には知らせてなくて、マスコミにだけ公開」と口早に教えてくれた。なるほど周囲はカメラ・マイクを携えた人種ばかりである。

 なんでもこの売市組はいちばん古くからある組で、権威も格別、唯一神社の本殿に上ることが許される格式を持っている由。ともあれこれこそ神寵でなくてなんであろう。鳥居前から本殿へ向かう行列のあとにくっついていった。摺りが始まると涙がこらえきれなくなる。「マスコミ関係者」としてはいかにも不審な振る舞いながら、もう一たびこの瞬間に巡り会えたのを喜び感謝し、何度も何度も目を拭う。五十も近づいてくるとどうもあちこちのセンが緩んで仕様がない。

 呆けたようになったまま、町中に戻って『はっち』のえんぶり特別展を見る。写真や人形に先ほどの映像を重ねつつ、ゆっくり回っていたので、気がつけばお昼どき。店は腹加減と足任せで決めるつもり・・・が、結局は前回伺った蕎麦の『番丁庵』へ。いわゆる”ランチ”を求めているわけではないからな。昼にある程度落ち着いた気分で呑めるところはそうあるものではない。

 にしんの山椒漬けや板わさなどで三合呑み、鴨南蛮を頼む。昼から腹一杯になってしまった。こういう時は歩くに限る。恰度博物館でえんぶり展をやっているから、根城まで歩く。酒で体が温まっているのと、風が冷たいとの、歩いてまた体温が上がるのとでどうにもせわしない。それにしても東北は花粉の飛散が遅くて助かります。旅先でくしゃみ鼻水目のかゆみなんてぞっとしないからねえ。

 根城も、そして博物館にも誰もいない。一時間あまりも昔のえんぶりのヴィデオを鑑賞する。こっそり摺りのふりをマネしてみる。唄まではさすがに(兼好法師いわく、「狂人のマネをする者は要するに狂人です」)。

 帰り道はバスで。銭湯でゆっくり体をほどいて、今度は博物館とは反対側の湊の方へ向かう。お目当てはインスタグラムで見つけた『漁BAL湊のいろは』。二代目。先代がたたんだあと、近くの別の場所で復活させた店。写真どおりに、いかにも港の側の一杯飲みやという、いいたたずまいで、中にボーボーとストーブが燃えているのも頼もしい。

 アテもまた品といい、値段といい港らしい。中心街(八戸の人は「町」という)とは格段に値段が違うのだ。いくつかあげてみると「さめすくみ(酢じめの刺身)」350円、真鱈アラ汁250円、高野豆腐子和え250円、煮染め250円、鯖の串焼き130円、牛乳瓶に詰まった刺身380円等々。熱燗を頼むとちっちゃなヤカンとコンロが出てくる。自分の好みの加減で呑めという寸法。

 桃源郷ここにあり。感涙にむせびながら結局五時間呑み続け。終バスを逃してタクシーで「町」に戻る。酔眼ふらふら、それでも転ばぬようによちよち歩いていると前回伺った鮨やの灯りがついていた。

 大将も遅い時間の飛び込みにもニコニコ出迎えて下さり、隣のカップルは遠いところをわざわざ、と酒や肴をご馳走してください、素戔嗚尊新羅三郎様、お稲荷様に感謝しつつまたも感涙にむせびながら飲み直す。結論、〆はラーメンではなく鮨をつまむに限る。