子鳩とブラックジャック

 雲が垂れ込めるなか、上京の『仁修樓』へ。松坂木綿の縞物を着ていたが、店に入る頃には汗みずくになっていた。

 一年ぶりということもあって、こちらからは「うんと。」とお願いしていた。その「うんと。」コース《紫美》は以下の如し。

(1)甜醤鰻魚捲
(2)什錦花拼盤
(3)燕窩木瓜
(4)石岐烤乳鴿
(5)XO炒鮮鮑
(6)妙品三宝鴿
(7)海胆冷拌麺
(8)美味甜点心


(1)骨切りした鰻を、葱・山椒・生姜を揉み込んだ水に二日浸ける(臭み抜き&身をやわらかくする)。引き上げた身を巻いて揚げる。香料を入れて煮詰めた醤油だれ。鰻を揚げているくせになんとも軽やか。ひと品めから目が覚めるような鮮やかな味。横に、鰻の中骨も入れて引いた上湯(シャンタン)を添えているのが心憎い。骨も焼いてから一度下茹でするという処理を施している。
(2)前菜盛り合わせ。①野菜甘酢漬け、②蒸し鶏葱だれ、③ペカンナッツ飴炊き、④冬瓜、⑤豚足の香味漬、⑥蕃茄焼売、⑦帆立香り揚げ。④は上湯で下味を付けたものを冷たくした例の一品で、最後にぽと、と垂らした山椒油が涼しい。⑥は生だとすこし皮が硬いくらいのプチトマトをまるごと入れて蒸し上げたもの。直前に作るので、トマトの身もだれず、噛むとあまずっぱい汁がほとばしる。
(3)パパイヤまるごとを器にして、そこに上湯・金華ハム・棗で引いたスープを入れて蒸し上げる。燕の巣入り。パパイヤの甘さ(蒸すと香りが一層なまめかしくなる)とハムの塩気のぶつかり合いでまずはっ。とさせて、落ち着いてからは滋味滋味してくる、という趣向。マンゴーの実を突き崩す具合で味が濃淡様々に変化するのも愉しい。口が慣れてきた頃のために青柚を用意してあるので、一滴たらすと食材が食材だけあって、南国風の椀盛を食べてるような。
(4)出たーっ!という感じでハトが来た。ハトを酷愛する鯨馬は前もってお願いしていたのである。一羽まるごとをローストにしている。皿脇にはゴム手袋が。「しゃぶるようにして、存分に召し上がれ」ということ。ハト肉独特の精緻なテクスチャーからかんばしいジュースがほとばしる。皮の芳脆と好対照。アタマも不思議と余すところなく食べられてしまう。フォーク・ナイフなんぞは言うに及ばず、箸をあやつったとてこの快楽は得られるものではない。鳩は百鳥の王である、てなことを心に呟きながら、後半はほとんど性的快感すら覚えつつ一心に食らいついた、のだと思う。気がつけば皿の上はあたかも快楽殺人の現場のような光景を呈しているのであった。上岡シェフは、献立全体の構成にも神経を配る料理人。この一皿のために(1)で食慾をかき立て、(2)で心を華やがせたあと、(3)でまるで水垢離をとったように舌を清浄にしてから、と按配してくださったに違いない。
(5)あの鳩のあとでは、鮑ですら「箸休め」に感じてしまう我が舌の驕りがおそろしい。貝に添えられたアワビ茸というきのこがよろしい。
(6)やはり鮑は周到な計算のもとに出されたのだった。二羽目の鳩は贅美を尽くしたもので、前に一旦呼吸を整えておかねば満喫出来なかったかもしれぬ。それくらいエネルギーと気合いのこもった一皿。作り方を簡略に記しますと、①姿を壊さないようにして臓物と中骨を抜く。②①と上湯ベースで一時間半かけてダシを引く。③②で鳩を一時間半蒸し煮するのですが、中身を抜いた鳩のなかに、いいですか、干海鼠と鱶鰭と干鮑(丸々ひとつ!)と金華ハムとを詰めるのです。スープには当然干鮑のダシも入る。こうして書いていてもなんだか夢まぼろしの心地こそすれ。④③のダシにかたくりでとろみをつけ、わずかにオイスターソースを混ぜて更に一時間半。いうまでもなくこれはダシを味わう料理で、つまり広州料理を本貫とする上岡シェフにとってはまさに腕の見せ所となるわけ。「エネルギーと気合い」なんて汗臭い形容は失礼なほど、優雅にして端正。おっそろしく「のびる」スープですねえと感歎すると、ゆっくり深く頷いたシェフ曰く、「近いうちにうちのスペシャリテに入ると思います」。当然でしょうな。鳩が、おおあの鳩ですらここでは縁の下の力持ち的な役回りに徹していた。海老蔵の興行に歌右衛門勘三郎がご馳走役をつとめるが如し。「妙品」の形容では些か謙遜に過ぎるように思う。『豆腐百珍』でさえ「妙品」の上に「絶品」を置いているのだから。あるいは(中華だけど)我が江戸時代の評判記に倣って「極上々々吉」とでもするか。ともあれこのひと品だけとって、三十年ものの紹興酒をごくぬるの燗で延々やりたいものである(『仁修樓』のような店でそんなことはしてはいけません)。
(7)「冷やし中華です」と出したシェフがニヤリ。炒めに使った生鮑の肝を溶いたソースで麺を和えるのだが、名前のとおり海胆がこんもり積まれておる。いや、八戸で散々海胆放蕩を尽くしてきた鯨馬、海胆そのものにはさほど動揺しないのだが(少し動揺した)、ここに『仁修樓』のスタンダード上湯の煮凝りを混ぜているのがすごい。鮑+上湯、海胆+上湯、もちろん三者単体といくらでも味の変化を堪能出来る。無論これほどのスープが素人に、どころかそこらの料理屋にだって引けるわけはないけれど、この出し方は勉強になった。悪くないトリと干し貝柱、昆布で濃い目に引いた出汁を煮凝りにして、オクラのたたきや芝海老、青豆などの吹き寄せと和え混ぜにしたら洒落たひと鉢になるのではないか。
(8)鯉のなりに彫刻した杏仁豆腐(上岡シェフは飾り切りの名手)を、水出しの鉄観音に浮かべたのと(清冽)、「ほぼほぼマンゴー」なプリン、とはつまり生のマンゴー9割につなぎをちょびっと入れて形を作ったもの。

 「甜点心」のあと、ペカンナッツとピリ辛カシューナッツを合いの手に、特製ハイボール紹興酒に塩漬け生姜や棗を加えている)をちびちびやりながら鳩の思い出をたどる。「また鳩まつりをお願いします」「鳩地獄、というくらいにお出ししますよ」。

 思うに、中華は香り高い茶と一緒に料理を愉しんでから、卓を浄めて然る後ゆっくり(かつ延々と)軽いつまみ物で酒を呑むのが本道ではないか。これは危険思想であろうか。

 行くたびにますます精巧華麗になりながらも、出汁を基盤の広州料理の本質をしっかり見せる上岡誠の腕にはただただ敬服する。帰りのタクシー(堀川通沿いに京都駅まで下る)で、京に住むのも悪くないことだと思ったのは、微かに降る雨に黒々濡れた町並み以上に上岡シェフの魔力にとらわれていたせいに違いない。

○土岐恒二、吉田朋正編『照応と総合 土岐恒二個人著作集』(小鳥遊書房)……大冊で、しかも読み応えあり。土岐さんの論文・翻訳・シンポジウム記録が丹念に集められ、ゆかりある人の論文(富士川義之高山宏など)も併載という豪華版。ワーズワースを論じてたのは意外。エドマンド・ウィルソンイーヴリン・ウォー論が読めたのは嬉しかった。
○ダニエル・ストーン『食卓を変えた植物学者』(三木直子訳、築地書館)……今や世界の食卓を剪断するアメリカも、つい百五十年程前はむしろろくな作物のない国だったらしい。
○エイヴリー・ギルバート『匂いの人類学』(勅使河原まゆみ訳、武田ランダムハウスジャパン)……ヒトの嗅覚は思われてるより鈍くない、のだそう。また、嗅覚細胞の質よりも脳の判断によるところ大なので、「プラシーボ効果」が大きいのだそうな。プルースト的記憶の間歇があるのがよく分かる。
○廣野由美子『小説読解入門 『ミドルマーチ』教養講義』(中公新書)……ジョージ・エリオットなんてたぶん一生読まないだろうから、読解の首尾についてはなんとも言えませんが、前著『批評理論入門』同様あまりに「教室的」でやや鼻白む。ただ、かの長大な作品の丁寧な梗概が付いているのは有り難い。
中田考『増補新版 イスラーム法とは何か?』(作品社)
○青木真博『新版 鉱物分類図鑑323』(誠文堂新光社)……澁澤龍彦のいわゆるペトラ型なんかどうか知らんけど、最近は動物より植物より石が好き。岩石もまた生物のように輪廻転生を繰り返しているという記述では恍惚となった。
○和田博文編『石の文学館 鉱物の眠り、石の思考』(ちくま文庫
坪内祐三『文庫本千秋楽』(本の雑誌社)……わざわざ書名を掲げた上で悪口を、しかも故人の悪口を言うのはいささかはしたないけど、やっぱりこの著者評価出来ないなあ。せっかく面白そうな本を取り上げても自分との関わりの記述に終始するか、関連?周辺?情報を水っぽく絡めて終わり、という残念な場合があまりに多い。谷沢永一が「コラムニストはすべからく一撃必殺の博学でないといけない」と言っていた(坪内さんに向けての評言)のを思い出す。
○加藤敬事『思言敬事』(岩波書店
○ジョン・コナリー『キャクストン私設図書館』(田内志文訳、東京創元社
○風間賢二『スティーヴン・キング論集成』(青土社
半藤一利『昭和史探索1~4』(ちくま文庫)……盆休み用にと、遅まきながら。史料が直接引用されているので雰囲気がよく分かる。戦前の散文のレベルがひどかったことも分かる。読みにくいのは用語・文体(漢語や漢文訓読体など)のせいではなく、根本的に明晰・叙事の構えが少ないのだ。
○カロル・タロン=ユゴン『美学への手引き』(上村博訳、白水社文庫クセジュ)……同叢書のユイスマン『美学』が読みにくいなあと思っていたが、訳者後書きで、「偏りがひどい」と指摘してあった。訳文明晰。
○佐藤方彦『感性を科学する』(丸善出版
○小田部胤久『美学』(東京大学出版会
○小田部胤久『西洋美学史』(東京大学出版会
フロイト『幻想の未来 文化への不満』(中山元訳、光文社古典新訳文庫
フロイトフロイト、夢について語る』(中山元訳、光文社古典新訳文庫)……精神分析はいかがわしくとも、この2冊に特に露わな、18世紀的過激(ここが重要)啓蒙思想家としてのフロイトは光っている。ピーター・ゲイの評伝以降そういう研究はないのかな。
木下直之『せいきの大問題 新股間若衆』(新潮社)……知らんうちに続刊が出ていた(って四年も前)。よっ、帰ってきた股間若衆!
奥本大三郎ランボーはなぜ詩を捨てたのか』(集英社インターナショナル新書)……新書にはもったいない。評伝部分も読ませますが、「酔いどれ船」(奥本さんは「忘我の船」と訳す)、「地獄の一季節」「イリュミナシオン」の註解が有り難い。
○ノア・ゴードン『最後のユダヤ人』(木村光二訳、未知谷)
いしいしんじ『げんじものがたり』(講談社)……いしいしんじの日本語はひとの膝をカックンさせる按配が絶妙。なんどもカックンさせられてしまいには膝ががくがくになってしまった。出来れば「若菜」あたりも訳してほしい。オッサンになった光クンがどんなことばづかいで話すのか、聞いてみたい!
マーガレット・アトウッド『語りなおしシェイクスピア1テンペスト 獄中シェイクスピア劇団』(鴻巣友希子訳、集英社)……この著者でこの題材でこの訳者やん、白飯に明太子のせてバター醤油かけて海苔巻いたみたいなもんですやん。
池内紀『昭和の青春 播磨を思う』(神戸新聞総合出版センター)……実在の人物を材に虚実織り交ぜ(だと思う)、見事な短篇を作り出した。「間のびしたような」ぬる~い(ワルクチに非ず)風土のジェニーを伝えるのも見事。

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