朝飯天国

 太平楽極楽とんぼが身上の本ブログ、旅日記もそろりそろりと参ります。御見物様にはお茶煙草鮨弁当などお使いになってゆるーっと御覧下さい。口上左様っ。

 初日Casa del Ciboの後はゆりの木通りの『酒BARつなぐ』へ。当方が愛読する八戸ブロガーさん達のことや、無論日本酒の話などを肴に呑む。鰺ヶ沢の尾崎酒造『安東水軍』が良かった。品評会金賞なのだが、熟成させて品格が出ている。山田錦吟醸香のあのタイプはもういいんではないかな。と個人的には思うけど、アテに合わせるんではなくこうしたバーで飲むならまだ需要はあるのかもしれない。

 浅酌で店を出たにも関わらず、平日のせいか中心街は人通り少なし。鯨馬もさっさと宿に戻って寝る。この柄にもない行儀の良さは朝飯のため。

 今回はなんと、六時半から漁港すぐ側の『だし拉麺きんざん』に足を向け(てしまっ)た。日本人の国民宗教と言いたくなるラーメン熱はいまだに理解出来ないのだが、八戸贔屓としては御当地の「朝ラー文化」を体験しておかねばなりますまい。

 青森のラーメンなれば、注文は無論かつおでもこんぶでもなく煮干し。無論淡麗ではなく濃厚(青森なのですから)。まずはスープをひと口。うっ、となる。マズい訳ではまったくない。いい味なのだと思うけど、たとえて言うなら、宝塚の舞台を初めて見たときの衝撃に近いのではないか。見たことないけど。

 ヴェジタリアンの文化人類学者がフィールドワークで狩猟のまつりに参加したような感慨を抱きながら店を出る。重ねて言いますが、この店の批判ではありません。店員さんは親切で感じが良かったし、ビールのアテに良かったし、それに鯨馬にしたって夜っぴて呑んだあとここに来たなら、もっと(「淡麗」の「こんぶ」をば)賞味できるはずである。「朝ラー」を含めた《朝飯の街》で売り出すのもひとつの手ではないか。なにせここは名だたる銭湯=朝風呂王国、それに何より陸奥湊朝市や館鼻岸壁朝市、『みなと食堂』といった資源をもってるのだから。

 と八戸の観光振興策について思案しつつ『みなと食堂』で平目漬丼をかっこむ。中年の酒飲みにはやはりこちらの方が有難い。いつも以上に混んでたから酒はよしてビール二本だけで出たけれど。

 とはいえ、(1)朝食としてべらぼうなカロリーである。(2)昼飯も美味しく食べたい。(3)することが無い。という状況に鑑み、陸奥湊駅で折良く発車する下り列車に飛び乗った。高校生ですし詰めという光景に一瞬呆然とする。平日の朝なのだと思うと、じわーっと多幸感に包まれる。酔ってはない・・・おそらく。

 オイフォリー乃至アルコールの勢いを駆って、種差海岸からともかくも歩いてみることにした。散歩のひともほとんど見かけない。観光客は言うに及ばず。時季が半端で花の咲き乱れる景色は見られなかったけど、澄んだ日差しに風そよそよ、タオルをしぼる湧き水は清冽。上按配と呟きながら芝生や松並木のなかをのんびり進む。

 難儀したのは白浜海水浴場から大須賀にかけての砂浜。波が一直線の浜を噛んで白く崩れる様の、どこまでも(二キロ弱?)続くのは実に爽快な眺めにしても、踏み固められていない砂地をスニーカーで歩むのはえらく力を要するもので、葦毛崎の展望台にたどり着くとともかく地面がしっかりしているのにまずはほっとする。これまで観光バスでちらっと見て過ぎるだけだったので、正面・左右に広がる太平洋を存分に愉しむ。ここの擁壁に胡座かいてビール呑んだら堪えられんだろうなあ。

 この先、車道の傍を歩きながら右手の岸壁を見下ろすと、何艘もの船が出てどうやら海女が潜っている様子。この季節なら狙いは海胆に決まっている。今晩俺が召し上がるべき海胆もああやって採られてるんだろうなあと何となく嬉しくなってくる。

 最後は蕪島ウミネコの繁殖時期にここに来るのは初めてか。付近の海岸から島の崖から参道から境内からともかく気が遠くなるほどのウミネコである。静かに歩いていくと、巣を守っている鳥も別段つついてきたりはしない。長く地元の人が大切に扱ってきたからに違いない。

 ここが最後というのは、鮫駅から陸奥湊駅まで行く途中で根負けしてバスに乗ってしまったのである。ドラクエウォークの歩数計でももうチーズハンバーグプレート(だったかしら)相当のカロリーは消費したことになっている。これで疚しさなしに昼酒が出来る。

 と、銭湯で朝を流して『鶴よし』へ。蕎麦のぬか漬けが無かったのを唯一の憾みとする。あとは焼き海苔・だし巻き・板わさ・山菜天ぷらを、はじめはビール、すぐに酒に切り替えてのんびり呑む。ここは蕎麦以外もホントに旨いなあ。それにしてもまたもやカロリー摂り過ぎで、夜までに腹を空かせねばならず、特に見物するところもない。また歩かねばなあ。(つづく)