夏との和解

 あれだけ苦手だった暑さが多少許せるようになった。というより、冷房が堪える年齢になったのだ。あと一つ、高台の山際に引越したので、夏の盛りでも玄関と窓を開けていれば(雨さえ降っていなければ)、けっこうしのぎやすいという事情にもよる。えらく叙情的な題ですが、要は早くバルコニーにプール持ち出してひとりBBQしたいなあ、ということです。

 さて、生り月ということばはないけれど、そう言いたくなるくらい今回は豊作。

○鷲見洋一『編集者ディドロ 仲間と歩く『百科全書』の森』(平凡社)……895ページもあるが一度も難渋せずに読み了えた。自慢ではなくて、フランス十八世紀の事情に暗くても十二分に面白く読める快著です。『百科全書』に関する世界中の研究の蓄積が惜しげもなく披露されているのは、まあ学者なんだからふつうだとしても、綺麗に整理してしかも足取りがしっかりしている。文体は「です・ます」調だけど、充実しているから冗長に流れない。「ディドロの評伝ではない」と明言しているように、哲学者の一生を一本線で辿るのではなく、出版の経緯(報酬などカネ関係のデータがすごい)や『百科全書』の構成などの主題ごとに叙述されるから、『百科全書』を中心としたアンシャン・レジームの世界がまるごと差し出されるような按配。とりわけ感銘を受けたのは政府の出版統制システムについての説明。『百科全書』発禁⇒権力の不当な抑圧、と単純化出来ない様相が見えてきてじつに面白い。“宿敵”イエズス会の機関誌(?)が途中から沈黙を守ったのはなぜなのか?発禁にも関わらず予約がどんどん増えたのはなぜか?最近はディドロの翻訳や研究書も増えてきていて慶賀の至り。この勢いで『修道女たち』や『不謹慎な宝石』や『盲人書簡』などの新訳が出ることを切に望みます。
○武井和人『古典の本文はなぜ揺らぎうるのか』(新典社)……文献学の醍醐味が堪能できる一冊。志貴皇子の有名な歌がありますね、「岩ばしるたるみの上のさわらびの萌えいづる春になりにけるかも」。問題は「たるみ」で、伝本の中には「たるひ」となっているものがある。この違いが和歌の解釈にそう影響するのか、なぜ違いが生じるのか、また違うということ自体が何を意味するのかを熱く説き語る。実に一字の違いで250ページ!
○谷川多佳子『メランコリーの文化史 古代ギリシアから現代精神医学へ』(講談社選書メチエ)……昔々デューラーの『メランコリアⅠ』になんと不思議な絵画かと驚いたことがある。イコノロジーなんて学問知らなかった頃ですからねえ。そりゃ意味不明だったろう。でも子どもながらに女天使(にしても筋肉すごくないか)の表情や、後景の星から放射状に伸びる光線になんともいえない悲壮な印象をもった。なんとなく「分かった」気になった。私事にわたりますが、ご幼少のみぎりから時折憂鬱の発作(それもかなり強烈なやつ)に襲われていた人間としては、このメランコリーというのがどうも気になって仕方がなかった。いや、芸術家気質や孤高を気取ってるのではなく自分でも病的な性分だなあと持て余していたのである。大学生になって(美術史専攻でもないのに)パノフスキー他の『土星とメランコリー 自然哲学、宗教、芸術の歴史における研究』(晶文社)を古本市で見つけたときは嬉しかった(高かった!)。ロバート・バートンの一大奇書『憂鬱の解剖』を面白がって読んだりしていたのも多分小さい頃のデューラー体験が尾を引いていたものとおぼしい。本の紹介から限りなく遠ざかっている按配だが、まあ、どうでもいいのです。本書は副題どおりに、古代から現代までメランコリーにまつわる言説・表象を丁寧にまとめてくれている。もう少し伝達度の高い日本語だと良かったんだけれどな。ともあれ、久々にメランコリー熱(とはなんぞや)再発の気味なので、《メランコリーの近代》《メランコリーという罪》(キリスト教七つの大罪のひとつ怠惰と結びつく)について文献渉猟してみましょう。恰好の銷夏の具となりそう。
○木越俊介校註『羇旅漫録』(平凡社東洋文庫)……銷夏の具といえば、風さわさわと吹き通る真夏の昼座敷に寝っ転がって(時々がくっと眠りに引きずり込まれたりもしながら)読むのにこれほどふさわしい一冊もそうそうない。大学の先輩が心血注いだ註釈を昼寝の友扱いするのは気が引けるけど(御恵投に添えた手紙に、こんなしんどい仕事はなかったとあった)、なにせ時代は江戸。ものするは戯作者曲亭馬琴。体裁は旅日記。とくればのんびり構えるより他に手はないというものである。まずは普通に旅日記として、というのは当時の各地の景物風俗が興味深く、次によく言えば克明、というよりは粘液質で万事「上から目線」の馬琴一流の上方の観察(つまりはワルクチ)が贅六たるこちらには面白く(江戸っ子ってほんま田舎くさいなあと思う)、さらに微密な註が「文学者の旅」の脳髄の拡がりというものをしたたかに味わわせてくれる。どの箇所にどの角度から、どういう文献を用いて註を付けるかをあれこれ考えて、久々に先輩と対話している気分になった。ふと思ったのだが、種村季弘大人存命なりせば、この本をさぞ面白がったことであろう。
○ピエール・カスー=ノゲス『ゲーデルの悪霊たち 論理学と狂気』(みすず書房)……クルト・ゲーデルイカれていたのは、数学界のエピソードとしてはかなり有名。その「狂気」の内実を、こちらとしては書き手のイカれ具合を疑うほど精細に検証していく。

 フィクションとしては新旧二冊。
○クラウディオ・マグリス『ミクロコスミ』(世界浪漫派、二宮大輔訳、共和国)
キアラン・カーソン琥珀捕り』(栩木伸明訳、東京創元社
 どちらも舐めてこそげるようにしてちびちび読み進めるのがふさわしい。

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 その他。
○リチャード・J・エヴァンズ『歴史学の擁護』(今関恒夫他訳、ちくま学芸文庫
○本丸諒『数学者図鑑』(かんき出版)
キャロル・エムシュウィラー『すべての終わりの始まり』(畔柳和代訳、国書刊行会
H.G.ウェルズ『盗まれた細菌 初めての飛行機』(南條竹則訳、光文社古典新訳文庫
○『完訳エリア随筆』正篇上下・続編上下(南條竹則訳・藤巻明註釈、国書刊行会
○鈴木創士『文楽徘徊』(現代思潮新社)
○栩木伸明編訳『世界文学の名作を「最短」で読む 日本語と英語で味わう50作』(筑摩選書)
○祝田保全『建築から世界史を読む方法』(KAWADE夢新書)
○藤澤房俊『フリードリヒ2世 シチリア王にして神聖ローマ皇帝』(平凡社
○沖田瑞穂『すごい神話 現代人のための神話学53講』(新潮選書)
○『泉屋博古館名品選99』(青幻舎)
○『悪魔を見た処女 吉良運平翻訳セレクション』(論創海外ミステリ)
スタニスワフ・レム『マゼラン雲』(スタニスワフ・レムコレクション8、後藤正子訳、国書刊行会
○『青森 1950ー1962 工藤正市写真集』(みすず書房
荒木浩『古典の中の地球儀 海外から見た日本文学』(人文知の復興4、NTT出版
○オフェル・フェルドマン『政治家のレトリック 言葉と表情が示す心理』(木下健訳、勁草書房
○ジェニファー・M・ソール『言葉はいかに人を欺くか 嘘、ミスリード、犬笛を読み解く』(小野純一訳、慶應義塾大学出版会)
○冨田昭次『船旅の文化誌』(青弓社
苅部直『日本思想史への道案内』(NTT出版
齋藤希史『漢文ノート 文学のありかを探る』(東京大学出版会
久世光彦『一九三四年冬―乱歩』(創元推理文庫
瀧本和成・深町博史『森志げ全作品集』(嵯峨野書院
○木村直司『詩人的科学者ゲーテの遺産』(南窓社)
○ピラール・キンタナ『雌犬』(村岡直子訳、国書刊行会
○志村真幸・渡辺洋子『絶滅したオオカミの物語 イギリス・アイルランド・日本』(三弥井書店)