白飯天国

 元々メシはあんまり食べないところに、すっかり麦飯になじんでしまって(軽くて香ばしくていいもんですよ)、コメを買ったのは一年ぶりとなる。去年の今頃漬けた沢庵を取り出すのに合わせたのである。からくて堅くてクサいうちの沢庵漬には麦飯よりやっぱりぴかぴかの銀シャリが合う。

 今回は宮﨑産ヒノヒカリ。無農薬の合鴨農法……というのは実はあまり気にしていなくて、それよりはざかけ・天日干しという点で選んだ。なにせ消費量が少ないから、長く味の変わらないことが大切。電気乾燥はすぐまずくなるように思う。もちろん玄米で買って炊くたびに精米する。

 白飯にあうオカズを並べて鱈腹食ってやる!と意気込んで市場に行ったのですが、結局アテの食材ばかり買い込んでしまっていた。顧みて自ら憐れむのみ。

 てなわけで、晩秋/初冬の素人包丁、献立は次の如し。

*向(一) 柿なます・・・湯木貞一曰く、「いい状態の柿に出遭うことは一年のうちにほんの数度」。今回の柿はなますに絶好の、とはつまりカリカリでもなくぐずぐずでもなく、さっくりとぬるりとの丁度中間という感じ。こうして擬態語並べ立てるの、気持ちいいですね。さて、大根は千切りにして立て塩にしばらく浸けたあと、絞りあげる。逆さに振っても鼻血も出ないというくらいに絞りたおす。柿は大根より太く切る。干し柿もちょっぴり使う。こちらはジンを振りかけてほとびらかせ、小さく刻む。黒胡麻を摺ったら、酢と煮切り酒でのばす。淡口で調味。直前に柿と大根を合わせ、胡麻酢をかけ、上から捻り胡麻を散らす。これで白飯が食えるもんなら食ってみろ。と言いたくなるくらい冷酒に合う。
*向(二) 〆鯖・・・脱水シートで処理したあと、ばさばさと塩して三十分。酢に浸けて十五分。一緒に昆布やら生姜の皮やら鷹の爪やら柚やらをうんとハシタナク放り込む。食べしなにこれまた心ゆくまで柚果汁をしぼりかける。山葵おろしをそえて。
*煮物(一) 鯛蕪・・・鯛の頭は湯霜にして、血やアブラ、うろこを丁寧に掃除。日本酒七・味醂三の下地で炊き、最後に淡口で調味。蕪は皮を厚く剥き、玉酒に昆布を入れた出汁で柔らかくなるまで炊く。炊き上がった蕪を鯛の鍋に入れてもう少し炊く。針柚はけちらずに使いましょう。柚の量で味が決まると言ってもいいくらい。
*煮物(二) 芋かけ豆腐・・・蛤の出汁で豆腐を炊いておく(酒・塩・淡口で調味)。山の芋(長芋にあらず)をすりおろし、卵白を入れながら摺鉢で摺りたおす。豆腐の上にふわっと着せかけ、青海苔をふる(焼き海苔もいい)。
*強肴 あん肝酒蒸し・・・今回はYouTubeの谷やんさんのレシピを参考にした。一体に谷やんは材料の下処理をすごく丁寧になさるのですが、あん肝も皮(膜?)や血管・スジの掃除を徹底していた。蒸したらぽん酢をかけるだけの味付けなんだから、こういうところで臭みやクセを取り除くのが肝要なのですな。血抜き⇒掃除のあと、改めて酒に浸け、ラップで丸くなるように包んで蒸す。四十分くらいかな。ラップに押しピンで穴をあけ、蒸してるときに流れ出るいわばドリップを外に出して臭みがまとわるのを防ぐ。

 こうしたアテで、吾が鍾愛の『黒松剣菱』ぬる燗を当たるべからざる勢いにぐいぐいやっていたわけだけど、やはりこの日の尤物は飯でしたね。ヒノヒカリも旨かったがオカズが豪奢を極めていた。

*梅干し・・・自家製三年もの。
*沢庵・・・当家では、沢庵の樽開きは茶の湯の口切りに匹敵する大行事。大量に漬けていた昔の農家だと、新漬けと古漬けで食べ分けてたらしい。それほどの量ではないので、ウチでは一年は漬け込んでおく。だから失敗していたら大惨事なのです。今年は干しもよく利き、塩もいい按配で熟れており、上々の出来でした。一切れで茶碗一杯いけるくらい。
*佃煮・・・無論自家製。葉唐辛子とちりめんじゃこを酒・濃口で煮詰めたもの。
*明太子・・・これも自家製。鱈の子は塩をして水分を抜き、そのあと昆布で圧す。酒も少し振っておく。旨味が回ったら七味をまぶす。
*汁・・・味噌も三年もの。なるべくなら粒を残したままの方が旨い、、、とどこかで読んだ。その分いちいち擂らねばならず、めんどくさいが、風味は高い、気がする。具はしじみ。言うまでも無く青森(青森!)は十三湖産。吸い口には三つ葉の軸。これもバルコニー菜園で採った。

 神戸牛のステーキとか海胆てんこ盛り、とかいうのとは違うけど、王侯貴族の気分。飯のおかわりなんていつ以来か。


○桃崎有一郎『礼とは何か 日本の文化と歴史の鍵』(人文書院
○桃崎有一郎『中世京都の空間構造と礼節大系』(思文閣出版
○アニル・セス『なぜ私は私であるのか 神経科学が解き明かした意識の謎』(岸本寛史訳、青土社
○トーマス・レーマー『ヤバい神  不都合な記事による旧約聖書入門』(白田浩一訳、新教出版社
○源河享『「美味しい」とは何か』(中公新書
○風間賢二『怪奇猟奇ミステリー全史』(新潮選書)
永井均『独自成類的人間』(ぷねうま舎)……Twitterを整理・編輯した本らしいが、あんな乱暴でガラの悪い言説(というほどでもないか)空間にあってさえ、どこを切り取っても永井均。さすが。
○朝里樹『創作怪異生物事典』(笠間書院
○工藤敬一『荘園の人々』(ちくま学芸文庫
町田康『私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?』(NHK出版新書)……薄い本だけど中身はたいそう充実している。やっぱり町田康はいかなるときでもがっぷりよっつの人。関西弁の語りだからこその達成という面もあり。すこぶる真面目な本なのだが、それにしても「大阪市大和川中学」出身という字面で爆笑してもたわ。
○コリン・ソルダー『世界を変えた100のシンボル』上下(甲斐理恵子訳、原書房
○江後迪子『砂糖の日本史』(同成社)……文章も、手続きも粗雑だなあ・・・とそういえば同じ著者の別の本でも閉口したことを思い出した。
○H.P.ラヴクラフトアウトサイダー クトゥルー神話傑作選』(南條竹則訳、新潮文庫)……編訳者の名前で買い。それにしても、ラヴクラフト節、懐かしい!
○ノーマン・コーン『新版魔女狩りの社会史』(山本通訳、ちくま学芸文庫)……嬰児のカニバリズム、乱交、近親相姦など、「魔女」「悪魔崇拝者」に向けられた(紋切り型)の批難の項目は実はすべて初期キリスト教徒に向けられたものだった。この事実こそがおぞましい。
○ピップ・ウィリアムズ『小さなことばたちの辞書』(最所篤子訳、小学館)……OED編纂に携わった女性の一代記。この格調高い、そして白人・男性・中流以上というがちがちの縛りがかかった辞書には到底入らない、市井の・女性の・「卑猥」なことばを主人公は集め始める。という主筋はなかなかいい切り口。また主人公と深い友情(愛情)で結ばれる女中の姿は魅力的だが、いい人ばっかり出てくるのと、登場人物を出し入れ(特に死)する手つきがかなり安易な感じで少なからず出来映えを損なっている。
○サラ E.ウォース『食の哲学 「食べること」に潜む深い意味』(永瀬聡子訳、バジリコ)
○『超傑作選 ナンシー関 リターンズ』(世界文化社)……今から見てもさすが!という名評も、今から見るとさすがにねえという品定めもある。あるけどそんなんどうでもいいのです!我らナンシー党(中学生以来のファンなのだ)はかくも浩瀚な書物でナンシー節にどっぷりひたれるその感慨で涙滂沱をかきくれる。だから、今世にナンシー関ありせば、なんてクサいことは言わない。言いたいけど。
○J.G.A.ポーコック『野蛮と宗教Ⅱ』(田中秀夫訳、名古屋大学出版会)……ようやく2巻めの翻訳が出た。いやいや出るだけ有難い。名古屋大学出版会はほんといい仕事してるよ。